第153話 大坂前蕎麦の味わい

 1月7日となり幸田家では恒例となっている七草粥我朝食として全員に出された。


 春の七草などを具材とする素朴な粥だが、正月の飲酒などで弱った胃を労り、1年の無病息災を願って1月7日に食べる。行事自体は平安時代からあったようだが七草粥として成立したのは江戸時代だという。


 由来は『荊楚歳時記(6世紀の中国古典)』とされている。そもそも、正月の決まった日に何か食べるという古い風習があったらしい。 


『西京雑記(前漢に関する逸話や逸事)』や『金匱録(後漢から東晋あたりの成立と見られる)』によれば、正月上辰日(月最初の辰日)に特定の植物を食べる金匱録風習が記録されている。


 時代が下り、日本の『御伽草子(鎌倉時代から江戸時代まで数多くの物語がある)』で七草草子(室町時代)には辰の刻に七草粥を作るとあり、習合された形だ。


 各地域で七草の内容は異なるが、幸田家においては芹、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろを使う。すずなは蕪の葉ですずしろは大根の葉である。


 初めて数年にもなるが武家、公家、商人にも広まりつつある。細川忠興はこの慣習と由来が七草草紙である事を聞くと、それが博識な父から公家へ伝わった。 


 公家や家格の高い武家からすれば一般の武家は教養的に劣る場合が大半であろう。だが広之は日本書紀や古事記に精通している他、唐(中国)の歴史や漢籍さえも熟知。その上、御伽草子の七草草紙から引用するというのも深い知識と教養無くば難しい。


 広之は文学書籍も多数執筆(広之が語ったものを家臣が書いた)しており、公家も一目置いている。基本は盗作で、グリム童話、シェークスピア、児童文学をアレンジしただけだ。


 シェークスピアであればリア王風の老守護やヴェニスの商人ならぬ堺の商人。児童文学では飛騨の童女、伏見の犬、母を訪ねて三百里、小公子聖良など好き放題やっている。無論、公家たちは盗作である事など知らない。


 さて七草粥を食べ、昼も軽く茶漬けで済ませた広之は夜が待ち遠しかった。今日は蕎麦三昧とかねてより決めている。大晦日にも食べているが、かなり手抜きだ。どちらかといえば蕎麦で飲みたい。


 更科、挽きぐるみ、田舎蕎麦、藪蕎麦系などあるが、広之はどれも好きだ。気分の問題となるが今回は殻ごと挽いた田舎蕎麦につなぎとして布海苔を加えた西馬音内蕎麦(現秋田県羽後町の名物)で行く。


 西馬音内蕎麦は冷がけスタイルだ。器へ盛り、九条葱、大根おろし、海苔、削り節などをのせる(本場では特に決まりはない)。


 広之が蕎麦を食べる時はかなり力を入れるので五徳たちも楽しみだ。蕎麦切りが普及するのは本来であれば元禄期からである。しかし、すでに大坂では人気の食べ物となり、大名たちが領国へ普及させていた。


 さらに、蕎麦焼酎も人気であり、蕎麦需要は高い。本来、救荒作物であった蕎麦は作付面積も増えいる。米が不作の時を考えれば好ましい傾向だ。


 この日から幸田家では無煙炭のストーブが稼働し、皆喜んでいる。そうこうするうちに料理が運ばれてきた。先ずは、あおさ板海苔、タタミイワシ、カラスミ大根、揚げ蕎麦、蕎麦豆腐(葛で固めている)、身欠き鰊の甘露煮が並ぶ。


 広之はおもむろに、あおさ板海苔とタタミイワシを囲炉裏で炙る。どちらも密かに開発していたものだ。あたりに磯の香りが漂う。軽く炙っては次々と皆へ配った。


「さあ、そのまま軽く千切って召しあがれ」


「これは、味噌汁に入っているあおさ……。あれを板海苔にするとは。これは香りが実に良い」


 五徳はあおさ板海苔を嬉しそうに口へ運んだ。


「左衛門殿、こちらの小魚も実に美味ですなぁ」


「於初殿、それはタタミイワシというものですが、見ての通り畳に似ておりますゆえ……」


「左衛門殿、魚であることは見てわかりますが……」


「五徳殿、鰯などの稚魚を塩水で洗い、すのこの上に型枠を置き、薄く広げます。そのまま2〜3日ほど干して乾けば出来上がり。ただし運ぶのが容易ではござりませぬ」


「手間がかかりますなぁ。しかし、これでは酒がいくらあっても足りませぬぞ。せっかく正月の酒が七草粥で抜けたというのに……」


 イルハたち女直の3人も口に合うようで、物珍し気に食べている。広之はカラスミ大根で熱燗をちびちびやっている。


 蕎麦豆腐と身欠き鰊の甘露煮も評判がいい。皆して熱燗が進む。


 さらに蕎麦味噌、豆腐の柳川風、穴子の天ぷらが運ばれてきた。豆腐の柳川風は硬めの豆腐出汁の張った土鍋に入れ、ささがき牛蒡と芹を加えて卵でとじ、九条葱をのせて食べる。広之は少し山椒を掛けた。


 広之は穴子の天ぷらを1本平らげると豆腐の柳川風を満足気に食べつつ2本目の熱燗をお替りする。他の者も段々言葉少なくなり、飲み食いに集中していた。


 皆が2本目の熱燗を飲み干すタイミングで西馬音内蕎麦が出される。大量の温泉卵もザルに入れて置かれた。


 広之は日本酒の冷を持ってこさせ、先ずは軽く蕎麦を飲み込む。少し食べた後で薬味など混ぜる。そして最後は温玉2個割って軽く崩すと黄身を絡めながら食べた。無論、冷酒も進み、蕎麦を完食するまで1合飲み干してしまう。


 その後は、冷酒のお替りをして、まだ残っている蕎麦味噌や豆腐の柳川風を摘みながら飲む。


 正月の間、餅が主食でうんざりしていた五徳たちは思う存分飲み食いするのであった。宴はまだ続くようだ。

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