第346話 春の筍尽くし

 西暦1596年4月下旬。大坂は桜も散り、朝晩は冷え込むが、日中は汗ばむ事もある。先月、正親町上皇が崩御されたこともあり、幸田家をはじめとする武家では、花見会を自粛にしたのである。


 だが、庶民などに対してお構いなしのため、桜見物は大いに賑わった。幕府では大坂城を始め、各地に桜を植えて育てた結果、春ともなれば咲き乱れる。


 また、中央アジア地域から運ばれたチューリップの球根も大坂城で花を咲かせていた。幸田広之も現代より球根と種を持ち帰っているが、種の方は咲くまで5年程掛かる。球根の方は幸田家の庭で今年も無事に咲き、家人たちを喜ばせた。


 広之は経済を拡大させるため様々な需要を喚起しているが、花にも力を注いでいる。さらに、文鳥も原産国のインドネシアより取り寄せ繁殖が進められていた。様々な色合いに分けて育てている。幸田家や大坂城でも飼っており、五徳や竹子も気に入っていた。


 広之の算段として、チューリップと文鳥は欧州でも流行らせるつもりだ。人間、食べれるようになれば衣服などを気にし、その次は生活に潤いを求める。


 桜の花見を見送った幸田家では春らしい食事にて補う事とした。春といえば、やはり筍だ。そこで、筍尽くしの夕餉となった。河内の竹林で朝採りされた筍が使われる。


 正親町上皇の崩御で幕府が大喪の礼を来月に行うため、予定を変化して、出席した後、東京へ帰る嶋子たちも招かれていた。信孝、竹子、信之も参加する。


 本日、用意されたのは、筍と若芽の辛子味噌、筍と桜鯛真薯椀、筍の刺し身、焼き筍、鮑と双冬菜のうま煮、蛸と筍の天ぷら、筍ご飯、苺大福という幸田家には珍しい懐石スタイルだ。


 夕方、信孝や嶋子たちが到着し、食事となった。さっそく、筍と若芽の辛子味噌が出され、絞ったばかりの新酒で信孝たちは舌鼓を打つ。


 現代の場合、新酒は3月くらいまでとされるが、この時代は小氷期(14世紀半頃~19世紀半頃)のため4月でも新酒は出回る。


 史実と同じく、東京には上方から下り酒が船で運ばれているため、搾りたての酒はなかなか飲めない。今日出されている酒は信孝への献上酒なので、3日前絞られたばかりだ。


「嶋子、関東では出回らない大和の南都諸白の極上物じゃ。しかも3日前に絞ったばかり。そなたが大坂を去る前より格段に酒の技も上がっておる。美味であろう」


「下り酒もまろやかになってなかなかのものでございます。されど、搾りたては香りも格別」


「今日はやけに素直じゃな。武田の姫たちも遠慮せず飲まれよ。しかし、この筍と若芽を炊いた物は実に美味じゃな。左衛門よ」


「はっ、羅臼昆布の出汁に干したするめ烏賊を加えて筍を炊いております。若芽の採りたてなれば、不味かろうはずはございませぬ」


「羅臼昆布の大半は大坂と京の都へ集められますゆえ、東京には出回りますまい。筍も京の都で採れたものは日本一」


 竹子が嶋子をいびり始める。今日の筍を河内産だが、黙っておこうと思う広之であった。筍と桜鯛の真薯椀、筍の刺し身、焼き筍などが次々に出てくる。筍の刺し身は生ではなく茹でた物だ。それを山葵醤油で食べる。


「左衛門よ、これも実に良い。山葵様々であるな。魚にも合うが筍との相性は格別じゃ。筍の風味を殺さず、味わいが増すというもの」


「嶋子殿にお尋ねしたいが、来月に行なわれる大喪の礼へお出になられるそうじゃな」


 突然、竹子が嶋子へ語りかけた。酒を飲んでいた嶋子の手が止まる。


「上様の側室として上方に居る以上は当然の事。また、足利家の者としても出ねばなりませぬなぁ」


「足利といえば、天下を治める力も無く、京の都を灰にし、公家たちの荘園は横領され、終いには分をわきまえない代々の足利将軍は摂関家へ偏諱を与えるなどと畏れ多き暴挙。また足利将軍家が頼りないばかりに上皇様は践祚後何年も即位の礼を挙げられなかったと聞きます。天下を乱れさせ、民を苦しめ、禁裏(天皇屋朝廷)へ不遜な態度を取り続けた足利がよう大喪の礼に出れるものですな」


