第170話 沿海府と角倉
「殿、見えてきましたぞ。あれぞ沿海府でござろう」
「ほう、なかなか立派な町並みじゃのう。土石(煉瓦の事を勝手にそう呼んでいる)で作った屋敷もあるな」
「こちらも角倉同様、煙があちこちから立ち昇っておりますぞ」
「あれも泥炭という物であろう。それにしても土が燃えるとは面白い。そのへんで掘り出して干せばよいのだからな。木を切り倒して炭焼にせずともよい。石炭は山で掘るのも楽ではないというぞ」
艦上から森長可は家臣と沿海府を眺めていた。幕府艦隊は角倉で少し荷物を降ろすと、沿海府奉行の直江兼続と角倉了以が待つ沿海府へ急いで来たのだ。
およそ3万人程を運ぶ大艦隊であり、長可は先頭を行く艦、滝川一忠(一益の家督相続者)が後続の艦にそれぞれ乗っている。
樺太の西側を航行している最中、沢山の漁船が鰊やスケトウダラを取っていた。それらは転覆するくらい釣り上げると角倉からほど近い浜辺へ向かう。
浜で加工が施され、大量の魚が干される。こうして鰊油、身欠き鰊、ソフト鰊、鰊の麦糠漬け、数の子の塩漬け、スケトウダラの干し物、たらこの塩漬け、明太子などが作られた。さらに浜では大量の塩が鹹水を釜にて煮詰め、作られている。
浜には日の丸や織田家木瓜紋の旗が掲げられ物見櫓まであった。黒龍江に入っても無数の小舟が行き交っており、長可は呆気にとられた。そして目にした角倉は田舎大名の城下町より賑わっている。さらに沿海府にいたっては岐阜並みだ。
煉瓦工場が並び、焼き上がった煉瓦は夥しい人夫たちによって運び出されている。煉瓦敷きの道すらあるのだ。そこを無数のトナカイ馬車が往来していた。沿海城の城壁は高く、それも煉瓦で作られている。内地では見る事のない和洋中の入り混じった異様な町といえよう。
黒龍江が大河だとは聞いていた。しかし沿海府から対岸までは約2km程もある。武辺の家柄たる長可も流石に驚く他ない。そして沿海府へ上陸し、直江兼続の出迎えを受け、休憩した後で案内された。
小舟の造船所、煉瓦工場、瓦工場、泥炭の採掘と干し場、木炭の炭焼小屋、暖房設備のある養豚場と養鶏場、沿海酒の酒蔵(ウオッカ。白樺の炭で濾過する)、木材加工所、金属類の製錬所、風車製粉小屋、皮の加工所、革製品の工場、銭湯など。様々な施設を見て幕府が本気でかような北辺を切り拓いてるのだと理解した。
長可は現在越後の国を治めているが、兼続も元は上杉家の執政だ。両者に何か遺恨があるわけでもない。それでも意識しないといえば嘘になる。長可にすれば1年でこれほどの城と町を築いている兼続の手腕は嫌でも感じてしまう。
東京府の著しい発展も兼続によるところが大きいらしい。しかも兼続は幕府総裁幸田広之から贔屓にされているという噂だ。長可は殆ど広之との接点もなく、今回突然指名された事へいささか疑念を感じていた。
「越後殿(森長可)は旅の疲れもあるかと存じるが早速栄河城へ向かって頂きたい。北辺の地は動ける時期が短じかく敵いませぬ。加賀大納言様(丹羽長秀)が鬼武蔵はまだか、と待ちわびておりますぞ。伊勢殿(滝川一忠)も到着次第、向かって頂きます。それがしは大坂大納言様(幸田広之)より蒙古の北辺を抑えよ、との命がありますゆえ、大鹿(トナカイ)で出征する次第」
「あい、分かり申した。五郎三殿や筑前殿の居られる栄河とはさらに遥か奥地と聞いておりますが、如何様で……」
「当地より南のため、幾分かは温かいようでごさまいますな。人手も足らず困っておりましょう。大坂大納言様よりの書状によれば、駿府殿たちが栄明城よりワルカ(瓦爾喀)を攻めるとの事。そこで栄河城の軍勢、フルハ(虎爾哈)の軍勢、栄明城の軍勢、ウラ国の軍勢が合流。さらに海西ホルン四部の一角であるホイファ(輝発)を巡り満州国、イェヘ (葉赫)、ハダ (哈達)とぶつかるやも知れぬそうな……」
「大きな合戦になるかも知れませぬな」
「それではお頼み申す」
「ご武運を祈っております」
こうして鬼武蔵こと森長可は黒龍江を遡り、栄河城を目指した。森家の家臣は越後国人など地元出身者が多く、直江兼続との面識者も多数居る。沿海府に数日滞在している間、旧交を温めた。
長可も大坂を経つ前、広之から直々に北辺情勢について説明を受けたが。まるで千里眼の如く、彼の地の勢力を把握しており驚いた。幕府の忍びはどれだけ優れているのか、と。
やはり鬼武蔵とて、長い船旅では酒を飲むくらいしか楽しみが無かった。長秀たちと同様、野生動物見物、能、風呂、そして酒宴だ。
ソフト鰊の酢漬け、干しスケトウダラ、干したコマイ、明太子、淡水魚、沿海酒などを味わいつつ栄河城目指すのであった。
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