第224話 究極のおむすび
大坂も本格的に寒くなり、幸田家でもストーブが活躍していた。幸田家だけではなく幕府や織田家の家屋内における使用も浸透しつつある。
甜菜糖、煙草、石炭(主に無煙炭)は専売とし、財政の柱を担わせる算段であり、何れも普及に力を注いでいる。石炭については煙害も懸念されるが、戦乱状態から天下平定後の人口爆発を考えれば、これ以上山林へ負荷は与えたくない。
そんな、冬のある日、幸田広之はおむすびが無性に食べたくなったのである。広之が現代に居る頃、一時期おむすびブームで、行列の出来る店さえあった。基本的には型へのせ、軽く手で成形する。つまり、ほぼ握らない。
ブームにより「わぁ、美味しい。ふんわりして口の中で広がっていく感じ」などという声もあった。広之や肉専門家だが食全般に詳しい肉山298は、握ってないから当たり前だろ、と笑っていたものだ。
おむすび自体、小さいから、必然的に具の比重が増す。そうなってくると、もはやおむすびであって、おむすびと言い難い。ふんわりして、具を沢山楽しみたいなら、蒸らした後の米を茶碗へ盛り、沢山のおかずで食っても良いだろう、などと広之と298は毒づいたものだ。
しかし、そうはいっても、あの手のおむすびもやはり美味かったりする。基本、幸田家でおむすびが供される事などほぼ無い。例外は焼きおにぎりやスパムむすびだ。どちらもおむすびの亜種の如き存在である。
そこで、広之はグルメっぽいおむすびを作る事にした。先ずは型を大工職人であるお蒔の叔父へ特注し、後は具材の手配をする。最後に作り手は五徳、茶々、初、江、福、イルハ、アブタイの7人でやらせてみたい。
「五徳殿、明日の夕食でござるが、台所の者たちを休ませます。そこで、五徳殿や茶々殿たちでおむすびなどを作っては頂けませぬかな」
「えっ妾も……。如何なる事でありましょうか」
「ただのおむすびではございませぬぞ。この世の物と思えぬおむすびを伝授して進ぜましょう」
「はっ、はぁ……」
意図をはかりかね、あまり気乗りしない様子の五徳であった。そして翌日、昼過ぎにお初や哲普たちは、秋鮭、塩鰤、塩鯖の他、炊いた浅蜊、明太子、たらこ、筋子、梅干しを揃え、さらに色々と下準備などもしてから、上がったのである。
夕方近くになり女性陣は全員台所へ揃った。五徳が火を起こし、茶々は米を研ぐ。イルハも鶏を切ってブライン液へ漬ける、などそれぞれ取り掛かる。そして、いよいよ新米を炊く。おむすびの具は全て揃っており、先ずは肉じゃがを作る。担当は最も器用そうな初を任命。
「於初殿、じゃが芋は水に浸してくだされ。余分な灰汁や澱粉を抜きます。ただ、あまり浸し過ぎても宜しくありませぬな」
広之は初へそういうと、次は江に味噌汁の出汁を作らせる。今回の味噌汁はなめこ汁だ。福は味噌を沸したお湯で濾した。さらに、アブタイへ天然えのき茸を茹でさせる。
手の空いた五徳へポン酢の作り方を指導するなど忙しい。自分ひとりでやったほうが楽だな、と思う広之であった。再び、初へじゃが芋の水を切らすと、鍋に胡麻油を入れ加熱させる。
そこへ、豚肉を入れて炒め、じゃが芋と人参も投入。水と日本酒を加え熱くなったら、砂糖、醤油、味醂。この後は蓋をして、火から少し離す。イルハは鶏をブライン液から取り出し醤油、胡麻油、ニンニク、珍年紹興酒のタレへ揉み込む。
いよいよ米が炊きあがり、蒸らしも終わる。茶々が熱さに驚きつつ、しゃもじで混ぜる。そのタイミングで江に既に哲普が仕込んだ鰯の明太子を焼き始めた。イルハも鶏に衣を付けて揚げ始める。
「イルハよ、初めは泡が大きく、音もうるさい。時折、裏返して、泡と音が小さくなれば、取り出して休ませるのじゃ。後は予熱で仕上がる」
そして、いよいよおむすびへ取り掛かる。五徳が型に米を軽く置き、茶々や福が次々と具を置いていく。その上へ、さらに米を少しづつ置き、型をひっくり返す。
初と江が熱いと文句をいいつつ、手へ塩を適量付けて軽く成形。最後にアブタイが軽く炙った新海苔で包む。みるみるうちに量産されていく。新海苔で包んだ後に、具を少しのせる。
そして、鰯の明太子焼き、肉じゃが、鶏の唐揚げ、えのき茸のおろしポン酢、なめこ汁も完成。他にも糠漬け豆腐の味噌漬けもある。いつも食べる専門だが、初級編でさえ十分大変だというのは理解出来たであろう。少し感慨深げな広之であった。
「さてさて、食べるとしよう」
広之はそういうと仲居へ運ばせた。ナムダリや子供たちが待ちわびており、大量のおむすびを見て驚いている。
おむすびは、鮭の塩焼き、塩鰤の塩焼き、塩鯖の塩焼き、浅蜊、生明太子、焼きたらこ、筋子、おかか梅干しが並べられている。
皆、それぞれ適当に取り、かぶりつく……。
「左衛門殿、よもやおむすびがこれほど美味とは……」
「五徳殿、武家がおむすびを食べるのは籠城や遠出する時など。玄米を硬く炊き、崩れぬよう握りしめるでしょうからな。それとは別物でございましょう」
筋子おむすびを嬉しそうに頬張っていた広之が答えた。イルハはナムダリとアブタイへ自分の作った唐揚げを自慢気に勧めている。
「左衛門殿、この鰯は一体……」
「於茶々殿、それは鰯明太子焼きですな」
他の者も鰯明太子焼きを、ひと口食べてあまりの美味しさに驚いている。酒を飲む気はなかったが、最高の肴を前にしては飲まないわけにはいかない。五徳は直ぐ様、日本酒のひやおろしを持ってこさせた。
酒を飲む者は、肉じゃがを真っ先に食べ終えて、鰯の明太子焼き、鶏の唐揚げ、えのき茸のおろしポン酢、豆腐の味噌漬けで、今が美味いひやおろしで堪能しようという腹だ。
そうはいっても大量にあるおむすびも美味い。皆、時折思い出したかのように食べている。やはり、明太子と筋子は人気があった。茶々は江に台所に残ってる明太子と筋子を持ってこさせた。無論、酒の肴にするためだ。
こうして、次第に酒盛りへ移行していくのであった。
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