第56話 ガスパール・コエリョの苦悩
――イエズス会日本準管区長コエリョの独白
日本のイエズス会内部はもはや崩壊寸前に陥っている。そもそもイエズス会が直接船を所有しているわけではない(日本国内を移動する小さな船は所有している)。当然、日本で布教するには資金が必要だ。
そのためには自分たちの活動がカトリック、イエズス会、ポルトガルに対して有益であることを強調しなければならない。
しかし日本国内でポルトガルや明の商船と貿易は停止になり何年も過ぎた。噂では明から輸入している商品の国産化が軌道にのるまで再開させない方針だという。
現在、幕府は猛烈な勢いで生糸の生産を奨励している。陶磁器の生産も盛んになりつつあるし、焔硝(硝石)も人工的に作っているらしい。
船も従来のものではなく欧州の船、明の船、日本の船が混ざったような船を使い始めている(幕末の三国丸に近い)。マニラで引き抜いたイスパニア人船大工の指導でガレオン船もすでに作って織田家の家臣が操船の練習に励んでいるという話だ。
数年後にはマカオと日本を結び明の生糸で稼ぐという方式が通用しなくなるのは明白。それでは日本における南蛮貿易による仲介者として存在感を誇示し、支援を受けてきた我々の立つ瀬がない。
イエズス会はポルトガル国王やローマ教皇からの資金援助、ゴアでの不動産収益、貿易および仲介などで活動資金を捻出している。
ポルトガル国王の援助は以前に比べ3割近く減っており、フェリペ2世が国王になっても同じだ。イエズス会における貿易といっても、ようはピンハネでしかない。
以前は無知な日本人へ高く売りつけることが出来たが、そう簡単にはいかなくなってきた。そこにきて幕府の貿易規制は痛手どころの話ではない。このままでは日本での活動が危ういし、ポルトガルの貿易にしてもマカオの維持すら厳しくなるはず。
すでに長崎は幕府に取り上げられている。大村氏が織田に滅ぼされ、領有を認めない代わりに奉行を置き、イエズス会および信徒の安全は保証するというものだったが、このとき今後ポルトガル船が日本へ入港しないかもしれない、と脅かしたのは今思えば逆効果だった。
高山重友(右近)や蒲生氏郷の話によれば幸田広之はポルトガル人が生糸を作っているわけではない。五島列島へ出入りしている明の商人からも買えるし、マニラへ行けば、イスパニア人が居る……。
宣教師は報告することしか出来ない。何ならマニラのイスパニア人に同行してもらいヌエバ・エスパーニャ経由でイスパニアへ行き、直接フェリペ2世に親書を渡すことも可能……。
マニラで活動するフランシスコ会やドミニコ会に布教を任せてもいい。とりあえず布教と貿易を一体化することは認めない、などと言っているそうだ。
幸田広之が悪質なのはイスパニアとポルトガルの微妙な関係。そしてカトリックとプロテスタント、ハプスブルク家など、欧州の政治や宗教の最新事情を完全に把握しており、誤魔化せない。
これまでポルトガルが日本にて行ってきた貿易は地方勢力との非公認の密貿易。統一政府たる幕府がポルトガルと貿易を再開するには、正式に国交を結び、互いに対等な条件でなければならない。双方に外交官を常駐させるべきだと言っているらしいが、正論である。
しかし、そんなことをすればポルトガルのアジアにおける利益が脅かされるのは確実であり、断じて認めるわけには行かない。
我らに与する大名や信徒へ蜂起させようにも、信仰の自由は保証されている。我らが仏教徒から不当に絡まれたとき、相手は捕縛され刑罰を受けており、その辺は平等だ。
異端審問を知っているくらいの人物だから、迂闊なことはしてこない。付け入る隙がないとはこの事だろう。活動に困っているなら、仕事を紹介すると西洋式建築や橋の請負を回してくれており、これが現在イエズス会の日本における収益の柱となりつつある。
弾圧されているという嘘の報告をするという案もあったが、幕府の船はマニラへ出入りしており、イスパニアに介入されると厄介だ。
さらに、もっとも重大なのは高山重友が幸田広之から、イエズス会の内部も一枚岩でなく、内部で方針に対する不満や対立もあり、幕府へ情報を提供してくれる宣教師は複数居ると語っていたらしい。
その話がなくても、裏切り者が居るのは間違いないだろう。怪しい人物は何人か居る。以前、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの名前を出していたが、わさわざ今日本に居ない人物の名前を出すのもいやらしい。
マニラからスペインの艦隊を呼び寄せるなんてのはイエズス会宣教師の誰もが言うことだ。しかし日本の軍事力と仏教徒の数を考えれば無理な話。上陸した途端皆殺し。単なる可能性を願望のもと論じているだけである。
そもそもスペインを頼みとするのは幸田広之が言うようにフランシスコ会やドミニコ会を招き入れる可能性あるなど実際には難しい。
フェリペ2世は名君であり地球の裏側の銃武装した獰猛な民族、それも人口があまりに多い。そんな国へ侵攻するほど愚かではない。逆にマニラを失うようなことがあれば我らの責任となる。
誠に忌々しい事だが、あの幸田広之はそれらを全て織り込んでいるはずだ。
一体、我らはどこへ向かおうとしているだろうか。
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