第171話 栄河城の長秀

 雪解けから栄河城の丹羽長秀は慌しい。人数少ない上、活動出来る期間に限りがあるので、やる事は山程ある。近辺のホジェンやフルハ部の各族長へも十分な報酬を約束し、大勢の人夫が集まってきた。


 栄河城と城下町の整備を進めつつ、現代でいうところの哈爾浜にも栄寧城を築いている。幸田孝之が牡丹市のあたりに城を築いており、こちらは対ワルカ攻略の前線基地だ。さらに長春へ対ホイファの拠点を作る予定なれど徳川家康や森長可たちが駆けつけてからでないと厳しい。


 それまでは足もとを固める他ない。ウラ国も後背の蒙古系部族の懐柔に成功しているという。栄河との貿易で得た大量の商品を元手に蒙古系部族から馬を集めており、今年の第一陣が間もなく到着する手筈だ。


「殿、ただいま栄明城より早舟が到着いたしました」 


「通して構わぬ」


 丹羽家家老の戸田勝成は一旦下がり、使者を連れてきた。


「遠路、ご苦労であった。栄明城に船が着いたのじゃな」


「はっ、仰せの通りにてございます。徳川様、伊達様、蒲生様、稲葉様、黒田様、蜂須賀様、堀様、毛利様、小早川様たち総勢2万。船は既に境へ引き返しておりますゆえ、第2陣の2万を乗せ、また戻ってきます。豆満城の方は完成しました。牡丹城もあとひと月あらば出来上がりそうろう。豆満江沿いのワルカは雪解けから盛んに渡河して朝鮮の集落を襲っております。下知通りにワルカや朝鮮の役人が豆満城へ来てもウェジが追い返しておる次第……」


「承知した。手筈通りじゃな。流石は右衛門殿。それでは牡丹城を頼む。次に牡丹城からホイファ(輝発)まで50里程。その間にある地へ城を作って出来る限り兵糧を運び入れて欲しい。ホイファ・ナラ氏(輝発那拉氏)はウラ国の話だとイェヘ 国(葉赫)やマンジュ国(満洲国)へ仕切りに助けを乞うてるそうじゃ。ただウラ国が絡んでるとなればイェヘは様子見。マンジュも助けるような素振りでホイファを掠め取ろうしてる。ホイファの居城は輝発川沿いの輝発山にある輝発城とゆうてな。我らから見れば1日あれば落とせそうな小城じゃ。ウラ国の案内で女直の城を家臣が見て回ってるが、どれも小さい。されば肝要なのは如何に城を落とすかでなく、兵糧を滞りなく運べるか次第。牡丹城と輝発城の間に城が出来る頃、我らも向かう」


 こうして幸田孝之の使者は2日程休んだ後に帰った。海西の領地は蒙古に近い事もあって平野部が多い。そのため牧畜が盛んだ。一方、建州は山間部が多く、朝鮮人参や皮の産地である。


 長秀は使者から受け取った豆満城の図面を見つめていた。ワルカの族長なぞ単独で500名以上動員出来まい。これまで調べた限り、フルン四部の居城でさえ、日本なら国人程度の城だ。大坂城、安土城、岐阜城、小田原城の如き城は無い……。


 豆満城は緩やかな斜面に障子堀があり、城壁や櫓からは狙い放題である。ほぼ難攻不落である事は疑う余地ない。


 食えなくなった豆満江沿いのワルカたちは朝鮮を襲う他無いだろう。そうなれば朝鮮側の集落はたまったものではない。ワルカと李朝を恨むはず。なので豆満江沿いのワルカは当分放置だ。朝鮮の北辺を思う存分荒らしてもらい不安定になれば都合が良い。


 そんな事をつらつら考えつつ、切り拓いた畑に、じゃが芋、とうもろこし、大麦、大豆などの種を蒔かせるのであった。


 ある日の夕方、自身の屋敷へ羽柴秀吉、前田利家、最上義光、蘆名政道、真田信繁(幸村)、徳川秀康が招かれていた。


「五郎三殿、栄明城に駿府殿たちが着いておるなら、こちらの方もそろそろ着く頃ですな。鬼武蔵も久し振りじゃ」

 

「筑前よ、鬼武蔵は今頃、沿海府に着いておるはず。山城守(直江兼続)と仲良くやってるかのう。何しろ鬼武蔵の家臣は越後衆と信濃衆が大半じゃ。流石に上杉家の元家老が居ったら具合悪かろう」


 2人の会話を聞いて利家が割り込む。


「鬼武蔵といえば確か勝三郎殿(池田恒興)の女婿ですな。池田家はいまや尾張一国と伊勢5万石。女婿の鬼武蔵が越後。次男の正室は瀬兵衛殿(中川清秀)の娘ですな(史実だと産後の出血が止まらず実家に戻ってます。本作品では無事にて離縁してません)。中川家といえば肥後。随分、出世されましたな」


「又左、そなた真面目に謹慎しとったのか。随分、詳しいのぉ。まあ、勝三郎殿もまだ老け込む歳では無いが倅に家督譲り身を引いた。もう、これ以上は十分ということじゃろ。それは良いが、暇を持て余し各地を回ってはならず者退治などして岐阜の御老公や黄門様などと呼ばれ人気者じゃぞ」


「逆に目立ってどうするのじゃろ」


「まあ、そういうな筑前よ。又左も帰国したら大名に戻れるのではあるまいか。知らんけど」


「何でござるか。その、知らんけど……とは」


「又左、知らんけどは大坂で流行りの言葉じゃ」


 実際は幸田広之から教わった言葉であった。


「さて、そろそろ酒でも飲むとしよう。ほどほどにな」


 淡水魚の味噌煮、味噌蒟蒻、五平餅などが運ばれてきた。流石にこの時期は食材が乏しい。


 それでも一同酒が進むのであった……。


 



 


 

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