第302話 秀吉と清正
西暦1595年初秋。丹羽長秀はエテルニタスにてロシアや中央アジア地域に対する暫定的な仕置を行なった。モスクワ周辺の地域を東露斯亜州として、州都をニジニ・ノヴゴロドへ置く。
それまでヴォルガ川より西は東露斯亜と呼称していたが、範囲を狭める。ロシアに類する地名を限定的として将来へ禍根を残さないためだ。
また、北コーカサス地方、ドニエプル川の下流域、ドン川流域、旧カザン国、旧アストラ・ハン国、ノガイ・オルダ、シビル・ハン国、ウラル山脈周辺地域、カザフ西部などに及ぶ地域をアガルタ州とし、州都はエテルニタスへ置かれる。
アガルタという名称は幸田広之が決めたものだが、現代のオカルト界で、地底王国の都とし知られており、造語に近く、無難といえよう。
19世紀後半、インドのフランス植民地で裁判官をしていたフランス人による『神の子』という著書がある。そこに太古の時代存在したアスガルタという都市が記されており、インドの伝承とされているが、疑わしい。
北欧神話のアースガルズに類似しており、そこから着想を得たものであろう。地球空洞説や神秘主義を唱える者たちによってアジアの地下にあるとされるアガルタは関心の的だった。
シャンバラは元々ヒンドゥー教のプラーナ文献に登場する理想郷であり、アスガルタのイメージと重なって現在は、地底王国シャンバラの首都がアガルタとされる事が多い。
さらに、現代でいうところのトルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン、カザフスタン東部、カシミール地方などはオクシアナ州とされ、サマルカンドが州都だ。
新疆ウイグル自治区や青海省に該当する地域は関西州(嘉峪関の西という意味)となっており、斯伯利亜州(シベリア)もそうだが、あくまで暫定的な呼称に過ぎない。
ウクライナについては現在、戸田勝成率いる幕府同盟軍がカザーク(コサック)を討伐しており、周辺のウクライナ貴族へ宿営代や物資調達などの対価を十分払いつつ、交流を図っている。
その気になればキエフ(キーウ)へ侵攻出来そうだが、まだ時期早々といえよう。本来ならばドニエプル川の東側はクリミア・ハン国へ譲る予定だった。
しかし、クリミア・ハン国の主要貿易品がウクライナでの駆り集める奴隷のため、あまり介入させない方針へ変更している。
クリミア・ハン国からは大量の馬、牛、皮、乳製品、穀物、酒などを買い入れつつ、資金援助を行っているため、向こうも強くは出てこない。
そもそもオスマン・トルコの属国であり、宗主国の命に反することは困難だ。さらに、長年の遠征で国は疲弊仕切っている。ドン川流域やドニエプル川流域に色気はあるが、カザークを討伐してくれるだけでも十分有り難い。
また、ロシアについてはモスクワの中央政府と本家偽ドミトリー皇子を擁立したヴァシーリー・シュイスキー率いる反政府軍の他、親スウェーデン派と親ポーランド・リトアニア派もそれぞれ偽ドミトリー皇子を神輿としており、激しい内乱が行われている。
幕府はシュイスキーを支持しており資金提供や東露斯亜各地から義勇兵が送り出されていた。しかし、他を圧倒出来る程ではなく、微妙に匙加減が行われている。
幕府はロシア領内から破格の価格で馬、牛、皮、火薬、鉄、穀物、酒、油などを買い集めており、何れも不足した上、それらの価格は急騰していた。
さらに、幕府は高い金を払うが、それ以上に煙草、阿片、砂糖、茶などを売っており、収支は黒字である。
「殿、それがし(加藤清正)は誠に織田家直参となってしまうのですか……」
「そなたと市兵衛(福島正則)や与右衛門(藤堂高虎)は儂とて手放すのが惜しい。されど、幕府や日本のためじゃ。羽柴家に埋もれるような器にあらず。特に虎之助、そなたが黒田、脇坂、小西に劣るはずもなかろう。存分に活躍してくれるのが、儂や寧々への孝行というもの」
「承知いたしました。ただ、羽柴家に何かあらば直ちに帰参する所存。ところで佐吉殿は……」
「不思議とあやつの名は全く出ぬ」
「天下の才たる力を持った人物でございましょう。されど人の心を分かっておられぬ。正しき事は正しい、正しくない事は罰するというのは間違ってはござらん。しかし、佐吉殿はいささか狭量にて、そこへ至るまでの経緯や流した汗を軽視いたしますな」
「それをいうな。誰しも欠けるところはある。何れ家老にするつもりで育てておるゆえ、人の上に立つ器量を身に着けて欲しいものじゃ。地位が人を作る事もあろう。日本を出てからあやつも苦労の中で少し変わってきておる」
そこへ昼食が運ばれてきた。柔らかめの焼き立てフランスパンにハム、チーズ、ズッキーニ、玉葱、トマトソースが挟まっている。いわばバゲットサンドだ。他にもビーツとじゃが芋のスープ、グリンピースなどが並ぶ。
「さて、食べるとしよう。焼き立てのフランスパンは実に美味い。八丁味噌を付けてもよいな。岡崎城から八丁離れたところに蔵があり、そう名付けられたと聞く。今、エテルニタスにも蔵を作っておる。岡崎から八万丁離れているとして八万丁味噌とでも名付けようかの……」
答えに困る清正であった。
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