第226話 若狭の浜小屋
幸田家、冬の味覚といえば若狭より送られてくる海の幸だ。塩鯖、塩鰤、塩鮭、塩引き鮭、鮭とば、筋子、いくら醤油漬け、越前蟹、へしこ、烏賊の一夜干し、烏賊の沖漬け、烏賊の塩辛などを浜で加工する。
加工して鯖街道を通じ京まで行き、そこから舟で大坂へ運ぶ。100kmを超える距離であり、1泊2日といったところだ。幸田家における若狭物を支えているのは派遣された士分相当と足軽相当の家臣、そして季節雇いの者たちである。
季節雇いは冬期の間だけ若狭の農民たちが働いている。給金は悪くない上、食事が良いので辞める者はほぼ居ない。毎年、時期になると集まってくる。鮭、鯖、鰤などがほぼ毎日のように食べれる上、お茶も飲み放題だ。酒まで出てくるので辞める道理がない。
幸田家は鯖街道に馬小屋のある番屋を所有している。浜小屋と番屋には風呂(蒸し風呂)さえ付いており、ストーブや囲炉裏があって暖かい。
鯖街道について改めると、先ず経路はひとつではない。大きく分けて、琵琶湖経由のルート、若狭街道、鞍馬街道、雲ケ畑街道、小浜街道、高浜街道・周山街道など、6通りもある。京の都までの距離はおよそ18里(72km)。
こんにち鯖街道といわれるルートの内、最も盛んに利用されたのは、若狭の小浜から熊川や朽木を通り、京の都(出町柳)へ至る若狭街道だ。このルートで通過する保坂峠は比較的穏やかなのもあるだろう。
熊川は史実において西暦1589年から続く宿場町だが、鯖街道の中継地点として栄えた。往時は200棟以上の建物が並び、1千頭もの馬や牛を確保していたという。歴史改変後の西暦1593年において、同様の規模と成りつつあった。
そんな鯖街道には「牛方と山姥」といった民話も残る。牛の背に鯖を背負わせて村に向かう途中、山姥と遭遇するという話だ。他の地域でも似たような説話は多数あるが、鯖街道だと当然牛が積むのは鯖だ。
塩を振ってあるとはいえ、やはり鮮度が命。険しい峠や人里離れた山道を急ぐ魚の運び屋は夕暮れ時ともなればさぞかし心細かったに違いない。また、相応のトラブルが発生する事もあったはず。
さて、若狭の浜小屋を見てみよう。浜小屋の責任者である幸田家家臣安田新三郎は役宅にて、仕入れた魚の決済、雇い入れた人足の給金支払い、京の都へ届け物する際の書状作成、石炭・薪・炭・塩、米、味噌などの買い付け、馬の管理などを行っており、浜小屋へ常駐していない。
現場監督のような役割を担っているのが足軽相当の家臣浜野金次だ。目利き根金次と異名を取り、水揚げされた魚の中でも上等な物だけ仕入れている。そうはいっても、幸田家の買い付けとあっては網元だろうと滅多な真似は出来ない。
網子の中には網元と揉めて安田新三郎へ訴え出てくる者もおり、幸田家はアンタッチャブルな存在となっている。無論、表面上は良好な関係であり、網元の行事や祝い事へ呼ばれたりした。
浜小屋の朝は早く、仕入れた魚を処理して馬子(運搬人)を送り出す。そのあとも簡単な加工を行い、午前中でほぼ仕事は終わる。昼の食事は茶漬けなどで軽く済ませ、後は片付けを終えれば、囲炉裏で茶飲んだりするだけだ。
浜野金次は伴の者を連れ自分たちで食べる魚の買い出しに行く。今日の収穫は真鱈とツバス(小さい鰤)であった。他に豆腐や野菜もある。刺身用の魚を仕入れた時は夕飯も早い。手早く調理されていく。
先ず鍋に湯を沸かし昆布が入る。そこへ鱈、白子、豆腐、大根、長葱などを入れて、酒・塩・醤油・魚醤で味を整え、最後に大量の大根おろしが投入。鱈のみぞれ鍋があっという間に完成した。
ツバスは刺し身にされ、ごまさば、烏賊の一夜干しが出来上がった。安田新三郎も役宅から駆けつけ宴が始まる。
「浜野よ、今日は鱈のみぞれじゃな。味噌も良いが、みぞれも酒に合うから困ったものだ。味噌と異なり淡白な味わいを殺さず、大根が引き立てている。全くもって、殿の考えられる物はどれも美味い」
「殿と申せば、じゃが芋を使った例の物も用意しております」
「あれじゃな。近頃は浜の衆も真似しておるからな。芋は少し柔らかめが良い」
「はっ、心得ておりまする」
ツバスの刺し身は鰤に比べてさっぱりしている。ごまさばは日本海産という事もありアニサキスで当たる確率は低い。その上、24cm以下の大きさであればアニサキスはほぼ居ないとされている。
血抜き処理もされているから鮮度も高く、臭い事もない、これを切って皿へ並べる。そこへ甘い醤油ダレを掛け、すり胡麻と九条葱が散らされており、酒の肴としては申し分ない。
「浜野、ごまさばも寒鯖の脂と相まって、まさに酒泥棒じゃな」
そうこうしている内に茹でたじゃが芋が小皿にのせられ各自へ出された。真ん中へ少し切り込みが入っている。皆、手でじゃが芋をごろごろと転がし、軽く潰す。そして切込みより開くと勢いよく湯気が出る。さらに、烏賊の塩辛が入った壺から木のしゃもじでドバっと掛けた。1分程待って皆一斉に食べ始める。
「浜野よ、これ以上じゃが芋を美味く食べる術は無かろう」
「その通りですな。これを食べねば浜に来た意味がございませぬ」
「何という贅沢じゃ」
こうして浜小屋の宴は続くのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます