第381話 フランシス・ベーコン対イエズス会③
幸田広之とサンジェルマンはブランデー入り紅茶のお替りをしつつ、立ち上がってイエズス会幹部や聴衆へ語るフランシス・ベーコンに魅入ってた。
「大納言様、やはりベーコンとデカルトでは水と油のようですな。そもそもデカルトはイエズス会で教育を受けたはず。一神教との相性は演繹法の方が都合良いという一般論通りの展開……」
「演繹法で強弁すれば論理は押し売り出来よう。されど、信じる者以外に確固たる理論的説得力があるとはいい難い。結果、脅かす様な形になる。それは、一神教に限った事ではないが……」
そういうと広之は持っていたティーカップをテーブルに置き、ゆっくりとベーコンの方へ歩み寄る。幕府総裁幸田広之の登場に少しばかり困惑するベーコンであった。軽く微笑んだ広之はベーコンへ英語で話し掛ける。
「ベーコン殿、貴殿の噂は以前より聞いておった。なかなか興味深い話であるな」
「これは総裁閣下。何故、我が国の言葉をお話しになれるのですか。失礼ながら、正直大変驚いております。質問をお許しいただけるなら、何処でイングランド語を覚えられたのでしょうか」
無論、驚いたのはベーコンだけでない。対幕府との関係で絶対的優位な立場を誇るフランスの外交官やイエズス会関係者は完全に虚を突かれた。
幕府の政治決定において絶対的中心人物である広之がイングランド語を話せるという事実は衝撃的だ。場合によっては対幕府外交を根本から見直す必要がある。
逆にイングランドやスコットランドの外交官は信じられないという眼差しの中にもほのかな期待が入り混じる。ネゴシエーションしやすいに越した事はない。
「貴方の国の言葉ならフェルディナンド・マゲラン、イスパニア語でフェルナンド・デ・マガリャネス(マゼラン艦隊で有名)をご存知でしょうか」
「確か世界一周で知られるイスパニアの艦隊を率いたポルトガル人ならば存じております」
「その艦隊にはイスパニア人やポルトガル人以外も多数乗っておりました。イングランド人も居たのです」
「まさか……」
「その、まさかです。フィリピンで原住民と戦闘になった際の生き残りが海賊の仲間となって日本へ来ました。私が若い頃、既に老境へ達っしていたもののイングランド語や欧州の事を教わったのです。その後もイングランドの書籍を買い集め色々学んだ次第」
全くの嘘であるが、実にもっともらしい話だ。一応、辻褄はあってる。聞いていたイングランド語の分かる人たちは「なるほど」とばかり、大きく頷いていた。
近寄ってきたサンジェルマンは苦笑している。さらに調子づいた広之は聴衆へ向かって簡単なフランス語やイスパニア語で挨拶して度肝を抜く。
「日本の法制には少なからず欧州の片鱗が見えるような印象を受けておりました。そういう事だったのですね」
「それもありますが、私は俯瞰的に見ております。もし、宜しければ、先程からベーコン殿が話されている事へ私なりの見解を述べさせて頂きたい」
「どうぞ、是非ともお伺いしたい」
広之はサンジェルマンへ近づいた。日本語で話す内容のフランス語への通訳を依頼する。そして、広之はゆっくり話し始めた。幕府総裁の思いも寄らぬ登壇に人だかりが増える。
「基本的に真理というべきものはひとつしかありません。しかし、神を論理的に考察しても、我々の常識・理念・願望が投影されてしまう。人間の本質はあらかじめ決められておらず、現実における存在や事実が先行しており、そのため人間は自らが存在する世界へ何らかの意味を見出すのが必然」
広之はサルトルの実存主義的な事を述べた。ベーコンは広之の発言に興味を示し、深くうなずきながら言葉を発する。
「総裁閣下の言葉には、まさに本質が宿っているように思います」
「私の育った文化では神は万物に宿り、亡くなった人物も神となってしまう。仏教との関係も曖昧でありますが、人格を有した神々も沢山存在しております。ギリシャ神話とケルト人の信仰を合わせたようものを想像して頂きたい。日本の神話における太陽神アマテラス、暴風雨の神スサノオ、月を司る農耕神ツクヨミと北欧の三大神オーディン、トール、フレイはよく似ています。またインドの三大神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァも然り。大きく違うのは日本の神話には終末預言が無い。何故、遠く離れているのに似てしまうのか考える必要はあります。そのひとつは地形・気候・風土にあるかも知れません。旧約聖書の世界は草木もろくに生えないよう荒野のはず。人が生きていくには過酷極まりない環境。一神教の生まれた世界と多神教の世界は大きく異なります」
イエズス会の幹部は不快そうに眉をひそめた。 そして、短く言葉を発する。
「神が万物に宿るなどというのは異教徒の単なる創造です。神は唯一無二であり、絶対的存在であらせられる。証拠というならば旧約聖書だけでも、イエス・キリストに関する預言が300以上もあります」
「イザヤ書やゼカリヤ書などの記述をイエス・キリストの事に間違いないとする解釈ですね。ただ問題は間違いない事を信仰以外で立証出来るのでしょうか。それこそ論理の積み重ねであり、理論的とはいい難いように思えます。またヨハネの福音書14章6-11節に『初めに言葉があった。言葉は神と供にあった。言葉は神であった』という記述があります。日本では古来より言霊という概念が存在し、良い言葉を発すると良い事が起き、不吉な言葉を発すると悪い事が起こる、というもの。言葉のコトと事が起きるのコトは同じ発音です。『事切れる』という言葉は物事が終わるという意味であり、コトは重要な言葉といえましょう。また、800年以上前に書かれた日本書紀という書籍によれば、古代のある皇后が庭で神懸かりする御巫となり、天皇は琴=コトという楽器を弾き、家臣は審神者となりました。このとき天皇は神託に耳を貸さなかったところ、急死するのです。偶然かも知れませんが、日本においても言葉というのは重要であり、独自性というよりは普遍的なものである可能性も考えねばなりません」
イエズス会幹部は旧約聖書に造詣があり、北欧神話を引き合いに出す広之の知識へ驚く他ない。明らかに狼狽している。またベーコンは我が意を得たり、といった表情だ。
その後も広之は、サルトル風に人間が神を信じるのを強制されるものではなく、自らの存在と意思に委ねられるべきなどと発言し、イエズス会幹部を刺激した。幹部は怒りに震えながら発言する。
「それこそ冒涜です。人間は罪深い。ゆえに神の教えに従わなければ滅びます」
「神に対して疑問を抱き、探求する事も、神が我々に与えた試練だとは考えられませんか」
イエズス会幹部は首を大きく振り、憤懣やる方ない様子だ。そこへベーコンが割って入った。
「私は総裁閣下の言葉は的を射てると思います。神と人間の向き合い方を見抜いている。観察と自由な探求、そこから生まれる真の信念こそ、我々が求めるべきものです」
拍手が沸き起こる。侮辱と受け取ったイエズス会幹部は顔を真っ赤にしている。広之は満足気にサンジェルマンを見て、にやつくのであった。
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