第6話 山崎の戦い②

 6月3日明方、明智光秀は坂本城で各地からの報せに目を通していた。いずれも光秀が期待した内容とは程遠い。丹後の細川藤孝からはまだ返事はなし。大和の筒井は一揆が起きて動けないと言ってきている。


 若狭の武田元明、近江の京極高次と阿閉貞征・貞大親子が加担するという。しかし光秀を落胆させたのは高山重友と中山清秀が使者を送り返したことだ。


 夜通し復旧させた瀬田の大橋だが、安土城へ向かうどころではなくなった。重友と清秀へ再び使者を送り、様子を見るほかない。まずは瀬田と洛中で織田の残党狩りをしている兵を率いて勝龍寺城に入る。そして重友と清秀に圧力をかけ、引き入れたい。


 しばらくして光秀は瀬田の軍勢に合流すると勝龍寺城へ向った。途中、高山重友と中川清秀が使者を斬り捨てたとの報せを受ける。さらに2人揃って山崎に布陣。しかも信孝が大坂を出て西国街道を東に向かっているとのこと。


 どう考えても信孝と長秀の動きが早いし、手際よすぎる。迷いがない。筒井の言うこともまんざらでなく実際に国人が不穏な動きを見せているらしい。その背後に信孝と長秀が居る可能性も考えられる。気がかりなのは行方の知れない徳川家康と穴山梅雪である。どこかに消えてしまった。


 そして重い足取りで勝龍寺城に着くと、さっそく軍議を開く。斎藤利三、明智秀満、溝尾茂朝、伊勢貞興、松田政近、並河易家なびかやすいえたち重臣が光秀の前に居並ぶ。

 

「我が方の兵は荷駄まで入れておよそ2万。戦えるのは1万3千ほど。それに対して敵方は三七と五郎左に摂津衆加えれば2万を超えるであろう。劣勢なれど敵は烏合の衆。まずは西国街道を塞いでいる右近と清兵衛を中央の兵が切り崩し、敵方の狭いところまで押し進む。そして右翼は二手に別れ、一方は天王山を奪うと見せかけ引きつける。もう一方は右近と清兵衛の側面を突く。左翼は前面の敵を引きつけるだけでよい。儂の本隊が1千、中央は内蔵助(利三)3千と左馬助(秀満)3千、中央の後備うしろぞなえに与三郎(貞興)1千、右翼の天王山側が太郎庄衛門(政近)1千、敵の中央側が掃部(易家)2千、左翼に庄兵衛(茂朝)2千」


 光秀なりに才気を振り絞った渾身の構想であった。


「太郎庄衛門と庄兵衛は左右から包囲すると見せかけるための陽動じゃ。動くのは内蔵助、左馬助、掃部が敵中央を切り崩した後と心得よ。この策を成し得るためには川を越えずに一見して天王山にも興味ないと思わせるのが肝要。淀城にまわした兵は勝龍寺城に移動。荷駄が勝龍寺城と淀城に着いたら出陣する」


 そして2時間後、明智軍は勝龍寺城を出て高山と中川の前に姿を現した。


「右近殿、日向守はやはり我らが気になるようじゃて、中央が厚いのう」


「山崎の地形ならば西国街道を突き進み、我らを崩すしか手がない。無難な陣立てになるじゃろ。何としても食い止めるほかない。此度こたびいくさは天下の語り草になるはず。我らが家名を高めようぞ」


 そして信孝たちの軍勢も池田恒興を先頭に到着。恒興は明智軍の様子を見るため沼の後方に身を潜める。天王山を守る内藤良勝もこれ見よがしに山へ向う。幸田孝之も高山と中川の後方、さらに丹羽長秀、徳川家康と穴山梅雪、長尾一勝、織田信孝が続々と所定の位置へ布陣。


