第380話 フランシス・ベーコン対イエズス会②
本来の歴史においても、16世紀末辺りからフランスは欧州の中心として興隆しつつあった。そのためベーコンのようにフランス滞在経験のある者も少なからず居る。幸田広之とサンジェルマンが部屋に入ると、ベーコンは熱弁を振るっている最中であった。
「先程から私の質問に対し、十分なお答えが頂けないのは誠に残念です。大変失望いたしました」
「それはイングランド人特有のジョークならば良いが……。人を欺く術には長けおるようじゃな」
「我々が信ずる所の神が果たして存在するかという問へ、私個人に対する人格批判の言葉しか返ってこないのは残念です。仕方ないので、お答えいたしましょう。私の答えは『神は存在する』です。問題は存在を如何に立証すべきなのかという点……。そもそも立証出来ないから存在しないと結論付けても間違っている可能性もありえます。現状では万人が直接的に可視化出来ない以上、存在するという前提により、結論へ導こうというのが我々人類の限界でしょう。不完全な存在である人間が『完全なる存在』を想起する事自体、神の存在を裏付ける、などと考えたりします。神の存在と痕跡は人間の奥底に概念として刻まれてるのかも知れません。人類は果たして存在しない神という概念を作り出す程愚かなのか、あるいは存在するか別にして神が必要なのか……。理論的に思考すべきですが、私は先程、神は存在すると、明言いたしました。ただ、これは理論的とはいい難い」
広之とサンジェルマンはサロンと化した薄暗い部屋の端にある椅子に座り聞き入っている。無論、フランス語が分からない広之はサンジェルマンの同時通訳で聞く他ない。
広之は熱い紅茶を持ってこさせた。砂糖を入れた後、国内産のブランデーが注がれる。広之とサンジェルマンはブランデー特有の香りを堪能しながら舐めるように飲んでいると、貴族らしい人物が近寄ってきた。
サンジェルマンとパリの社交界で面識がある人物らしい。その貴族も横に座り、ブランデー入り紅茶を恍惚の表情で堪能する。この時代は修辞学を高等教育の基礎として学ぶため、日本の議論に比べたら雲泥の差だ。
そもそも、日本では真っ向から相手の意見を否定し、反論すれば喧嘩になってしまう。中近世の欧州におけるサロンの雰囲気を味わい感慨深げな広之であった。広之の視線上ではイエズス会の幹部が憤懣やる方ない様子にてベーコンへ言葉を投げかける。
「『神を信じる』といいつつも、信じる事が無駄であるような話で整合性に欠けておる」
熱気に包まれたサロンと化した場で、ベーコンは穏やかながらも冷静な声で語る。貴族や高級官吏などの知識人たちは固唾を呑んで魅入っていた。
「誤解のないよう申し上げますが、私は神の存在を疑ってるわけでもなければ、ましてや否定するものでもありません。あらかじめ定められた前提に縛られる……。つまり、答えありきでは、いくら理論的だと主張しても前提が間違っていれば、結論も誤りかねない。そこで私は、観察された事実から徐々に結論を引き出すべきかと考えております。観察の結果、神を見いだせないかも知れない。答えありきでは無いのです。しかし、私が観察する限り、神の存在は自然界の法則や秩序の中に微かながら見える。この現象を分析し、理解しようとする姿勢そのものこそ、我々人類に知恵を与え続けるのではないでしょうか」
「神の全能を前にして、人間が観察だけで何を理解出来ると申すのだ。無限の存在はただ信仰と論理のみによってのみ証明されるべきものであろう」※ベーコンは理論的、イエズス会幹部は論理といってる違いに留意が必要。言葉として似てるが全く異なる。
「プロテスタント視点とまではいいませんが、私個人としては神を人間の理解に合わせて定義しようと思いません。 信仰の支えは必要ですが、それでも私は日々の観察と実践を怠たらず、実証された知識によって理論的に神に近づける事を願っております」
「やはり貴殿は神の存在を疑ってるようにしか聞こえぬ」
「いや、疑っているのではなく、神への理解は我々が人間である限り、絶えず探究されるべきものだと考えております。そして、この探究の手段は真実の発見を制限する論理ではなく、観察と経験から成り立つ理論によるべきものでしょう」
周囲は息を呑んで聞き入っていた。サロンには張り詰めた空気が流れている。ベーコンの言葉には、彼の信念と知識への探究心が息づいており、発する言葉は聴衆を惹きつけていた。
※次回、広之が乱入します
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