第305話 まだ見ぬ女帝たちの襲来①
大坂は朝晩冷え込むようになってきた。松茸、椎茸、えのき茸、なめこ茸、栗、銀杏、 茄子、薩摩芋、柿、鱧、サツキマス、鮭、いくら、鯵、あおり烏賊、鯛、鮑、若芽など美味しいものがめじろ押しとなる。
特に鱧などは秋鱧と呼ばれ、本当の旬であり、大坂の料理屋では松茸と並ぶ秋の主力であった。産卵期を終えた鱧は食欲や脂が増す冬を越すための上質な脂が貯えられ、身は肉厚となり、皮も黄金色に輝く。
経済発展を続ける大坂では、秋鱧の人気が高まり、品薄によって価格が高騰し続けている。秋鱧をここまでの人気食材へ押し上げたのは幸田広之に他ならない。
そのため調達ルートも確立されており、毎年特上の秋鱧が幸田家へ届けられる。その他にも秋が旬の産物が毎日届けられ、広之の家族や屋敷勤めの者たちは食事を楽しみとしていた。酒にしても、夏の間飲めなかった熱燗も美味い(飲む事は出来ても暑くて、そういう気にはならない)。
女中なども婚期を逃すという代償と引き換えに他家では考えられない程、贅沢な食事が味わえる。その中でも、秋から冬に掛けての食事は群を抜く美味しさだ。
これからは、若狭の浜小屋より俵物も届く。さらに新米、秋蕎麦、秋じゃが芋なども味わえるのだ。その少し前の時期もなかなかのものである。味噌汁にしても、天然のえのき茸となめこ茸、秋茄子、秋蒔き長葱など、とても美味しい。
そんな時期に大物の客を迎える事となった。これまで、後陽成天皇の母勧修寺晴子、織田信長の正室である濃姫、織田信孝の母妙静院、織田信之(元三法師)の母塩川殿、幸田孝之の母姫路御前など、いささか厄介な客を迎えてきたが、今回も相当なものである。
嶋子、梶(英勝院)、松姫、菊姫、貞姫、小督姫、香具姫の6人だ。先ず嶋子が只者ではない。28歳だが、小弓公方足利頼純の娘という貴種だったりする。
実は信孝の側室でもあり、以前は大坂城奥御殿の住人だった。しかし、子を宿せない上、態度が大きかった結果、正室の竹子と反りが合わず、現在は江戸城に住んでいる。
江戸城奥御殿に君臨し、女帝と化していた。何しろ鎌倉公方足利家の系譜で、征夷大将軍織田信孝の側室という事もあり、並の武家では太刀打ち出来ない。
面識のある広之から見ても風格というかオーラは竹子、五徳、茶々を凌駕している。嶋子は史実だと小田原征伐の際、夫に置き去りという屈辱を味わったが、秀吉の側室に収まった。そして、実家の小弓公方家と古河公方家を合併させている。
弟の足利国朝と当主不在の古河公方家の足利氏姫が結婚しており、史実では後の喜連川藩へ繋がる。嶋子は史実と同じような提案を信孝や広之に持ち掛けてきた。
しかし、小弓公方家と骨肉の関係にあった古河公方家が強く反発。古河公方家は氏姫に公家より養子を迎えさせてくれと懇願してきた。織田家ではなく公家というところに少し腹を立てた信孝は改易しようとさえ思ったほどだ。
されど、腐っても古河公方家である。関東の安定統治のため、矛を納めた。そもそも、織田幕府となっている以上、公方家などもはや何の実権力がなく、権威だけだ。
ただ、氏姫は北条氏政の姪でもあり、扱いは微妙となる。広之の依頼で裁定に乗り出したのが近衛前久であった。上杉謙信や上杉憲政の関東進行へ前久も同行している。
その際、対北条の最前線となった下総古河城に前久と憲政は孤立し、氏姫の叔父である足利藤氏は関宿城へ逃げようと企んだ。前久と古河公方家にはかような因縁があった。
小弓と古河の対等な合併ではある。ただ、形の上では古河の系譜とし、小弓の方は国朝の弟頼氏が父頼純の後を継ぐ。両家の重臣たちが上方へ呼ばれ、この裁定に逆らえば取り潰すことを仄めかされた。
さらに梶だが、史実では言わずとしれた徳川家康の側室だ(影●者徳川家康に登場するお梶の方)。まだ18歳であり、織田家直参家臣である太田重正の妹だ。重正が江戸詰めのため、大坂では全くの無名といえる。
太田家といえば第二次国府台合戦で里見と組み、北条氏に大敗した。この限りにおいては、小弓公方に近く、北条に事実上呑み込まれた古河公方と距離が感じられる。恐らくは、その線で小弓公方足利家出身の嶋子と繋がっていると思われる。
松姫は武田信玄の娘であり、織田信忠と婚約関係にあった人物だ。武田家が滅亡して以降は八王子に落ち延びる。松姫の下へ信忠より迎えの使者が訪れ、会いに行く途中で本能寺の変が発生。
史実では、この後に北条や徳川の庇護を受け、信松尼となる。しかし、改変された歴史では、本能寺の変後、丹羽長秀は八王子まで進軍しており、その際に松姫は甲斐国内へ戻って来た。小田原征伐後は江戸改め東京へ招かれ、信松尼になる事もなく、十分な暮らしを送っていたのである。
落ち延びる時、貞姫、小督姫、香具姫も同行していた。貞姫は武田勝頼の娘、小督姫は仁科盛信の娘、香具姫は小山田信茂の娘であり、さらに盛信の嫡男信基も含まれている。
ちなみに、菊姫は上杉景勝の正室であった。春日山城が柴田軍から攻められ、落城する前、密かに脱出している。その後、松姫たちに合流していた。
この菊姫は勧修寺晴子の兄晴豊とも親しい。晴豊が景勝と朝廷を取り次いでいた関係によるものだ。
さらに、武田信君(穴山梅雪)の正室見性院は松姫の姉であり、松姫の人脈たるや相当なものだ。また、武田の遺臣は穴山梅雪が武田を名乗る事へ納得していない。
松姫はそのような声を巧みに利用し、武田滅亡後高野山へ逃げていた兄の武田信清、さらに仁科信基が仁科家を再興し、織田家直参となるよう働き掛けた。その際、丹羽長秀、直江兼続、上条政繁、勧修寺晴豊、嶋子に動いて貰っている。
江戸の二大女帝、嶋子と松姫の訪問に胸が高鳴る広之であった。
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