第44話 幸田家の家風
五徳が幸田家に来てから2週間が過ぎた。初めは奉行みたいに荒れ狂っていた奥取次用人や室女中も大分馴染んで来たようだ。普通の由緒ある武家なら家中との対立もあっただろうが、そもそも代々伝わる家訓や慣習などあるはずもない。
家として定めているのは正当防衛以外の暴力、喧嘩、博打、飲酒での狼藉、家臣同士の借金、礼節をわきまえない振る舞い(身分的なものでない)、他人の信仰に対する侮辱、盗み、虚偽の報告などを禁ずるだけ。
これらに違反した場合は軽い場合なら注意。重い場合は謹慎、罰金、俸禄の減額、役職の降格。認める認めないにかかわらず裁決を要した。結果に対する不服申立ても出来る。
しかし、これまで仲間や小者が喧嘩するくらいで、小額の罰金止まり。幸田家中は戦費への負担もなく俸禄やその他の待遇も良い。家臣の大半は学者、商人、僧侶などインテリが多く、何事にも事の是非や道理を問う。
忠義の強要などもない。単なる雇用者と被雇用者といった形式になっている。この時代では、どうしても道徳的な正義より支配者の気分次第。法治ではなく人治。権力の度合次第だが、気に食わないだけで人を殺しても許されてしまう。
なので幸田家は法治的な観点からコンプライアンスを徹底している。やはり特異といえるだろう。軍役を前提としない武家はあまりない。あるとしたら落ちぶれた名家で、名を惜しみ捨扶持貰うとか、隠居料的な場合だ。
しかし幸田家(信孝家中では幸田孝之の方と区別するため左幸田家と呼ばれている)の場合はすでに天下統一した後を見越して動いている。
最近では争いが無くなったあと槍働きしか出来ない者は冷や飯を食わされる……。そのような危惧が漂い始めていた。その結果、軍役に沿った形の奉公へ疑問を感じ、文官的な家臣を重用する動きとなっている。
幸田家は孝之が大坂町奉行をしている関係もあり、商家や寺などへのネットワークを築き、有能な家臣の発掘・登用が早い。現代で言えばコンサルタント会社、シンクタンク、研究所、大学のようものだ。
五徳のお付きたちも普通の武家とは全く異なるということを嫌でも理解した。最初は織田家の家紋による権威をためらいもなく振りかざしたが、直ぐ様劣等感へ転化。
壁に貼ってある図面も特異である。大坂を起点に各地への距離が書いてあり、主要な城や町など盛り込まれていた。それを見ると、各地へ行くまでの点と線結めば、およその距離がわかる。
さらに壁へ妙な事が書かれた紙が沢山貼ってある。『急がず、休まず』『想像は知識に優る』『学問に王道なし』『継続は力なり』『迷わず行けよ、行けばわかるさ』『考えるな、感じろ』など、五徳たちに意味はよく分からないが、大きな意味があるようにも思えた。
室女中や奥女中も自由に使える石鹸、石で体を温める風呂(サウナ)、毎日支給される酒と肴、お茶飲み放題、午後の甘味、あまりに美味しい食事など魅力には抗しきれず、すっかり幸田家へ馴染みつつある。
奥取次用人も毎日午後に出される豆乳抹茶(抹茶ラテ風)と甘味の数々を楽しみにしていた。羊羹も江戸後期まで蒸羊羹が主流だったが練羊羹。ういろう、きんつば、葛切り、葛餅、揚げかりんとう饅頭、みたらし団子、どら焼、餅入りお汁粉、水無月、豆大福など。
食事も鮭、鰤、鯖が普通に出てくるのは驚きである。普通の家中は主人ですら滅多に食することなど難しい。味噌汁でさえ味噌が何種類もあり、出汁も鰹節、煮干し、魚の頭や中骨など使う。
具は別に調理して椀へ入れてから汁を注ぐ。
鰯にしても頭と腹わた取除き、燻製されたものや蒲焼き(文献的に蒲焼きは14世紀から)が出された。ときおり出される切り蕎麦や“うどん”も実に美味しい。見事に全員太る始末。
そして多数の大工による早い作業で増築も終わり、浅井三姉妹たちが移ってきた。三姉妹の住む部屋は小谷の間と名付けられ、侍女は小谷方用人、女中は小谷方女中となり、奥取次用人の組下となった。
小谷城以来、三姉妹へ従っている堀江正成は新たに幸田広之の家臣となり、取次役に配属。基本的には三姉妹の担当である。
屋敷内の変化といえば女性が一気に増えた結果、華やかになった。一方で五徳と三姉妹が毎日弔っている仏様の数も多い。
まず五徳は母親、織田信長、織田信忠、織田信雄、徳川信康、築山殿。三姉妹はお市、浅井長政、浅井久政、万福丸(弟)、柴田勝家。
五徳と浅井三姉妹たちは初めこそ遠慮し、晩酌するさい、お初や哲普に作らせた肴で、隠れるように酒を飲んでいた。そのうち掘りごたつ式の囲炉裏がある間で飲んでいる広之から呼ばれるようになり何度も断った。
結局、無理に1度座らされたが最後。隣の間では奥取次用人、小谷方用人、室女中、上位の奥女中も小姓衆たちから酌をされほろ酔い加減の日々。
皆んなで仲良く楽しくがモットーの幸田家に呑まれて行くのであった。
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