 皆の箸が一斉に止まる。嶋子は無表情だか、松姫や菊姫は竹子を般若の如き表情で睨みつける。少しおいて嶋子が淡々と口を開いた。


「京の都焼いたのは将軍家ではござませぬ。管領たちのお家騒動などが発端で巻き込まれただけ。また、鎌倉の方にとっては知らぬ事」


 松姫と菊姫は流石とばかりに薄い笑顔になる。しかし、竹子はなおも攻めを緩めない。


「享徳年間に鎌倉殿が関東管領を謀殺したがため、東国は乱れてしまいましたなぁ。足利家により、益なき戦いが続き、足利将軍家や関東足利の何れも命運尽きたのは因果応報と呼ぶべきもの。徳の無いところに理無し。織田の世になってからは禁裏を国家の要とし、秩序を構築。徳と理によって、これだけ国が栄え……」


 竹子の勢いが止まらない。大半は広之が竹子へ教示したものだ。信孝の妻たち、織田一門、織田家重臣、大名などに、幾度となく日本の歴史、世界情勢、国家の在り方について講義を重ねてきた成果が予期せぬ形で発揮されてしまった。


「それくらいで良かろう。失敗と成功というのは繰り返されるもの。先人たちの労苦は決して無駄ではない。仮に失敗であっても、それを訓とすれば良し」


 冷え切った雰囲気の中、鮑と双冬菜のうま煮が出される。双冬菜とは冬を越えて旬の野菜を差し、今回は筍と椎茸だ。鮑は一晩水に漬けた後、3日もぬるま湯で戻し、仕上げに出汁で煮ている。 


 出汁には金華火腿、鶏、干貝柱などを使う。煮上がった後、出汁に薄味を付け、フカヒレも入れ、とろみを効かせている。広之も思わず震えるような逸品だ。


「さあ、お召し上がり下さいませ」


「左衛門よ、何度もいうようだが、何故これを早く出さないのじゃ。干した鮑であろう。味わい深いのは当然として、この柔らかさは信じ難い。箸が吸い込まれるようじゃな。筍や椎茸も実に良い。フカヒレも堪えられぬ」


 不機嫌であった嶋子軍団もあまりの美味しさに驚きを隠せない。


「これは干した鮑でございましょう。我が家(小弓公方)は里見と縁有りて、安房より干し鮑が届けられます。これ程、凝った出来栄えの馳走(料理を指す)には成りませぬが、干し鮑自体の味わいは格別。干し鮑は古い物程上等。古ければ古い程味わいも深くなるというもの」


 嶋子がこのままでは引き下がれないとばかりに反撃する。この後、蛸と筍の天ぷら、筍ご飯、苺大福と続き夕餉は終わった。



◆足利嶋子 永禄11年(1568年)生まれ、数え29歳

史実における羽柴秀吉の側室月桂院。小弓公方足利頼純の娘。秀吉の側室になる前は倉ヶ崎城主塩谷惟久の正室であったが、小田原征伐の際、嶋子は置き去りとなる。秀吉へ弟国朝と古河公方氏姫を婚姻させるよう説得(所説あり)。また徳川幕藩体制で特別な待遇を受けた喜連川氏初代頼氏の姉。当作品の話中においては、織田信孝の側室となるが、子宝に恵まれなかった事や正室竹子との折り合いも良くないため江戸城へ移った。これは信孝と広之は何れ東京に幕府を移動するため、嶋子だけ先に江戸城へ送るという形で落ち着かせた結果である。信孝が江戸城を本拠にした際、嶋子は将軍家別邸へ移る予定。武田信玄の娘である松姫(織田信忠の婚約者)と菊姫(上杉景勝正室)、勝頼の娘貞姫、信玄五男仁科盛信の娘小督姫、小山田信茂の娘香具姫、太田康資と北条氏康養女の娘梶(史実では家康の側室)などと仲良く、東京では大きな勢力を誇る。貞姫を織田信之(元三法師)の正室、最低でも側室にする事や武田(甲斐武田・真里谷武田)や里見の再興を目論む。



筍料理→第16話参照

春の料理→第76話参照

正親町天皇→第345話参照

嶋子→第326話、第311話、第308話、第307話、

第306話、第305話参照

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本能寺の変から始める戦国生活 桐生 広孝 @koh2000e

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