第338話 近衛前久と失われた高天原③
近衛前久率いる公家衆は、チチェンイッツァのククルカン神殿を後にし、ユカタン半島各地を巡りながら、マヤ文明の遺跡を探索していた。
ククルカンの巨大なピラミッド型神殿や蛇のモチーフに深い興味を抱く前久たちであったが、古代遺跡の造形にもそそられていた。
かつて、カンボジアを訪れた際、幕府の役人に案内された現代でいうところのシェムリアップ(“シャム人敗戦の地”という意味。なので現在はシャムに攻め落とされたまま統治されており、そのような地名のはずもない)で見たヒンドゥー・仏教寺院を思い起こしていた。
蛇神ナーガの像が至る所にあり、またヴィシュヌ神の乗り物とされる神鷲ガルダ(鳥類の王)がナーガを踏みつけている像も見ている。
日本書紀で神武天皇を導いた八咫烏や長脛彦との戦いで危機に陥った際、 天空から舞い降りて、弓先に止まった金鵄などを重ねてしまう前久であった。
さらに、長脛彦の長=ナガはナーガと関係があるように思えてならない。天津神たちは鳥と縁が深く、国津神や海津神(ワタツカミ)などは竜蛇……。
そのような構図は日本だけに当てはまらず、東西各地であったように思える前久であった。また、神聖ローマ帝国内の某公国領で購入したフィルギル・ゾリスの版画を見たときの衝撃が前久の脳内へ蘇る。
フィルギル・ゾリスは16世紀の版画家であり、バイエルン大公国内のニュルンベルクに工房を構え、活躍した人物だ。その中に「ピュトンを斃すアポロン」という作品がある。
ピュトンはギリシア神話に登場する巨大な蛇の怪物であり、これを見た前久たち公家は心底驚く。素戔嗚による八岐の大蛇退治と瓜ふたつなのだ。
前久たちが導き出したのは、東西各地で古い時代竜蛇神が崇拝されていたというものである。マヤの地に来て、解像度が格段に増したと実感するのだった。そして、前久たちは現代でいうところのメキシコのチアパス州パレンケを訪れたのである。
俗にいうパレンケ遺跡が眠っていた。史実では18世紀にイスパニア人が発見し、本格的な調査は20世紀である。しかし、幕府の調査団によって発見されていたのだ。
王族の住居と目される建物には天体観測用と思われる4階建ての塔がある。他にも「碑文の神殿」「十字の神殿」「葉十字の神殿」「太陽の神殿」など多数の神殿が存在していた。
とりわけ、碑文の神殿には有名なパカル王の石棺がある。石棺にはロケットに乗って操縦桿を握った宇宙飛行士に見える浮き彫りがあるため、マヤ文明が宇宙人によって作られたというオカルト説の根拠となっていた。
パレンケ遺跡の壮麗な神殿群を前に、前久と公家衆たちは、これらの建築物がただの宗教施設に留まらず、天文学や政治など、複雑な関わりを感じている。
前久たちは、天体観測用と思わしき塔に登り、遠く水平線の向こうに広がる密林と星々を眺め、自分たち自身もまたこの広大な宇宙の一部であると思った。
前久たちはパレンケ遺跡の近くにある幕府調査団の仮設宿舎に戻り、焚き火を囲んで話し合った。無論、謎の浮き彫りについてである。
「ここは、天と地……。或いは現世・来世・前世やこの世と冥界を繋ぐ場なのかも知れぬでおじゃる。上に居るのはククルカン=ケツアルコアトルでおじゃろう。この神は羽のある蛇、即ち竜(龍)の如きもの。カンボジアで見た神鷲ガルダがナーガを踏みつけている像と似ておる。つまり、その土地に居た蛇神を鳥神が平らげたのが竜神なのかも知れぬ」
「流石は近衛さんでおじゃります。誠に鋭い。我らが訪れた天竺でも似たような彫り物や絵を見ましたなぁ」
「勧修寺さん、やはり答えは高天原でおじゃろう。そこから、各地へ天津神が降り立った。マヤの地には高天原に繋がる何かが眠ってるやも知れませぬ。もはや、高天原や天津神は神話にあらず」
揺らめく炎を見つめながら前久が呟く。その時、幕府調査団の案内役をしている現地のシャーマンが静かに語り出した。それは遥か昔、天の神々と共にあった時代の記憶に基づいた物語である。
「やはり、この地には何かがあるでおじゃる。高天原への手掛かりが残っているやも知れぬ。次は、ティカルという地へ行ってみるでおじゃる」
前久の力強い発言に公家衆たちは頷く。こうして、前久と公家衆は、失われた高天原の謎を追い求め、マヤの奥深くへ足を踏み入れる決意を固めた。
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