第197話 真田信繁と陳徳永

 日本から明国使節団が帰国した頃……。天津では急ごしらえの環濠と兵士宿舎が完成していた。普請に必要な人夫はいくらでも集められたが、足軽でいうところの小物頭は陳徳永の手下を貸してもらったのだ。

    

 彼の手配により、必要な資材と職人も京杭大運河を通じて続々と送り込まれていた。無宿人みたいな連中が沢山集まればトラブルも絶えない。しかし、陳徳永の手下たちが目を光らせてるので問題もあまり起きず、万事順調に進んでいる。


 陳徳栄は商人とは名ばかりで、運河や河川の運送、馬借(馬での輸送)、口入れ屋、土倉(高利貸し)、為替(日本でいう両替商)、ツケ払い専門の店などを経営している。


 天津や瀋陽へ大工、石工、煉瓦、鍛冶、皮などの職人を大量に集めた他、資材や食料の買い付けも行った。大量の女性も集めて、遊郭を作っている。人足相手の賭場や貸付けまで行っており、そのへんは程々にするのと手荒な真似はしない事を条件として黙認されていた。


 さらに、来年にも日本へ多数の湊が租借されるため、各湊へ準備のため向かう幕府役人を案内するため手下を付けている。全ての湊で沖仲士と口入れを独占すれば莫大な利益が転がり込んでくるはずだ。


 北京半落時、天津は伊達政宗が守っていた。しかし、北京より戻った真田信繁が天津の奉行となっている。陳徳永は真田信繁(幸村)とは気が合うようで、天津滞在時は頻繁に訪ねてきた。


「俺からすれば、日本の武人は実に面白い。明や女直ならば敵国の城を落としたら、あらゆる物を奪い尽くし、女は子供から婆さんまで犯す」


「いや、少し前までは日本でも似たようなものであった。今の幕府が出来てから、大名であっても法を破ることは許されぬ。元々、城側が降伏した場合、滅多な事はせぬぞ。近隣の僧侶も立ち会い起請文出したりするしの。約定を違え無体な事すれば、以後の攻城戦で相手は死にものぐるいとなり、払う犠牲も多い」


「それが良かろう。人は生きてる限り、何らかの役に立つ。長い目で見れば、乱暴、狼藉、略奪、破壊は得な事無い。日本は占領した土地の者を奴隷にもせぬし、むしろ銭をばら撒いてる。恐らく、この天津や瀋陽、さらに上海などからは、何れ大商人が沢山出てくるはずじゃ」


「上海はそんなに良いのか」


「真田殿、知らぬのか……。今は鄙びた漁村だが、あれは要地だな。南京、蘇州、杭州、寧波、紹興などに近い。長江(揚子江)の河口にあり、南京と杭州は川沿いじゃ。目の付け所がよい。あれが、蘇州ならば渡さぬであろう。上海なぞ、外れにある無価値な土地とでも思ったはず。されど、上海は黄浦江という川が流れており、切り拓くのは容易。京杭大運河にも近く、外洋へ面している。俺は何れ上海へ本拠を置きたいと思う。あの地は明国の中で最も栄えるぞ」


「それほどの地が眠っておるのか。この国は途方もなく大きいの。そなたの話では大坂に似てる。幕府のある大坂は淀川という川沿いにあり海に面しておる。近くに都もあるし、栄えて当然の要地。しかし、幕府のお偉い方はどのようにして、然様な土地を見つけてくるのか見当つかぬ」


「倭寇上がりの明国人頭目は、あの近くにある舟山などに出入りしてるだろうから、そのへんじゃろ。台湾には明から逃げた者が多く、色々話も伝わるはず」


「幕府は明国の産品や各地で売られる物の値など調べておるからのう」


「何れにしろ、これから面白くなる。人と銭が一気に動き出す」


 一方、その頃南方で逮捕されたイエズス会士マテオ・リッチは台湾へ護送。織田幕府役人へ引き渡された。こうして台北で詮議が厳しく行われたのである。通訳(ラテン語)はフィリピンにおり、役目で台北に訪れていた弥助を介して行われた。


