第306話 まだ見ぬ女帝たちの襲来②

 嶋子、梶(英勝院)、松姫、菊姫、貞姫、小督姫、香具姫たちの来訪が明日に迫っている。幸田広之は嶋子の顔を思い浮かべていた。大坂に居た当時はまだ20歳程だが、隙を一切見せず、可愛気の欠片も無く、閉口したものである。

 

 小弓公方のルーツである鎌倉公方は単なる自称にしか過ぎない。簡単にいえば、東国統治をするための将軍代理であった。しかし、次第に権力を強め、京都の将軍家と対立していく。当時としては鎌倉殿や鎌倉御所などと呼ばれていた。


 将軍家は関東管領上杉に肩入れしたり、奥羽の反鎌倉方武将を直臣化するなど、対立は深まる一方。関東管領上杉が優勢になり、鎌倉公方から古河公方へ転じ、さらに分裂して小弓公方が誕生。


 しかし、後北条の勢力伸長に伴い上杉は越後へ逃げ込み、小弓公方は滅亡寸前、古河公方は北条に背乗りされた。関東における戦国乱世は鎌倉府や関東管領を無力化してしまう。


 挙げ句に室町幕府は事実上崩壊し、織田家による新幕府が成立する。それでも古河公方と小弓公方は頑なに公方や御所へ執着したのだ。しかも、幕府による小田原征伐時、古河公方は北条方、小弓公方は里見に庇護されていた。


 北条の滅亡で、古河公方と小弓公方は消滅寸前となる。北条に与する事はすなわち朝廷から任じられた征夷大将軍への反逆でしかない。


 一方、小弓公方は里見の庇護を受けていた。その里見が幕府の断りもなく北条征伐時、どさくさ紛れに嶋子の父へ鎌倉公方を襲名させたのだ。全く空気の読めない愚行であり、織田信孝と織田家重臣は激怒し、即刻里見と小弓公方は改易された。


 小弓公方のルーツだが、古河公方足利政氏の子である義明が家督争いの末に出奔。義明は上総の真里谷信清の下へ迎えられ小弓公方を名乗る。


 この真里谷家は庁南武田の分家であり、つまり上総武田一族だ。上総武田は甲斐武田の傍流であり、武田滅亡後に頼ってきた遺臣も少なくない。


 しかし、小弓公方に縁のある松姫が奔走。結果、小弓公方は許され、5千石で織田家直参となった。甲斐武田滅亡後、八王子へ逃げてきた松姫に庁南武田も支援を申し出たが、仁科盛信の嫡男信基だけ送り出す。


 その後、松姫、菊姫、貞姫、小督姫、香具姫たちは甲斐へ戻り織田家の庇護下で十分な生活をしてきた。織田家は曲がりなりにも前当主の正室となるはずだった松姫へ最大限の敬意を示した結果だ。


 松姫は小田原征伐時に信基を引き戻しつつ、戦後は庁南武田、真里谷、小弓公方、里見を助けるべく織田家へ嘆願した。これが聞き入られ庁南武田、真里谷、小弓公方は織田家の直参となる。ただ、里見だけは行なった所業があまりに悪質だとして、認められなかった。


 対応したのは他ならぬ広之であるが、マルチの勧誘並の執拗さと、トークスキルに感心したものである。この時に松姫と嶋子が接触したようだ。


 西暦1586年に嶋子が信孝の側室となり、大坂城へ入った。しかし、子供が生まれなかった事と織田家の家臣や竹子と合わず、翌年には江戸城へ追い払われてしまう。


 以来、嶋子が上方へ来たのは織田信長と信忠の7回忌・13回忌の法要時だけだ。松姫も法要に参加している。


 広之が帰宅する準備をしていると、竹子が現れた。


「左衛門殿、あの忌々しき者が明日、上様に挨拶するそうじゃな。妾とは口も聞かず去るであろう。そこで、妾も宴に出るがよいか……」


「よろしいのですか」


「構いませぬ」


 そして、当日になって嶋子が8年振りとなる大坂城へ上がり、信孝と竹子へ挨拶をした。その際、広之も同席したが、竹子の予想通り、ほぼ無視である。まるで身分違いとでもいいたげな態度だ。


「おお、左衛門よ。先程は面白かったのぉ。あの後、荒れ狂っておったぞ。実に見ものじゃ。儂も宴に出るがよいか。どうせ、何か頼み事があるはずじゃから、都合良いであろう」


「色々と予測しておりますが、恐らくは新鎌倉公方家の嫁に殿の姫君を欲しいとか、里見家の再興、あるいは貞姫(勝頼の娘)を殿(信之)の正室になどといったところでしょう」 


「うむ、儂もそう思う。しかし、梶という太田家の娘がよくわからぬな。そもそも、嶋子と松姫が只者ではない。竹子が可愛いく思える程じゃからな。そなたひとりの手には余るであろう」


 こうして広之は光の速さで帰宅するのであった。


 

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