第252話 近衛前久、バンコクに立つ

 近衛前久率いる公家たち一向は京杭大運河伝いに杭州へ行き、そこから長江を進んだ。武漢(当時は武昌と漢陽を指す便宜的な俗称)や重慶を経由し、麗江に至った。


 麗江は木氏が土司として麗江軍民府の知府を世襲する土地だ。元朝以前には大理国があり、建国者はペー族(白族)で、王都は大理だった。一方、麗江はナシ族(納西族)の土地で木氏はナシ族の首長である。


 いわば麗江は半独立の自治区であり、この地にはバンコクから幕府の者も浸透していた。日本が明国と電撃的な条約を結ぶ前は、この地から揺さぶる案もあったためだ。


 小西行長の配下は公家の集団を見て仰天したのはいうまでもない。前久たちは、麗江で木氏に歓迎された。その後、メコン川からラーンサーン王国(北部はシャム、南部は日本に侵攻され、ほぼ国として崩壊したも同然)やカンボジアを経由し、ついにバンコクへ到着。


「小西殿(行長)、そなたの父(堺出身の商人で京の都を拠点にしていた)とは旧知の間柄。此度は世話になるでおじゃる」


「これは、准三宮様。もったいなきお言葉。長旅はさぞかしご苦労も多かったはず。ゆるりとお過ごし下さいませ」


「麿は越後、関東、九州などを駆け回り、船旅では物足りぬ。道中、孔雀や虎などに襲われいささか難儀した次第でおじゃる」


「何と虎でございますか……」


「然様。かつて上杉殿(謙信)と2人で北条の大軍を蹴散らした時の事思えば造作もおじゃらぬ。虎に襲われた時、麿は歌を咏み、飛鳥井さんが得意の蹴鞠で退治してのぉ。その時、詠んだ歌は……」


 近衛前久のリサイタルがしばらく続いた……。


「しかし、小西殿。この国の民は何かにつけマイペンライとよく申すでおじゃるな」


「気に召されるな……といった言葉でござりまする」


「何と……。かたじけないやひらにご容赦というような言葉ではないのでおじゃるな。これはまた……」


「然様でござりまする。日本人なら、面目も無いというような時、謝るでもなく、マイペンライを……。物見番や宿直が居眠りをしておってもマイペンライなどと申します」


「小西殿も気苦労が絶えぬのぉ。それはともかく、この国の民が食すものはいささか辛いでおじゃるな」


「数年前までは辛くなかったのでござりまする。我らが七味唐辛子などを持ち込みましたるところ、大いに受け入れられました。そこで唐辛子をこの地で植えたのですが……。何度か代を重ねたら辛みが増し、日本人の口に合わず捨てようとしたのを喜んで食べる次第。今では魚醤や酢に漬けて食べる他、潰して汁物に入れたり、青い果実と和えるなど、流行っておりまする」


「左衛門殿の記した天正養生要訓という書によれば、汗が消える時、体表面の熱を奪って、冷やしてくれるそうでおじゃる。シャムにも素焼きの水瓶がおじゃれば、小さな隙間から少しばかり外へ漏れ、熱が奪われるのも同じ事。これを、気化熱というのだとか……。打ち水をすると涼しくなるのも、やはり同じ」


「唐辛子で体が熱くなり、汗を掻けば気化熱によって冷える、と」


「然様。辛さで水を沢山飲めば、それもまた汗になる。また、唐辛子は血の流れを良くしたり、体の脂を燃やすなどの他、食も増すそうでおじゃる」


「つまりは、熱さに体する薬というわけでございまするな」


「人の何かを察する力と知恵でおじゃろう」


「准三宮様もご存知でしょうが、幕府では拷問を禁じております。それでもナーレスワン大王やスコータイ王家へ含みのある者が我らへ間者を送り込む事もござりまして……。口を割らせねばならぬ時、難儀いたす次第。そこで、熱い物や辛い物を食べさせたりいたします」


「ほぉ、中々の妙案でおじゃるな。して、首尾はいかに……」


「熱いおでんは効き目ございまするが、辛い物は喜んで食します」


「この間捕らえたソムチャイ・ウエッシマー・ダチョウーンと申す間者は殺す気か〜訴えてやる、などと喚きつつも見事に平らげておりまする」


「辛さだけでは足りぬのかも知れぬのぉ。酸味、椰子の果肉、香辛料、にんにく、臭い葉などふんだんに入れては如何でおじゃるか……」


 数日後、行長は早速辛くて酸っぱいスープやココナッツミルクのスープなどを試作させた。こうして完成したのがトムヤムクン、グリーンカレー、レッドカレー、ゲーンパー(辛いスープ)の原型とされる。


 近衛前久たち公家は象へ乗ったり、川辺でワニから襲われるなどしつつ、シャム人とセパタクローに興じたり、ビーチで寛ぐなど南国を満喫するのであった






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