第158話 シャム国の楽園“波多谷(パタヤ)ビーチ”

 小西行長は弟の行景と船に乗り込んだ。行景は主に軍事担当として普段は日本人部隊を指揮してアユタヤ朝の軍事作戦へ従事する身である。現在、カンボジアは没落の一途を辿りシャムへ攻め掛かってくるような力はない。


 ジョホール国は仇敵のような関係であるが、織田幕府の仲介により、小康状態だ。問題は北方のラーンナー国とラーンサーン国だ。ラーンナー国はミャンマー人が直接支配し、ラーンサーン国はミャンマーのタウングー朝に従属している。

  

 ミャンマーのタウングー朝はバインナウン王の下、版図を一気に拡大した。現代で言えばミャンマー、タイ、ラオスという広大な領域に覇権を確立。


 しかし、国内にモン族、シャン族、カレン族などが居る上、西部にはラカイン族のアラカン国もある。さらにミャンマーとシャムやラーンナーの間には山脈が隔て、移動はままならない。


 ミャンマー族はイラワジ川(現代におけるエーヤワディ川)流域の都市国家連合群にしか過ぎず、そのへんはシャムと同じようなものだ。


 インドシナの風雲児バインナウン王が西暦1581年に無くなると四分五裂状態。つまりナーレスワン大王はバインナウン王亡き後の混乱に乗じて独立を果す。


 しかし、ラーンナー国はミャンマーに近く、直接支配されており独立は難しい。それでも本国から簡単に援軍は来れない以上、ナーレスワン大王率いるシャム軍が攻め込まない手はないだろう。


 こうなるとラーンナー国は草刈り場でしかない。史実では西暦1600年にシャムはミャンマーの王都ペグーを落とす。その歴史がわかっている以上はナーレスワン大王という勝馬に乗るのが得策だ。


 小西行景率いる日本人部隊は銃武装している上、勇敢な事もあり、もはやシャム軍の精鋭部隊である。久し振りにバンコクへ帰還した行影を連れて行長は海路で波多谷(パタヤ)へ静養のため行こうとしていた。


 今は乾季で暑すぎることもなければ、雨も殆ど降らない。エメラルドグリーンの海を船は進み、1日掛かりで波多谷に到着。波多谷には幕府の保養施設もある。専用ビーチにある建物では行長たちの到着を持ちつつ、万全の用意がされていた。


 生きた熊海老、アサリ、岩牡蠣、バイ貝、渡り蟹。そしてアオリ烏賊、プラーガオ(ハタ系)、太刀魚などが揃っている。


「兄上、やはり波多谷は良いですな」


「サムットサコーンの海も悪くはないが、あそこは塩田だらけじゃからな。何かとせわしく雰囲気が今ひとつ……」


「これで温泉でも出れば言うことはないのに」


「それは贅沢にも程があるじゃろ」


 話していると料理が運ばれてきた。タピオカ粉の幅広い春雨のような物をナンプラー、砂糖、にんにく、生姜、唐辛子、パクチー、干し海老、マナオ、ソムオー(文旦)、海老、烏賊を和えたヤムウンセンヤイタレーだ。


「唐辛子を使うのは良いが食べる度に辛くなって行くのぉ」


「兄上、それでもナンプラーや干し海老の味わいと海老や烏賊が加わり実に美味い。ソムオーの苦味やマナオの酸味。やはり、この料理には辛さが必要ですな。唐辛子がなければ物足りない」


 さらにアサリの牡蠣油と豆豉炒め、バイ貝、空芯菜のにんにく炒め、焼いた烏賊、ココナッツの身に入った海鮮スープなどである。


「七右衛門(行景)よ、これはどれも美味いやつじゃ。地味だが空芯菜ときたら……」


「たまり味噌みたいな物とにんにくが実に合いますな。こちらのアサリも酒との相性抜群。酒が止まりませぬ」  


「アサリと牡蠣油が相まって不味いはずがなかろう」


「いやいや、ごもっとも」


 これらの料理で酒を1時間程飲み食いしていると、いよいよメインが登場。プラーガオ(ハタ系)の清蒸、熊海老の塩焼き、太刀魚の塩焼き、プーパッポンカリー(渡り蟹の卵とじカレー炒め)、牡蠣の香草焼きなどが並ぶ。


「七右衛門、プラーガオがきたぞ。これも実に美味い」


「兄上、先程から美味いと言い過ぎですぞ。しかし、やはり美味いですな、これは……」


 プラーガオはハタの一種だが、そもそもハタという魚はない。マハタ、キジハタ(アコウ)、クエ、アカハタ、ミーバイなど様々な種類があり、どれも美味く、ハタに外れなしともいえる。


 アラという魚もあるが鱸(スズキ)系だ。ただ、九州のアラはクエの事を指しており、ややこしい。某グルメ漫画で有名になったアラはクエだったりする。


 2人共、次に熊海老の塩焼きを食べると、牡蠣へ手を出す。太刀魚も少し食べ、プーパッポンカリーへ移行。これもカレー味とナンプラーが相まって後味を引く。


 タイ料理はナンプラーもさる事ながら、甘味、酸味、辛味の他、にんにく、生姜、生胡椒、ハーブなどが重なり、美味さが何倍にも増幅される。さらにココナッツミルクや海鮮類が加われば暴力的な味わいだ。


 そのようなタイ料理の下地がバンコクにおいてはシャム料理として完成しつつあった。ただし唐辛子は現代でプリッキーヌといわれる猛烈な辛さで知られる品種はまだ無く、それほど辛い味付けはない。


 行長と行景の兄弟は翌日も酒を飲みつつ波多谷の休日を堪能するのであった。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る