第38話 キリスト教徒対策と燻製祭
また妙な問題が発生した。何と織田信孝がクリスマスをやりたいなどと言い出したのである。いつ洗礼をしてもおかしくない状態だ。
一応本人にも自身の立場に対する自覚があって、最後の一線は超えないようにしてはいる。織田政権内における高山重友の出世で気を良くしたイエズス会のルイス・フロイスなどは彼を通して信孝を洗礼すべく躍起となっているようだ。
教会を通して日本人キリシタンたちには、信孝がサタン(明智光秀)を討ち倒せたのはデウスのおかげだと言い回ってると聞く。そもそも信孝はキリスト教に対する理解が浅いうえ、一神教世界と東洋的な宗教観の違いを理解していない。
その辺は広之からの説明でそれなりに理解した。だが、ピンとはきておらず、隠れキリシタンみたいな状態になっている。信孝は織田幕府成立後、宗教について以下のような令を出すことへ合意していた。
『何人たりとも何を信仰するかは勝手次第。如何なる神や仏であろうと同等であり、害すことを禁ず』
要約すれば以上のような内容で、現代で言えば日本国憲法19条:思想・良心の自由に近い。
つまりキリスト教徒になるのはまったくの自由。ただし信徒が他に薬師如来へ祈ったり、お伊勢参りしようが、それも自由。ただし、イエズス会士が布教において、他の神仏を否定するのは許されない。
また、異国人が日本で布教する場合は先の令を受け入れ、遵守することを誓わせる。違反があった場合は調査・審問対象になり、最悪の場合は教団(教会)の解散となってしまう。
政治的批判や反国家・社会的な言動・活動も禁止事項となり、違反は厳しく罰せられる。信孝はこの案を「日本のためなら仕方なし」と受け入れた。だが、そういう法なら進んで実践したいと言ってきたのである。
つまり仏教徒の自身がクリスマスを祝ってもよいだろう、と。流石に広之も反対出来ず「御意」としか言えなかった。
どうもクリスマスのことは重友から聞いて知っていたようだ。無論、教会に行くとかでなく月見程度のものでよいという。
一体、何を作って食べさせたらいいのか当然迷う。いっその事、フライドチキンと寿司でも出そうかとさえ思った。白餡でミルフィーユ作ろうかと思ったけど、この時代、西洋人もそんなもん食わないはず。
ということで本来の形で行くことにした。イエスが居たであろう時代の食事を再現する。やってることは竹子や五徳の説明で食ったこともない粕汁や茶飯作った台所番とたいして変わらない。
種無しパン、
こんなものだろ。以前、重友にもらったワインがまだある。何とか形は揃う。そんな時、茶々がやってきた。
「左衛門殿、この間食した燻製と申すものは他にも作れますなぁ」
「流石、茶々様、よくお分かりで。大体のものは燻製に出来ます」
「そうなのですなぁ。夕刻、また皆で参りますので、お頼み申します」
そういうと去って行った。この時代の人に燻製が口に合うか心配したけど、酒の肴にあれ以上のものないと悟ったようだな。それは何より。
燻製仕込まなきゃ駄目だな。お初と哲普を呼ぶとさっそく準備に取り掛かる。燻製にも何種類かあるが、今作ってるのは熱燻と言われるものだ。
本当は冷燻をやりたいが寄生虫を考えると怖い。冷燻はその名が示す通り、低温の煙で燻す。陶器で器具作れば出来るはず。
燻した煙を器具から竹筒などを通して燻製室へ送ればよい。少なくとも理論上は。しかし強い熱か冷凍にしないと駄目。アニサキスは厄介。疑わしきは罰す、で冷燻は封印する。
新巻鮭を切り、風乾装させた後、燻製。そこから、また干したものはすでに出来上がっている。鮭とばみたいなものだ。
好みはあるだろうが、熱燻なら出来たてはうまい。塩引き鮭、塩鰤、鮭とばは全員揃う直前に作る。あとは塩鯖、鮭の漬けたやつなどは作り置き。
さらに蛸、豆腐の味噌漬けも加える。燻製や干物以外は玉子豆腐、鮭の三平汁(じゃがいもの代わりに里芋で)、新巻鮭の氷頭なますと大根のなますでいいだろ。
