第93話 ヴァリニャーノの悔恨

 日本から国外追放処分となりマカオへ辿り着いたヴァリニャーノはまさに失墜という有り様であった。自分が長年築き上げてきた成果や実績の全て水泡に帰し、批判の矢面に立されている。


 マカオがポルトガルの植民地となったのは1849年であり、ヴァリニャーノの活動してい時代は居留権(ユリウス暦1557年から)を有していたに過ぎない。


 マカオ自体は明国の領土であり、ポルトガルに認められた居留区のみ自治状態だった。日本との貿易はマカオに莫大な富をもたらしていたが、織田幕府樹立後は日本国内での貿易取引は無期限の停止。


 幕府は御用船を直接アジア各地へ派遣。台湾や呂宋で明国商人と取引を行っている。ようするに、これまでマカオで行っていた中継貿易が崩壊してしまった。明国より買い付けた生糸を日本で売り、銀や銅を手にするのだが、再開の目処は立たない。


 マカオのポルトガル商人は仕方なく明国から買い付けた生糸を台湾や呂宋へ運び幕府御用船に売っていた。しかし現在日本国内では養蚕が幕府の奨励により盛んとなっている。


 織田家は農家へ無料で蚕、蚕を育てる道具、繭から糸を取る道具、糸を紡ぐ道具、布を織る道具を与えてる他、各地に大規模な生産施設を作り、人を雇っていた。


 このため以前ほどの価格では売れなくなっている。さらにマカオでは事実上の価格統制というか、日本への輸出量を調整していた。

 

 日本での養蚕拡大に伴い、ただでさえ必要な輸入量は減少の一途。しかし明国商人は日本の銅銭、棹銅(インゴットのようなもの)、銀貨を手に入れるため台湾や呂宋へ殺到。


 圧倒的な供給過多であり、当然値崩れしてしまう。最近、日本は磁器や硝石も生産している。目下、幕府御用船がもっとも買い付けているのは砂糖だ。

 

 ただし、いくら生糸や砂糖を売ったところで、幕府御用船が運んでくる煎海鼠、干し鮑、干し帆立貝柱、干し鱈、昆布、フカヒレ、薬、薬酒、石鹸などで相殺されている。


 現在、明国商人最大の渡航先は呂宋だが目当てはイスパニアがポトシ銀山(現在のボリビア)で掘り出している銀だ。日本から銀がほとんど入って来なくなった以上、自然の成り行きといえる。磁器や生糸を持ち込み銀を入手。


 その銀で幕府御用船から買い付ける。幕府御用船は手に入れた銀で砂糖を買う。ポルトガル商人も日本の干した海産物や薬などを買ってマカオで売ろうにも明国商人から足もとを見られ買い叩かれてしまう。


 さらに問題なのは、元々ポルトガル商船はマカオ近辺で密貿易を行っていた。海賊討伐における功績が認められ、マカオへの居留権を得ている。


 その海賊とはようするに倭寇だ。現在、倭寇は明国の海禁政策緩和に伴い普通の商人ととなった者も居れば、日本に本拠を構えつつ、台湾で密貿易の仲介などしている。


 ここ数年、台湾は幕府の開発によりいくつか大規模な拠点が作られ、倭寇上がりの商人も日本から、こちらへ移住しつつあった。


 さらに幕府はジョホールやシャムと懇意であり、日本人と共に居住し始めている。幕府と密接な関係であるのは明白だが、これらはポルトガル商船を襲ってくるのだ。


 ポルトガルは日本と通商条約を結んでいないし、正式な国交があるとも言えない。つまり強く抗議出来るはずもなく、マカオへ立ち寄る幕府御用船へ被害を伝えるだけ。


 答えはいつも同じで航海に危険は付き物であり自力対処すべし。海賊を討伐するのは自由。ただし台湾の幕府管轄下の街市で勝手な行動は認めない。何なら北京の明国皇帝に討伐の直訴をせよ、というものである。