「日本政府は何の権限で私を拘束したり尋問するのだ」


「日本政府(=幕府)はこのほど明国と条約を結んでおる。まず、貴殿が明国に逮捕されたのは海禁を無視した不法入国。そして日本の密偵を疑われての事。されど、明国は詮議する術がないので、日本側へ身柄を引き渡してきた。我々としても無用な嫌疑を抱かれ甚だ迷惑しておる。明国においては磔となっても致し方あるまい。報告するのが礼儀であり、日本政府の責務として詮議いたす」


「私は神に誓ってやましい事などしてない。即刻、釈放すべきだ」


「こちらの聞いた事に全て答えてもらおう。先ず、貴殿はキリスト教徒(あえて教を使う)なのに何故儒者の服を着ておる。儒者でもない者が儒者の服を着るなどおかしいであろう」


「これは、明国人の気持ちに寄り添うための配慮だ」


「寄り添うではなく、布教しやすくするためであろう。儒者を装いキリスト教の布教をするなど、騙してるのと同じではないか」


「騙す意図はない」


「ならば、儒者の服など着る事なくキリスト教の何たるかを説けばよかろう。それとも汝らの教えは、儒者の服を借りねば伝わらぬものなのか」


「……」


 あまりに役人の指摘や舌鋒が鋭いので、マテオ・リッチは狼狽していた。近年日本でイエズス会士が受けた審問の内容を聞いてはいる。この段になって、相当厳しい状況だと悟った。


「それに何故、デウスの事を神と呼ばぬ。本来であれば神以外に表す言葉など無いはず。なのに上帝、上主、天主、敬天などと呼ぶのはデウスに対する冒涜ではないのか。道教や仏教を意識しておるのは明白。東の国々は様々な神が居る。汝らはそうではあるまい。それを意図的に隠すため神でなく、親しみやすく上帝や天主などと曖昧な呼び方なのが解せぬ」


「正しい教えに導くため、相手相応なのは当然。私は伝える努力を惜しまないだけの事」


「良かろう。最後にひとつ聞く。キリスト教では異端審問などというものがあるそうじゃな。貴殿の明国における布教は異端の疑いがあろう。日本はイスパニア国と懇意なれば、フィリピン総督へ身柄を引き渡す」


「イスパニア語は関係ない。私をマカオへ送ってくれ」


「知らぬのか。マカオからポルトガル人とキリスト教徒は追放処分となっておる。そもそもマカオを明国朝廷がポルトガルに租借した事実はない。明国朝廷の見解では、地方官に賄賂を渡し、不法占拠してただけじゃ。その上、海禁を破ってたのは明白。明国との条約でマカオは日本が租借する事になった」


「そんなバカげた事あるものか。日本は海賊などして明国と険悪な関係であり、マカオの租借などありえない」


「明国と戦争して日本が勝ったことを知らぬようだな。今、北京は日本軍が占領し、明国皇帝を保護しておるのじゃ」


 マテオ・リッチは雷に打たれたような衝撃を受けた。日本が南方へ進出してるのは知っていたが、そんな大きな戦争してるなどと聞いた事ない。役人は疑うマテオ・リッチへ、ほんの数ヶ月前の出来事だと告げた。


 詮議した役人は幕府から配られているイエズス会士用の尋問マニュアル(無論、実際はマニュアルという呼称でない)に記載された想定問答通りにしただけだ。


 しかし、マテオ・リッチにすれば下級の役人でさえ、異常な知識を有している事へ恐怖した。その上、異端の疑いでフィリピンへ送られるのは最悪である。ドミニコ会やフランシスコ会が待ち受けているのは確実だ。


 その日の夕方、落胆するマテオ・リッチに食事が出された。薄焼きパン、白身魚のフライ、じゃが芋のフライ、マッシュポテト、胡瓜のピクルス(シャム系の種)、塩漬けオリーブ、豆のスープなどだが、どれも美味しい。


 絶体絶命の境遇なのが恨めしいところであった。


 





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