第4話 光秀の誤算

 6月2日、瀬田の大橋を焼かれ安土城へ向うことが出来ず、明智光秀は兵士たちに橋の復旧を命じ、自身は坂本城へ入った。織田信長と織田信忠を討つことは出来たが欲しかった名物茶器は手に入らず終い。


 少ない手勢を駆逐し、無傷で本能寺を制圧するつもりだったが、予想外に抵抗されたうえ信長は姿消し、間もなく出火したのである。


 そのうえ首もないため信長と信忠は近江に逃げたなどという噂が流れる始末。そもそも本能寺は信長が過去上洛の際、定宿にしてきた妙覚寺や二条新御所でなく、あまり泊まったことのない本能寺に居た。


 本能寺が多少堅固だろうと一気になだれ込み、茶器ごと信長の身柄を抑えられるという目論見ははかなくも崩れさったのである。それでも慌てることはない。明日には橋を渡り、安土城の制圧さえ出来れば妙な噂も消えるはず。


 今後の道筋をあれやと模索しつつ書状の作成に追われる光秀へ悪い報せが届く。織田信孝と丹羽長秀が大軍を率いて大坂城へ入城したというのだ。しかも女婿である織田信澄の首が晒されているという。


 至急、軍議を開くが、さすがに重臣たちも動揺しているのは明白。無論、もっとも狼狽しているのは光秀なのだから当然と言える。


 信孝と長秀(長秀の妻は信長庶兄の娘、嫡男長重は信長の娘と縁組が決まっていた)が明智にくみする可能性は皆無。このままでは織田家と関係の深い池田恒興(母は信長の乳母で後に織田信秀側室)も大坂へ合流するだろう。


 光秀の算段として、信澄が簡単に信長を裏切るはずもないので、まずは連絡しない。おそらく関係を疑われ大坂城から動けなくなる。


 その間、明智軍は安土城を制圧し、細川と筒井が馳せ参じてくるはず。その段階で説得するつもりだった。しばらく放置しても害はないはずが信澄と大坂城を失って、光秀は心中穏やかで居られず動揺が顔に出ている。


 まさか四国へ渡るはずの信孝と長秀が直ぐさま大坂へ押し寄せるなど誤算もいいところ。領地の少ない信孝と長秀は各地から兵を集めるのに苦労していたはずだった。摂津南部、和泉、河内は織田の支配が盤石であるはずもなく、畠山や遊佐の残党、反織田派雑賀衆など蜂起すれば瓦解必定。


 安土に続き佐和山城と長浜城も制圧し、西美濃の国人を引き込む。細川と筒井が合流したら信澄に摂津を任せる。信澄、摂津衆、筒井で河内と和泉も容易い。これに細川を加え播磨を攻めさせ、毛利に追われて逃げてきた羽柴を叩く。


 そして明智本隊は南下してきた最大の難敵である柴田と雌雄決する。勝って、そのまま北ノ庄城を落とし、前田や佐々を降伏させ、あとは岐阜城と清洲城を手に入れるだけ。それが信長と信忠の討伐を決意してから短時間で光秀が描いた筋書きだった。


高槻たかつき城の高山右近と茨木いばらき城の中川瀬兵衛せひょうえへ使いを出せ。もし我らへ付けば両者に摂津を半々で治めてもらう。和泉と河内もじゃ。細川と筒井は何としてでも引き入れろ」 


 光秀の言葉を虚しく聞く重臣たちであった。しかし家老の斎藤利三としみつは沈黙する重臣たちを見渡しながら大きな声で笑う。


「殿、慌てることはござらぬではないか。美作守みまさかのかみ(山岡景隆)に瀬田の大橋を落とされ修復に時間がかかる。ならば大坂から出てきた信孝と長秀を勝竜寺城や淀城あたりで防ぎつつ返り討ちにすれば、細川と筒井も我らに合流するのは必定。その後ゆるりと掛け直した橋を渡り、安土城へ進むだけのこと」


 この発言で場の雰囲気は一変した。


「さすがは内蔵助くらのすけ(斎藤利三)じゃ。よくぞ申した。明け方には軍勢を勝竜寺城まで進める。勝竜寺城の庄兵衛(溝尾茂朝)にそう伝えよ。淀城にも兵を1千ほどまわすので備えを固めさせるべし。信孝と長秀の軍勢は1万を超えたとしても諸国から寄せ集めた烏合の衆」


 坂本城で光秀が信孝と長秀を迎え討つ覚悟を固めたころ大坂城にも動きがあった。摂津東部を治める高山と中川の両者が自発的に人質を送ってきたのである。


 人質一行は両者の血判状も携えており、恒興に遅れて大坂城へ到着した池田の兵や恩賞目当てで明智討伐に加わるべく集まった浪人など、城の内外は膨れ上がった兵が放つ異様な熱気に包まれた。


 城外の浪人にも酒や食事が出され、総大将の信孝をはじめ長秀、恒興、家康、梅雪なども姿を現し、声をかけてまわった。梅雪などは甲斐武田家当主左衛門なりと名乗って群衆から歓声があがり、ご満悦の様子。


 梅雪は信長と信忠が討たれるという驚愕の事態に戸惑い、家康と一緒ではいくつ命あっても足りないだろうから離れて逃げることを検討していた。そこへ長秀の使者が現れたのである。


 早計な判断をしなかったのが幸いであった。信孝はそうとうな器量人。もしかしたら、このまま天下を取るかもしれない。そうなればここで目立てば甲斐全部の知行も夢でなくなる。


 同時刻、城の片隅では信孝や長秀の家臣が大坂市中にて買い付けた物資搬入や帳簿の記入、書状の作成、使者の手配などに追われていた。


 幸田孝之の見積もった大坂城の兵数はおよそ2万。さらに高山と中川の兵を加えれば2万5千を超えるかもしれない。無論、四国遠征軍は海上からの兵糧輸送が前提だったので通常より荷駄は少めである。


 実際に戦える兵士は2万ほどという見込みだ。明智の集めた軍勢は中国遠征を前提としており、およそ半分が荷駄であろう。戦える兵士が1万居るとは考えにくい。


 人数を聞いた広之は自身が時空転移したことにより歴史は大きく変わるかもしれないと確信するのだった。



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