お初は試し焼きとお毒見と称して鮭とばで軽く酒を飲んでいる。一応、武家屋敷なのにどういう家風なんだ。そういう家風なのだろう。
ちなみに幸田広之の屋敷は幸田孝之や岡本良勝の屋敷が両隣。現代ならスメハラや飯テロもいいところ。食材や料理のお裾分け、家人の招待など、その辺余念ない。
そうこうしていると竹子たちがやってきた。なんと今日は信孝と三法師も居る。お初と哲普が食べる分の玉子豆腐が消えた。
「左衛門、ナタラの祝いは首尾やいかに」
戦国時代、イエズス会はナタラという名称でクリスマスを祝ってたという。クリスマス休戦さえあったという記録がある。
「はっ、献立はなんとか出来て候」
「殿はいつからキリシタンになられたのじゃ。そもそも織田家の御先祖は越前の神社神官だと聞きましたぞ」
「キリシタンではないがは古来より様々な神が海の向こうから参られておる。神をもてなすは礼儀。無論、先祖や古き神も十分に祀る」
「ナタラとは何でしょうや」
五徳が尋ねる。
「儂より左衛門に訊くがよい」
「ひ、左衛門殿、よもやキリシタンとは。聞いておりませぬぞ」
「五徳殿、いやキリシタンではござりませぬ。ただ、学問として色々詳しいだけのこと。ナタラというのは天神のような身であるイエスが地上へ降り立ったことを祝うものです。少し違いますが、古事記で言うところの
「答えになっておらぬではないか。そのナタラを何故殿が行うのじゃ」
「まあ、神ですからな。様々な出自の神が居り、それを祈ること自体に問題はござりませぬ。しかし我が神は優れており、信ずる我は選ばれた者だとか他者を否定するのは駄目ですな。そこで上様が率先して異国の神を拒まずに寛容な態度を示すのは万民の信仰を認めるべきもの。心の在り方は人それぞれであり……」
広之が吉田松陰や板垣退助並の一君万民論のさらに上を行く、封建社会においては危険思想みたいなことを長々と話す。信孝は満足気に頷いている。
「もうよい。ナタラとは何をするのじゃ」
「はっ、貧しきものに施すとか、教会で祈るとかではないか、と。無論、殿とそれがしはキリシタンではありませぬゆえ、十五夜などするかのように因んだ食物を頂くという趣向」
「因んだ食物……」
「はっ、御台様然様にて。イエスは天竺より遥か西方の地、ガリラヤという湖にゆかりがございます。その土地でイエスが食していたものをお出し致します」
「分かり申した。お好きになされるがよかろう……」
「それでは燻製を存分にお召し上がりくださいませ」
燻製の盛り合わせ、玉子豆腐、氷頭なます、大根なますなどが各自の前に置かれた。三法師は玉子豆腐を喜んで食べてる。
各々、燻製を食べているが、広之は鮭の三平汁を配ると囲炉裏で鮭とばを軽く炙り始める。それはそうと氷頭なますには誰も手をつけない。
「上様、そちらのなますは鮭の頭でして、大変な珍味となります」
「ほう、珍味とな。うむ、これは美味、酒が進むのう」
信孝の言葉を聞くや、三法師以外一斉に食べだし、目を丸くしている。
浅井三姉妹と三法師たちは三平汁をうまそうに飲んでいる。三法師の分は予め骨を外したものだ。
蛸の燻製も人気で瞬く間に無くなった。
「左衛門殿、この色がくすんだものは……」
「於茶々様、それは豆腐の味噌漬けを燻製にしたものです。塩麹と味噌を混ぜて、そこへ豆腐を入れて何日も漬けたもの。是非、お召し上がりを」
「こ、これは。なんという美味。もはや豆腐ではありませぬな」
三法師含め、全員食べるや狐に包まれたような顔をしている。ほぼチーズであり、味わったことのない味わいだ。
「これも珍味じゃな。酒がいくらあっても足らぬわ」
清酒、濁り酒、焼酎(泡盛)梅酒など凄い量が出ていく。熱燗も間に合わない。
気づいたら五徳が広之の横に座り、手伝いや酌をしている。
それを満足そうに信孝と竹子が眺めながら酒は止まらない。
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