第154話 闘神ナーレスワン大王

  西暦1592年2月下旬(天正20年1月上旬)。乾季のシャム(現在のタイ王国)では雨季作の新米が出回っている。その一方で乾季作の苗代作りが始まっていた。


 稲作の気候に恵まれたシャムでは年に2回の収穫は当たり前。水利や灌漑堰など条件が整えば3回どころか4回も可能である。また時期を調整し、ほぼ毎月新米などという日本では考えられないような事も出来た。


 陸稲栽培が主体であり、東北部などでは糯米が主食となっている。小西行長たちは雨季作の水稲栽培、それも日本より持ち込んだ種籾で農民に栽培させていた。肥後で採種されたものを使っており、行長はその味に満足している。


 品種改良を行いながら、買い付ける米の半分くらいは水稲栽培の日本米とせよ、というのが織田幕府からの指示だ。


 シャム国王であるナーレスワン大王の理解を得るため日本米の新米を献上した。その時、一緒に料理も作って出している。天ぷら、鶏の唐揚げ、焼鳥、焼餃子、豚の角煮、肉じゃが、豚汁、味噌おでんなどだ。 


 ことのほか喜んだナーレスワン大王は現代におけるサムットサーコーン県、チョンブリー県、ラヨーン県、チャンタブリー県での日本米栽培を許可した。


 大王は古式ムエタイの創始者とされている人物だ。生きる闘神といっても過言ではない。ミャンマーで捕われの身となっていた時代に編み出したとされる。それを知っている幸田広之は日本から相撲力士を同行させた。


 大王の御前で相撲の試合を行って大いに喜ばせたのはいうまでもない。その後、行長は言葉巧みに大王の伝説的な強さを見てみたいなどと(通訳を介して)懇願し、勝った南斗山不動と試合させる事に成功。


 無論、南斗山不動には悪徳プロモーターよろしく口が酸っぱくなるほど空気読むよう因果を含めた。


「皆の者、よく聞け。余がこの線より下がったならば容赦なく弓で撃つがよい。さあ日本の戦士よ、うぬが突きを余に放て」


「お奉行様(行長)、殺っちゃって良いのですな」


「手加減無用じゃ。大王陛下に失礼無きよう思う存分立ち向かえ」


 先ずは南斗山不動が一方的に攻め込む。嵐のような突っ張り。だが微妙に急所は外している。防戦しつつ大王は反撃のローキックを見舞う。全く効いてはいないが、必死に耐える振りをしつつ、よろけながら抱きつこうとする。


 それも隙だらけだ。大王はここぞとばかり肘打ちから膝蹴りの連打を炸裂させる。南斗山不動は必死の形相で耐えながらサバ折りに行った。しかし大王の剛拳が南斗山不動の顎を捉えると、ついに轟沈。白熱の内容となった。


 負けた南斗山不動は日本最強で30人ほど相手を殺したとか、凶暴な牡牛や人食い熊を一撃で倒したなどと行長は吹聴。大王は突っ張りで顔面を紫色に腫らしながらも家臣たちへ得意気に自慢した。記念して石碑を建てるとまで言い出すほどだ。


 自身が倒した南斗山不動へ米百俵や大王の短刀、さらには象まで贈るなどした。後世ではナーレスワン大王が身長2m42cm(8尺)、体重375kg(百貫)の力士を倒したと語り継がれている。


 南斗山不動に関する伝説も多数ある。一部を紹介しよう。


―象を一撃で倒した

―象を持ち上げて投げ飛ばした

―海に飛び込んだら津波が起きた

―牡牛が睨まれただけで気絶した

―1度の食事で5合のどんぶり飯を10杯食べる

―チャオプラヤー川を歩いて渡った

―巨大な丸太を投げてミャンマー兵を1度に百人倒した


 この接待試合の他にも大王へ数々の贈り物が渡されている。広之がデザインした某世紀末覇者○王風の兜や甲冑。さらに送り込まれた狩野派絵師が描いた大王の絵など。


 エーカートッサロット公嫡男スタット親王に織田信長の娘を正室として送り出すことが、ほぼ決定している。行長も爵位を与えられておりナーレスワン大王から信望を得ている。


 日本とシャムが蜜月状態となって割りを食らったのはポルトガルである。そもそも時計、地球儀、硝子製品、鉄砲、大砲などの他はアジアで買い付ける商品しかない。


 日本から金、銀、銅が得られないのは致命的だ。その上、日本は東南アジアへ爆発的な進出を展開しており、シャムが欲しがる物を全て調達。さらにシャムが売りたい米も大量に買い付けていた。


 仏教国のシャムで十分な布教も出来ず、ポルトガルの地位は見る影もない。さらに幕府はポルトガルからマラッカを奪い取られたジョホール国と親密な関係であり昭南島(現シンガポール)を租借している。シャムとジョホールは仇敵であったが幕府が間に入り敵対状態からは脱した。


 そうなるとポルトガルはミャンマーが頼みの綱であり、さらにイスパニア含めてカンボジアへ急接近中だ。実のところカンボジアは日本にも接近してきたが、中立の立場を表明。最低限の貿易に留めていた。


 日本を永久追放されたアレッサンドロ・ヴァリニャーノはマカオで報告やら事後処理が済み、チャンパやカンボジアへ活路を見出し、活動に意欲的だ。特にカンボジアはシャムから攻められ、瀕している。小西行長へ仲介するなどと近づき、さらにはフィリピン総督を抱き込み、巻返すべく奔走していた。


 しかし、これが後に大きな裏目となる。その事をヴァリニャーノは知る由もない。

 


 

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