第222話 どうする徳川家康?

 丹羽長秀が呼和浩特方面へ遠征したあとも遼東は落ちついていた。日本から今年最後となる物資も届き、越冬の準備に余念がない。留守を任せられていた徳川家康は隙あらばチャハル部が襲ってきたり、李成梁の残党が蜂起する可能性など懸念していた。


 そうはいっても家康は普段と変わらず落ち着いている。末端の統治は村方三役や町方三役のような方式で行政自治がなされていた。さらに、その上部では幕府の城代、代官、奉行などが管理している。


 家康は改めて織田家や幕府の行政処理の凄さに感嘆する他なかった。先ず使う紙のサイズも甲四(A4)や乙五(B5)などと決まっている。その紙にあらかた印刷されており、後は数字を書き込んだり、必要事項に丸するだけだ。


 役人は、それらの数字を確認し、振り分ければよい。確認は数次に渡って別人が行い、間違いや不正を防ぐ。振り分けられた後の処理方法も定まっており、ほぼ自動的ともいえる。


 さらに数字は集計され、領内がどうなっているのか一目瞭然で可視化されてしまう。人口、米や麦の収穫量、馬の数、犯罪件数、船の入港数、火事の件数など。馬市での取引内容も全て記録されており、各部族の懐具合さえ把握出来る。


 家康は煉瓦の生産量、木材、石炭と鉄の採掘などに注意を払いつつ、農業用水路の拡充へ努めていた。そんな家康の楽しみといえば合間を見つけての鷹狩りだ。地理や民の暮らし振りを知るにも役立つ。


 そんなある日、チャハル部から使者が訪ねてきた。身分の高い人物だ。さらに部族長であるブヤン・セチェン・ハーンの実子、部族から集めた若くて綺麗な女性、駿馬、鷹、仔羊、毛皮など携えている。


 それを見ただけで家康は状況を察した。丹羽長秀たちが呼和浩特から蒙古領内を順調に攻めている結果であろう。そう確信する他ない。家康は、このような場合、後手に出て、相手の出方を見るべきだと思った。


 大分待たせてから呼び寄せ、感情を一切表に出さず無表情だ。その場には諸将も居並び、ほぼ圧迫面接のような体裁である。


「この度、突如訪ねたる御無礼、ご容赦下さいませ」


「……」 


 使者は家康の塩対応に困惑しつつブヤン・セチェン・ハーンの実子や貢ぎ物の品について説明するも家康は眉ひとつ動かさず無言だ。それでも、使者は必死にチャハル部と日本や女直との友好的な関係が有意義か訴えかけた。 


 しかし、家康は何も発せず会話の糸口が見いだせない。これでは、今後チャハル部やハルハ部へどのような対応するのか聞き出せず、役目は失敗に終わってしまう。家康は相手が狼狽してる姿を冷静に見ていた。


「失礼ながら、日本は明と呼和浩特を攻めて陥落。ナムタイ・セチェン・ハーンは討ち死にの上、トメト部もいまや瓦解したと聞いております。その上、オルドス部、アスト部、ハラチン部などを討ち、我が領内も騒がしくなっておる次第。されど、我が部族は逃げて来たアスト部やハラチン部の者は全て追い払っており加担しない事を是非ともお伝えしたい。ハルハ部が日本とどのような約束をしておるのかは分かりませぬ。しかし、我が部族は日本との友好を大事にいたしたく存じます」


 家康はひと言も発せず、現在の戦況が理解出来た。ようするに東西から日本、女直、明、さらにはハルハ部から包囲される事を恐れている。特にハルハ部がどう出るのか不安なのだろう。


 しばらく石像のように動かず思案する。チャハル部の使者は家康が耄碌してるのか、それとも口が不自由なのか考えあぐねていた。使者にとっては僅かな時間でも長く感じる。そして家康はようやく重い口を開いた……。


「大義である。チャハル部の族長であられるブヤン・セチェン・ハーン殿は元朝の正当な後継者と聞いておるが、相違ないであろうか」


 使者は、驚きつつも質問の趣旨が分からない。


「はっ、間違いなき事でございます」


「蒙古はかつて我が国へ2度も侵攻し、女直の治める金も攻め滅ぼされた。漢人の治める宋も滅ぼさておる。数十年前にもアルタン・ハーンは明国を攻め、多くの被害が出たそうじゃ。万里にも及ぶという長城も遥か昔から草原の民より農地や領民を守るため作った物であろう。草原の民は狩りでもするかのように襲ってくる。意味もわからず攻められる側は困るというもの……」


 予想外の言葉に使者は狼狽せずにはいられない。蒙古への報復を示唆してるからだ。これでは元朝の正統性など、かえって仇となる。


「お待ち下され。昔はどうあれ、チャハル部といたしましては日本へ弓を引く気など毛頭ございませぬ」


「女直や明にはあるのかな」


「それも、ございませぬ」


「何処へならば弓を向けるのじゃ。向けるべき相手は……」


「仰る意味が分かりませぬ」


「我が国、女直、明と友好的な関係を築きたいのであれば、ハルハ部より、有益な事を示されてもよいのではないかな。チャハル部とハルハ部双方の内、何れかで良いと考えておる。無論、チャハル部がハルハ部との友好を大事にするのも良い」


「……」


 疑う余地もなく、ハルハ部を攻めろという示唆に他ならない。


「ブヤン・セチェン・ハーン殿の王子は大事に扱うゆえ、心配いたすな」


「仮に……我が部族がハルハ部を攻めた場合、日本や女直はどうなされるおつもりでしょうか」


「先に攻めた方の味方をすべきであろう」


「内ハルハと外ハルハの扱いは如何に……」


「同じと考えるも別と考えるも随意じゃな」


「攻めぬ時は知らせて欲しい。我が国では人質を取らぬゆえ、王子はお返しいたそう。この話はあくまでここだけのもの。猶予は西の彼方におる我が軍勢が、チャハル部へ攻め寄せたら無効となる」


 こうして使者はチャハル部のオルドを目指し、瀋陽を後にした。

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