 日向守討伐軍の陣容は織田信孝1千、高山重友2千5百、中川清秀2千、幸田孝之2千、内藤良勝2千、池田恒興と大坂浪人衆6千、丹羽長秀2千、徳川家康と穴山梅雪1千、長尾一勝1千。総勢1万9千5百。


 さらに荷駄が5千ほど居り、高槻城へ到着したら、およそ2千名ほど旗を持ち天王山へ向う手はずになっている。つまり良勝は天王山を守ると見せた陽動であった。その後、両陣営はにらみ合う。


 16時頃、天王山に続々と旗が増えて行くのを見た光秀は我慢出来なくなり、ついに攻撃を命じた。まず中央の斎藤利三が渡河すると高山重友へ口火を斬る。続いて明智秀満が中川清秀を襲う。


 高山重友と中川清秀は数で劣勢なれど異様に士気が高く互角の応戦を続けている。その中央を崩すべく松田政近と並河易家が渡河した。

 

 そして並河易家が中川清秀の側面を突こうとするものの後方に居た幸田孝之が並河易家へ襲いかかる。内藤良勝も松田政近を猛烈に攻めたてる。

 

 ほどなくして松田政近は総崩れとなり、それを見た並河易家も戦意喪失。こうして明智軍の右翼は呆気なく崩壊した。光秀は中央の後方に居た伊勢貞興を右翼にまわらせたがなすすべなし。


 それまで池田恒興は溝尾茂朝と小競り合いをしていたが、一気に渡河すると凄まじい勢いで押しまくり一瞬で崩した。大坂浪人衆も明智討伐がなれば活躍したものは織田信孝、丹羽長秀、池田恒興に召し抱えることを約束されており、尋常な士気ではない。


 池田恒興に続き丹羽長秀、徳川家康と穴山梅雪、長尾一勝が続々と渡河した。丹羽長秀は明智光秀目指し突撃。その他の右翼勢は斎藤利三と明智秀満の後方から攻めかかる。しばらくして大歓声があがった。


「三河守が家臣本多平八郎、日向守家中でその人ありと謳われた斎藤内蔵助殿の首討ち取ったり!」


 本多忠勝が鬼神の如く首を掲げ馬上より吠える。


 明智光秀が敗北を覚悟し、勝龍寺城へ退却をはじめると、丹羽長秀の隊が追って来た。やがて混戦になり戸田勝成かつしげに討ち取られる。


 渡河してた明智軍兵士は逃げる途中、両岸から攻撃され壊滅状態となった。勝龍寺城は兵士がすべて逃げ去り、もぬけの殻。

 

 かくして山崎の戦いは戦闘がはじまり2時間もかからずに終了し、日向守討伐軍は続々と勝龍寺城に集まり首実検が行われた。



※明智光秀の構想は右翼を渡河させず、天王山へ向かえる位置で待機。そのため織田方左翼は行動が読め無いため身動き取れず。主力の中央勢が、渡河して高山や中川を押す。右翼が渡河して、松田は岡本を引き付け、並河は織田方中央前方を側面から突く。左翼は前方の池田などを引き付けるだけ。天王山は実のところ、あまり重要でなかったという説を採用した結果の作戦。そのため、双方重要視してません。光秀は如何に中央で数的優位な状況を作れるかだけ考えてます。しかし、誤算がありました。まずは幸田動きを読めなかった点。さらに、岡本を渡河させ迎え撃ちたかったのに、高山・中川の粘りと幸田の加勢で松田・並河は渡河せざるを得なくなってしまった。そもそも、光秀は織田方の両翼は薄いと誤解しましたが、全くの逆。結果、高山・中川に粘られ、左右の突撃で壊滅的打撃……。これは、戦国時代の戦いにおける偶発性や思惑違いを強調したいための話です。あと、作中触れてませんが、夕方の戦闘であり織田勢は西から向かって来るため、明智性はもろに西陽を浴びてました。そのため、織田の動きが見えにくかったのもあります。



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