第402話 マリアの大坂食い倒れ②

 マリア・デ・メディチと侍女たちは田舎の古民家をモチーフとした茶荘を出て御堂筋から清洲町(宗右衛門町)へ向かっている。まだ日は落ちていないものの、ここから夜の帳が下りまで早い。


 しかし、この辺は大坂市中有数の繁華街だけあって、夜になっても飲食店の店先には灯が燈され、周囲を煌々と照らす。まるで蛍の如く儚く幻想的だ。


 現在、尾張堀(道頓堀)界隈には数百の飲食店が営業している。店舗のほか、固定式屋台や天秤棒担いだ流し売りなどで賑わっていた。当時の欧州ではパリやロンドンのような大都会でさえ飲食店は少ない。


 そもそも外食文化が近代に入るまで大きく発展しなかった。金持ち御用達のレストラン以外はカフェ、パブ、旅人用の食堂などが僅かにある程度だったようだ。


 つまり、貴族や富豪の食べるような高級料理と家庭料理の中間が育たなかった。ちなみに、フランス最古のレストランはパリのトゥール・ダルジャンで、創業は西暦1582年だという。アンリ4世もお気に入りだったようで、トゥール・ダルジャンといえば鴨料理で有名だ。


 マリアたちの常識からすれば、これだけの飲食店が存在し、夜間も賑わうというのはにわかに信じ難い光景である。尾張堀界隈は流石に高級店が多い。しかし、庶民向けの茶店・うどん屋・蕎麦屋・唐蕎麦屋(ラーメン)・天ぷら屋・田楽屋・大坂炊き屋(おでん)・釜飯屋・茶飯屋・茶漬け屋・居酒屋なども繁盛していた。


 庶民でさえ毎日のように風呂へ入り、茶を飲み、外食するというのは想像を絶する。家屋だけ見れば欧州の方が一見立派に見えよう。しかし、石や煉瓦で作られた建築物ほどの堅牢さはなくとも、寺や富豪の家は造作が丁重だ。


 畳や障子にしても時折張り替えるため、比較的清潔といえる。清潔といえば履き物もそうだ。日本人は足袋と草鞋・草履・雪駄・下駄だが、庶民は足袋を履かず裸足の者も居る。


 座敷へ上がる時は洗えば清潔だ。されど、欧州では部屋でも靴を脱ぐ習慣は無い。その上、現代のような短い靴下でなく、男性なら靴下と一体型のタイツを履く。また貴族の女性などは麻・絹・ウールなどの靴下というかストッキングだが、これらも長い。


 マリアたちは日本に来て、ウールや絹の靴下(ストッキング)を幕府から沢山支給され感激した。あまりにも履き心地が良い。これは、現代で設計された編み機によって織られた物だ。


 それでも靴を履き続ければ、やはり臭くなってしまう。日本では頻繁に履き物を脱ぐため、悩みの種となっていた。そうなると最初は日本人女性が履く雪駄姿を好奇な目で見ていたマリアの侍女たちも笑えない。靴を脱ぐたび馬鹿にされてるような気さえする。


 さて、マリアたちは急がず、ゆっくり散策しながら焼鳥屋へ入った。一昨日、初めて訪れたが、あまりの美味しさに驚き、2度目の来店だ。


 最初は何の店か分からなかったが、あまりに良い匂いがするため、釣られて入った。お任せで頼んだが、どれも美味しく、思わず深酒をしてしまい、1日置いてからの再訪だ。


 マリアたちは、席に着くと酒を注文した。まずは梅酒を選び、食前酒の如く飲む。しばらくすると、合鴨のつくね碗みぞれ仕立てが出される。


「マリア様、これは鴨でございますね。風味もよく、なかなかのお味」


「アデリーナ、鴨の脂は結構癖があります。これは、一旦茹でてから叩いたのでしょうね。さらに、このすりおろした白い野菜(蕪)が素晴らしい。また、レモンのようなもの(柚子)がほんの少し散らされ鴨のくどさを消し、味わいを引き立ててます。ワイン、バター、ベリーなど使わずにこれだけ鴨の風味を殺さず活かすとは素晴らしいですね」


 さらに、串焼きが次々と登場した。ねぎま、せせり、はらみ、ぼんじり、ささみ、皮、手羽、つくね、砂肝、ハツ、ちょうちん、肝などだ。


「あらあらロレッタ、少しお酒のペースが早いわね」


「マリア様、鶏が塩だけでこれほど美味しくなるとは信じらません。醤油を使った方も美味しくて、つい酒が進んでしまいます」


「本当にそのとおりねえ。塩だけで、これほど美味しくなるなんて思いもよりませんでした。木炭を使って焼いているようですが、燻製のような芳ばしさも感じます。燻製に使うチップも使い、少し燻してるのかも知れませんね」


 その後も鶏の唐揚げや鶏牛蒡めしなどを食べ、すっかり出来上がってしまうマリアたちであった。


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