 明国は海禁を改めたが章州月港(福建省厦門)からのみ商船の出航を認めていた。出国の際は文引(海外渡航許可証)が必要で渡航先は限定されている。


 つまりマカオは特別なお目こぼしで見逃されているに過ぎない。そもそも海賊討伐の功績から広東の地方官より居住を認められただけとも言われている。割譲されたという事実もなくポルトガルはマカオの借地料を払っていた。


 このような経緯からマカオのポルトガル商人たちは呂宋へ接近し、何とか窮地を脱しようと試みていたが、幕府はフェリペ2世(イスパニアとポルトガルの王)へ接触。そして、いよいよ日本とイスパニアが本格的交流を開始した。



――ヴァリニャーノの独白


 日本へ向かう前から想像はしていたが、誤算の連続であった。まず、聞いてはいたが、自分の知っている日本ではなく、欧州並みの法と秩序を備えている。


 私が発案した使節(天正遣欧使節)の虚構性を突くのも考えられないが、まさかフェリペ2世から偽造した大友義鎮(宗麟)公の文書を回収しているなど思いもよらなかった。

 

 大友、有馬、大村の署名が全て同じ筆跡だという指摘や当初伊東マンショではなく伊東祐勝を連れて行こうとしていたことさえ知っており、イエズス会内部から漏れた以外考えられない。


 伊東マンショと大友義鎮公の血縁関係も細かく聞かれた。誤魔化す他なかったが、姪(土佐一条家)の孫(日向伊東家)と従兄弟であることを幸田広之は知らべている。


 大友義鎮公も会ったことない伊東マンショでなく姪の子である伊東祐勝を選ぼうとしたが、渡航1ヶ月前に決めたので安土セミナリヨ(神学校)から呼び寄せる時間もなかった。


 時系列が紙に書かれており、渡航1ヶ月前決めたであろうことを示され、何も言えるはずなかろう。大友義鎮公の直筆書状を年代順に並べ、本人がキリシタン大名立ち会いのもと、使節に関与してないとの署名文書もあった。


 あそこまで執拗かつ入念な準備がなされていたことは驚嘆に値する。およそ日本人の発想ではない。さらに断罪して処刑するわけでもなく追放処分というのも日本らしくないように思える。


 放火や殺人を行っても死刑ではなく島送りだという。それも島内に魚の加工小屋があり食事も与えられた上、多少の賃金も貰えるという話だ。


 その事を幸田広之に尋ねたら冤罪の可能性がある以上、死刑は廃止にしたという。犯罪者にも人としての権利がある以上、人道的な対処をしており、取り調べで拷問も禁じているそうだ。


 大名であっても罪を犯せば罰するとか、たとえ妻であっても同意のない性行為は暴行だの欧州より進んだ考え方をしている。幕府総裁幸田広之による政治は善政といえよう。


 以前とは比べ物にならないほど民の生活は良くなり安心して暮らせるようだ。大坂の都市設計も実に見事。イエズス会とポルトガルにとっては天敵だが、迫害や禁教はしない。それどころかイエズス会に建築の依頼をしたり、信徒たちに仕事を与えてくれる。


 ただし、欧州の文化や歴史を驚くほど知っており、異端審問云々に関しては人間の所業と思えない。私の布教方針を完全に逆手取ってイエズス会へドミニコ会ぶつけ、異端審問で潰す気だ。狂っている。


 イエズス会を無法に潰さないが、貿易停止で困窮するなか、ドミニコ会やフランシスコ会を招き入れて噛み合わせるなど、およそ発想が悪魔じみており、為すすべがない。


 普通ならイエズス会を日本から追放すれば済む話だ。しかし表向きはあらゆる信仰の自由を保証し、不当な扱いを禁じている。それはそうと、このままではイエズス会や私のせいにより、日本との貿易が完全に終焉してしまうかも知れない。


 ドミニコ会やフランシスコ会がどう動いてくるかも予測つかない。神よ私を救い給え……。

 

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