第144話 晩秋の美味と近衛前久

 日毎に肌寒くなり、紅葉が見事な時期となっている。茶々の出産も間近で慌ただしいなか、近衛前久と二条昭実の大物がお忍びで幸田広之の屋敷へ訪れた。


 前久は現天皇の義父でもあり、いまだ朝廷へ絶大な権力を有している。一方、二条昭実は現役の関白だ。史実においては近衛前久の子息と争った挙げ句、羽柴秀吉が関白となった。


 しかし、歴史改変された現在に至るまで前久と昭実の父二条晴良の因縁も関係なく両者の仲は問題ない。足利義昭が将軍になった後、前久は義昭と晴良から関白の座から追われた。


 すでに晴良は他界して10年以上も経っており、過去の話だ。しかし准三宮と関白がお忍びで落とずれるというのは尋常でない。


 先ずはお茶を飲みながら他愛もない話となる。そして腹の探り合いから徐々に前久が本題を切り出してきた。


「左衛門殿、沿海州は今後如何なる扱いにいたすのかのぉ」


「先ずは朝廷におかれましては北海道、樺太、千島各島を日本国の正式な地とすべくお手続きの程、お願いいたしたく存じます。いにしえより蝦夷と呼ばれた土地でありますが、朝廷の御威光を以て日出る国へお加え頂き、沿海州は外地として幕府がまつりごとを行った上で、天津神の御神徳十分に行き渡ったならば、神州の一端として……」


「つまり、蝦夷ヶ島は日本の領分。沿海州は時をおいてという事でおじゃるな」


「然様でございます。日本書紀の斉明天皇紀によれば阿倍比羅夫公が蝦夷を粛慎を征討とあり、また続日本紀の靺鞨国が恐らくは粛慎で、かつて本朝へ朝貢していた渤海国。かようであれば、幕府が彼の地を治め、何れは朝廷にあられましてもお認め頂きたくそうろう」


「それが幕府の意向というのであれば我らとしても申し分ないでおじゃる」


「おおごっさん(前久)の仰る通り。誠に殊勝な心がけでおじゃる。戦乱の乱れにより、お武家の中には朝廷を軽んじる者も多く難儀いたしたが、幕府の働きによって天下静謐。それだけでも十分でおじゃるが、朝廷に対する忠誠と心掛けは見事なもの……」


「左衛門殿、三条さんがかように仰せられるのなら良かろう。これまで幕府からは北海道と呼び方を改める件、沿海州と沿海府の件、南方府の件など都度申し出があるたび、承諾しておった。されど何分にも昨今の動きは早いものでな……。幕府への存念はないでおじゃる」


「それがしも、如何様に広大な領土を治めればよいのか模索しておりまして。これから新亜州(アメリカ大陸)などを開拓いたしますが、あまりに遠い。可能であれば宮家とお公家に……」


「2千里以上離れた地でおじゃるな。左衛門殿からすでに麿も聞き及んでおじゃるが、田畑が日本の2倍くらいは作れると……」


「誠でおじゃるか」


「その他にも沢山の土地がおじゃるようでして、日本の百倍以上はあるとの事」


「百倍……。それ程の大きさであれば宮家を…というのは無理もない話でおじゃりますな。他の公卿なとども話あって……」


「三条さんと麿へ任せるでおじゃる」


「はっ、有難きお言葉。誠に心強い限り」


「それはそうと左衛門殿。難しい話はさておき何か美味なるものを用意しておいでじゃろ」


「ご用意整うまで風呂に入って疲れをお癒しくだされ」


 2人は女中に案内され上機嫌で風呂場へ消えて行く。広之が考えるに明と大きな戦争を行う場合の危険や幕府の領土拡大で朝廷を蔑ろにするのでは、という懸念なのだと思った。


 ウラ国の2人はれっきとした王族であり、朝廷へ報告を済ませている。ただ帝への拝謁はさせるつもりない。そのへんは、中華文明圏においては色々微妙で厄介だ。


 台所へ行き、確認をするが問題ない。そして2人がやって来たり。五徳の指示で室女中が料理を持ってくる。先ずは松茸と鱧の白扇揚げ、土瓶蒸し、ざる豆腐が並ぶ。


 白扇揚げは片栗粉と卵白で揚げたものだ。土瓶蒸しは鱧の中骨を炙ってものと昆布で出汁をとり、松茸、伊勢海老、白甘鯛の真薯、生麩、銀杏などが入っている。


「ほぉ、何やら良き香りぞ」


「龍山様、先ずは土瓶の蓋をお開けください」


「何と豪勢でおじゃるな」


「軽く柚子を絞り、お猪口へ出汁を……」


「どれどれ、これは美味。秋空に〜うまし国よ〜」


 早速、前久が何やら謡い出した。後ろに控えてる五徳が苦笑。五徳は結構、前久のファンだったりする。


「この松茸と鱧を揚げたものも加減が実に見事でおじゃる」


 昭実も笑顔を見せながら箸が進む。


 ざる豆腐なども食べつつ日本酒の熱燗(ぬるめ)が2合消えた。


 そして、囲炉裏では鍋の用意がされている。鴨のすき焼きだ。お初が難波葱と豆腐を焼きつつ、厚めに切った鴨を焼く。鴨の放つ野性味と繊細さが織りなす香りが食欲をそそらずにはいられない。


 いよいよ割り下が注がれ風味たるや、さらに醤油と酒の香りが加わる。最後に大量の白髪ねぎが盛られた。


「さあ、頃合いが良いようでございます。お手元の卵(温玉)に付けてお召し上がり下さいませ」


「鴨は麿の好物でな。しかし、これはまた格別なる美味でおじゃる。鴨の脂と葱や豆腐の合うこと……。焼いた葱としゃきっとした葱、卵も実に良い」


「おおごっさん、この鴨は夢に出てきそうなお味でおじゃりますな。これは包丁百万石どころか1千万石」


 この後、栗ごはんで締めくくり2人は大満足であった。




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