第220話  中秋の名月

 天正21年8月15日(西暦1593年9月10日)。本日は中秋の名月であり、幸いにも朝から天候はよく、雨は降りそうにもない。以前、少し触れたが、旧暦と西暦はズレている。その結果、西暦における季節のイメージは現代と昔では違うのだ。


 旧暦においては1月~3月=春、4月~6月=夏、7月~9月=秋、10月~12月=冬となっており、現代の季節感は通用しない。例えば、現代で春鰹などというが、江戸時代なら初夏の風物詩だ。


 土用の丑の日にしても、土用は四季の四立直前18日間を指す。つまり、年に4回ある。夏土用は7〜8月。旧暦では季節区分ならば秋だ。節分は立春の前日なので2月だが、これは新暦を採用しており、旧暦の2月は正月となる。昔は正月の行事だった。


 ちなみに来月は天正21年9月だが、何と9月は2回もある。旧暦は月の満ち欠けでひと月の長さを決めていた。月の満ち欠け周期は約29.5日。12ヶ月では354日ほどの長さだ。


 つまり1年に約11日の誤差となった。そのため、19年に7回の割合で閏月を挿入して調整する。閏月が入った年は、1年が13ヶ月となってしまう。仮に9月の後なら閏9月となる。


 実のところ、現代から戦国時代へ迷い込んだ幸田広之が最も苦悩しているのは旧暦であった。そのため広之は旧暦の欠陥を朝廷方面へ知らしめつつ、正確な観測を普及させ、西暦=グレゴリオ暦を正式に導入したいのだ。その上で曜日の普及も成し遂げたい。


 さて、季節感だけでなく話もズレたところで閏月並みに調整しよう。中秋の名月であるが、十五夜の月を鑑賞する慣習は古代中国に由来するものだ。本場では中秋節というが、原形は秦代以前よりある二十四節季の秋分から来ている。


 やがて、8月15日が節日として固定され、中秋節となった。これが日本に伝わり、平安貴族たちは観月の宴や舟遊びをしたという。水面や盃の酒に映った月を見ながら歌など詠んだそうだ。


 江戸時代になると庶民文化が栄えた。収穫祭などの意味合いが強く、無事に稲を収穫できた喜びを分かち合う日として発展する。しかし、広之によって中秋の名月は畿内で早くも一般へ浸透しつつあった。


 現代の日本と異なるのは月見団子の他に月餅が広まりつつある。幸田家では贈答品として特注の月餅を作り、五徳や浅井二姉妹などが各大名や織田家重臣へ配ってまわった。


 贈答用の月餅を欲する声は高まり、幸田家で営む菓子店で予約販売するようになったのだ。各大名家内においても上司と部下で月餅を贈答しあうのは慣習化しつつあった。


 豆の餡以外にも薩摩芋、南瓜。具は胡桃、胡麻、松の実、麻の実、蓮の実、棗、栗、蓮根、生落花生など。広東式の月餅は塩漬けにした卵(家鴨や鶏)が定番だ。しかし、幸田式の月餅は豆餡に薩摩芋や南瓜へ少し紅花を加え、団子状の物が入っている。


 幸田式月餅は試作段階から腐敗や劣化の度合いを徹底的に確認した結果、焼きはかなり強く、中身も糖分や塩分濃いめであった。そのため、サイズはやや小さくしてある。


 さて、幸田家の台所では、中秋の名月用の供え物や料理の準備が進んでいた。一方で五徳と浅井二姉妹は午前中から月餅配りに忙しい。五徳、初、江の順で相手の格式が違う。


 京の都は幸田家の家老格である惣組頭(取次役頭)が受け持っている。最も件数が多いのは江だ。織田家の重臣、豪商、高僧など範囲が広い。留守中の対応は今年から福が抜擢されていた。年齢は15歳(数え)となり、この時代嫁いでもおかしくない。


 夕方になり、供え物が飾られた。特製の台へ、酒、米の団子、薩摩芋、南瓜、里芋、栗、梨、イチジク、葡萄、ススキを始めとする草などが並べられている。広之や五徳たちも戻ってきた。一同、そわそわしながら日没を待っている。


「と、殿〜。月がしかと見えまする」


 風呂上がりのマッサージを受けながら子供たちと遊んでいる広之へ小姓が報告してきた。やがて、完全に暗くなり月は輝いている。おもむろに広之は庭へ出ると供え物の台へ手を合わす。


 その後、五徳、初、江などと続き、一応儀式的な事は終わった。後はお楽しみの宴である。豪勢な食事というわけではないが、昔の人達は初物や縁起物にはとても敏感だ。


 中庭を望む廊下に席が設けられている。そこへ膳が並べられた。先ず甘い物が並ぶ膳には、粟団子、みたらし団子、南瓜のタルト、月餅、イチジク、梨、葡萄。


 もうひとつの膳には、栗ご飯、すいとん、蕎麦掻き、蘇式月餅(蘇州)、蛸と里芋の炊き合わせがのっている。子供に甘酒、大人は普通の酒が出された。甘味用にお茶もある。


 粟団子は粒感のある粟と、潰した粟が程よく合わさっており、薩摩芋の餡が入っていた。蘇式月餅は豚肉を使っており、甘くない。一般的な月餅に比べると焼色は濃くない。おやきのような感じだ。


 ある程度食べると、蕎麦掻きや蛸と里芋の炊き合わせで酒を飲み始める一同。こうして名月(完全な満月というわけではない)を愛でながらの宴は続くのであった。












 

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