第114話 永楽銭廃止

 春になり、幕府は永楽銭の使用禁止を決定した。直ちに通達が出されのである。


 織田信長は撰銭令を出したが思うようには行かず新たな領地の検地に注力し、石高依存から脱却出来ないまま去った。


 そもそも戦国時代、勘合貿易や倭寇を通じ永楽銭が大量に持ち込まれる。この永楽銭は明国内でほぼ流通せず、もっぱら対外貿易の決済用となった。


 明と同様に日本でも宋銭や開元通宝などに比べ価値は低い。


 結果、畿内では宋銭が重視された。永楽銭などの明銭は支払いの何割までといった条件付き取引が横行し、撰銭の対象となってしまう。


 勘合貿易が停止し、倭寇が取り締まられると当然の如く銭不足に陥った。そのため米が貨幣の代替えとなる。


 さらに信長が上洛した当時、石見銀山(大森銀山)から産出される膨大な銀は各地へ流通。


 結果、西日本は永楽銭が主流になる事はなく、京銭(主に宋銭や私鋳銭)を使い、銀も決済で用いられた。


 一方、東国では経済的に立ち遅れていたせいか、貫高制は維持され、京銭ではなく永楽銭が主流となる(関東で永楽銭の模造品が私鋳されていたという説もある)。


 その象徴ともいえるのが永高だ。東国において田畑に課せられる年貢の貫高を永楽銭で算定する。


 ただし必ずしも永楽銭の価値を正しく反映させているわけでもなく、実際に永楽銭で取引されるとは限らない。

 

 東国で概ねの京銭と永楽銭の取引レートはあったにせよ、各地の領主次第でレートは変わるだろう。



 無論、織田幕府が東国を制圧する過程において、貫高制地域の検地は容易なはずもなく、農民の不満は大きかった。


 しかし、幕府は無制限の対外貿易を制限。金・銀・銅の海外流出を最小限に抑えこんだ。


 やがて金貨と銀貨を鋳造し、各種の手形などにより、経済は活況を呈したが、低品位の京銭と相殺され、インフレは適正範囲に収まっていた。


 幕府(実質的に織田家ではあるが)は全国の鉱山を支配し、莫大な量の金・銀・銅を蓄えており、商人への貸付けさえ行っている。


 少なくとも流通している金・銀・銅を遥かに超える額が蓄積されていた。


 こうした動きは東国へも及んだ。石高制となったが、実質的な取引は手形で行い、換金作物の奨励により金融の安定と経済発展による恩恵を受けた。


 そして、次の段階へ進めるため永楽銭の廃止を決定。当面通用を認めるが、一定期間過ぎると交換手数料は高くなる。


 実のところ、すでに銅銭(天正通宝)の鋳造は始まっていた。京銭を基準通貨として、2年以内の発行が予定されている。


 織田信孝が将軍になって間もなく7年が経つ。当初、幸田広之は銅銭を鋳造するまで20年以上は覚悟していた。


 広之は大坂城にある信孝をはじめ5人しか入れない部屋に籠もり、未来より持ってきた本を見ながら溜息をつく。


 世界史年表を見ると欧州で今号起きうる大きな出来事としてフランスのユグノー戦争終結がある。


 ブルボン家(プロテスタント)やギーズ家(カトリック)など、まるで蘇我氏と物部氏による対立だ。


 カトリックのイスパニア王フェリペ2世とプロテスタントのイングランド女王エリザベス1世との代理戦争ともいえる。


 西暦1589年にヴァロワ朝が断絶。アンリ4世が即位してブルボン朝が興る。アンリ4世はカトリックに改宗するが、1598年にナントの勅令を発し、プロテスタントへ信仰の自由を認め戦争は終結。


 無論、イスパニアやポルトガルに信仰の自由があるはずもない。


 さらに、1600年英国東インド会社、1602年オランダ東インド会社、1613年ロマノフ王朝成立、1618年30年戦争、1620年英国のピューリタンがメイフラワー号でアメリカに移住、1635年フランス・スペイン戦争、1641年ピューリタン革命、1652年英蘭戦争、1683年大トルコ戦争……。


 どう考えても医療の遅れた時代、生きてるのはメイフラワー号くらいまでだろう。


 さて、どうやれば欧州の発展を遅らせることが出来るのか?


 フェリペ2世が亡くなるのは1598年だ。エリザベス1世が亡くなるのは1603年。両者が生きている内にカトリック対プロテスタントの争いを利用し、英蘭を抱き込みたい。


 しかし、英蘭に勢いを与えるのは本来の歴史見ても危険だ。いや危険どころの話ではない。 


 ポトシ銀山を奪いインドから西へ追いやる。その上でオスマン帝国とも貿易行い旧教徒側へ圧力を掛けつつ、ロシアを牽制してもらいたい。


 ただ、問題があってオスマン帝国はインドネシアのアチェ王国と仲がいい。アチェ王国はジョホール(旧マラッカ)やパタニと敵対している。


 現在、幕府はジョホールやパタニとは友好的な関係だ。特にジョホールはマラッカを奪ったポルトガルを憎んでおり、派兵を切望している。そうなるとアチェ王国は黙ってないだろ。


 1622年にイングランド・ペルシア連合軍がホルムズ島を占領し、ポルトガルとイスパニアの勢力を追放している。

 

 もちろんオスマン帝国とペルシアの仲が言い訳ない。ならばペルシアへ接近し、イングランドの代わりとなり、一緒にホルムズ島を占領してしまう手もある。


 ついでにオマーン、UAE、カタールを領有出来れば将来的に美味しい。


 石油といえば満州の大慶油田だ。この地域は必ず必要だと丹羽長秀にも説明してある。あとはベネズエラ、コロンビア、テキサス……。


 パナマを占領し、船を作って、テキサス抑えた後、ミシシッピー川流域へ展開してもいい。ここまでのペースなら20年以内に出来そうな気もする。


 まずは経済で国を富ませるのが先決。などと様々な可能性を模索する広之であった。

 




     

      

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