第16話 春の訪れと来客

 幸田広之は夕食の準備に忙しかった。この時代、仮にも殿様と呼ばれるような身分が台所に立つことはまずない。しかし、うまいものを食いたいわけで、後世の知識や技術を駆使する必要がある。


 目の前にあるのは丹羽長秀からお裾分けしてもらった丹波産のたけのこ、木の葉、タラの芽。さらに大坂湾の桜鯛と難波葱。女中でもっとも料理の腕が達者な“お初”に教えながら取りかかった。


 タラの芽は白扇揚げはくせんあげ。卵白と小麦粉を水で溶き、榧油かやあぶらで軽く揚げる。筍は茹でて木の葉和えにしたものと焼き筍。難波葱はぬた和え。


 そしてメインの桜鯛(産卵期の真鯛)は鯛めし。頭と骨を軽く炙って出汁を取る。身も軽く炙り、米の上に置き、そこへ鯛出汁を注ぎ、あとは炊くだけ。


 そして部屋には客人が居た。中川清秀と蒲生氏郷である。清秀はよく飲みにやってくるが氏郷は初めてだ。蒲生家は織田信孝の軍団に属してはないが実質的に与している。四国征伐も本当は参加を望んでいた。


 そろそろ雪解けが近い。当然、瓶割り柴田が凄まじい勢いで近江に雪崩込んでくるのは必定。趨勢は信孝の動きで決まる。ならば家運を拓くにはここしかない。


 清秀の話によれば山崎や四国征伐でも作戦の骨子を信孝や長秀に授けたのは広之だろう、と言う。見た目は武将らしからぬ風体であり、おそらく古今東西に通じた兵法家なのかも知れぬ。


 ならば何としてでも近いうち起こるであろう大戦おおいくさでは是非活躍出来るような機会を与えて欲しい。


 そのような思いで用心深い高山重友でなく、中川清秀をおだてまくり、今回同行することが出来た。


「左衛門殿(広之)、それがし若輩の身なれど今後ともお見知り置きのほど……」


「いや、こちらこそ忠三郎殿(氏郷)の武勇はかねがね聞き及んでおります。いずれ存分に才気を振るわれるご機会もありましょう」


「然様な機会がござれば、この忠三郎、命懸けでご奉公いたす所存」


「忠三郎殿、堅い話もそのくらいにせよ。流石は右衛門殿じゃ。この筍のうまいこと」


 そう言いながら、木の葉和えと焼き筍を高速で食べては酒を流し込む。


「ささっ、忠三郎殿も冷めぬうちに。瀬兵衛殿にすべて食べられてしまいますぞ」 


「かたじけのうござる。それではまず」


 氏郷は遠慮がちにタラの芽の白扇揚げを塩山椒に軽く付け口に運ぶ。


「ほう、これは……。まるで春の恵みそのものですな。タラの芽特有の心地よい苦味と程よい食感。衣の加減もお見事。山椒もよい塩梅」


 現代に連れて行けばソムリエとかになりそうだな、と思いつつ清秀を見やる。


「いや、この葱ときたら酒が進むのう」


 清秀は難波葱を口に含むや、間髪入れず酒で流し込む。しばらくして“お初”が鯛めしを持って来た。


「おおう、なんじゃ、この香りは!」


 すかさず清秀が反応する。


「鯛めしでござる。さあ“お初”お客様によそってあげなさい」


 氏郷はまず香りを堪能している。しかし清秀は椀を渡された瞬間口に含む。


「なんと、鯛の味がする!」


(そりゃそうだろ。鯛だし。語彙力……)

「清秀殿の口にあって何よりでござる」


 そこへ“お初”が茶を持って来た。


「めしを半分ほど残し、茶を入れてくだされ」


 広之の言う通りにした2人はそれを流し込む。清秀は一気に食うとお替りし、ひたすらうまいとしか言わない。氏郷は洒落た感想を述べつつ、作り方をあれこれ広之に聞いてくる。


 氏郷は器用そうだけど、清秀は細かい仕事無理そうだな、と思う広之であった。

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