第344話 徳川家康、春のラム肉祭り②

 瀋陽ではまだ肌寒く、朝晩は冷え込む。徳川家康は当地での食生活において、時折贅沢はするが、大体において素朴な食生活であった。


 大津麦(オーツ麦)の粥(即ちオートミール)、八宝粥、酸奶(ヨーグルト)、豆乳、酸菜(中国版ザワークラウト)、鶏の胸肉、豚の赤身、魚、根菜などを好んで食べている。


 また温泉にもうるさい。瀋陽から南へ約23里程の距離にある湯崗子温泉は幾度も通った。そのため、三河温泉などともいわれるほどだ。


 家康は瀋陽で、漢人医師の娘や女直武将の娘など、3人程妾がおり、子供も何人か居た。漢人の妾と子供は日本に連れ帰り、正式な側室とする予定だが、残り2人の側室と子供については現地に置いていく。


 徳川家の家臣が何人か残り幕府の役務に就くため、それらに預けられる。決して現地に置き去りというものではない。現地で雇い入れた女直や蒙古の家臣も居るため、多少の縁を繋ぐという思惑からだ。


 そのへんについては家康だけでなく、蒲生氏郷、毛利輝元、小早川信吉、堀秀政、黒田孝高(如水)、蜂須賀家政、稲葉重通、戸田勝隆、神子田正治などの諸将も似たりよったりといえよう。


 家康は織田信長の盟友であり、かつては東海一の弓取りと謳われた今川義元の家臣である。さらに、負けたとはいえ城に籠もらず、武田信玄と合戦に及び、山崎の合戦では大きな勲功を立てた。


 そのため家康は、我の強い海千山千の武将たちさえ一目置く存在だ。何かと頼りにされる事について家康もまんざらではない。求心力のある家康を中心に茶会、鷹狩、温泉での湯治、宴会など盛んに行われている。


 ただ、気を使ってる人物が3人居た。蒲生氏郷、堀秀政、稲葉重通たちである。特に蒲生氏郷は織田将軍家宿老という立場であり、本来ならば家康と同格だ。


 オイラト征伐や欧州遠征も強く希望したが丹羽長秀に却下されており、本人は色々と勘繰ってしまう。最後の大仕事はトメト部征伐だが、その後欧州遠征軍や各地での戦火を聞くたび、疎外感を募らせていた。


 堀秀政や稲葉重通にしても役目が少し物足りず、織田家譜代の中では疎んじられているのではないかという疑念を少なからず抱いている。


 しかし、それらには理由があった。3人とも史実において死期が近いため、欧州遠征から外されたのである。氏郷は西暦1595年、秀政は1590年、重通は1598年となっており、いつ亡くなってもおかしくはない。


 そのような配慮があった。無論、知らない身にとっては、むしろ優遇されている結果などとは、分からない。困惑するなというのが無理である。


 家康は3人、取り分け氏郷の不満を薄々感じており、万一の事あらば巻き込まれかねいと、警戒していた。家康も決して優雅な留守番ではなく水面下では気苦労が絶えなかったのである。


 それも、あと数ヶ月で終わる。黒龍江の氷が完全に溶けてから、沿海府の直江兼続は瀋陽へ向かう。到着するのは、夏になってからだ。  


 まもなく日本より織田忠之(信之の弟)が着くので、その世話をしつつ、新たに遼東州の長官となる直江兼続へ引き継ぎを行い、丹羽長秀たちと一緒に日本へ帰る。それまでに、長秀たちを労い、欧州からの客人を饗す用意は万全としなければならない。


 遼東と清州の街道もほぼ整った。さらに大陸公路の東端である敦煌から蒙古方面を通り瀋陽に至る経路を南蒙街道として拡充が進んでいる。ここ数年、馬や駱駝の大量確保に腐心してきたが、今回大量の馬や駱駝が戻ってくるので、これもひと安心といえよう。


「殿、チャハル部より羊が届いておりますぞ」


「この時期の若肉は確実に美味じゃ。日本にも何頭か連れて帰らればのぉ。そうはいっても増やすのに時がかかる。当分は食べれぬ」 


「増えすぎても、日本には手つかずの草むらなぞ、そうそうございませぬからな」


「彦左衛門(大久保)、そこじゃ。土地柄、羊を飼うのに適しておらぬ。秋までに食べ納めせねばな」


 その日の夕方、解体されたベビーラムが家康に出された。ラムチョップ(骨付きリブ肉)の塩焼き、ロースト、素揚げ、さらに串焼きなどだ。


「殿、お味は如何でございましょう」


「美味に決まっておろう。乳しか飲んでおらぬ羊の肉は臭みもなく、実に柔らかい。これぞ肉の中で最も極上。それを燻し焼きや軽く素揚げにするなど、あまり手を加えぬ方がかえって良い」


「殿、それにしても遼東や清州なども嘘のように落ち着き、賑わいを見せておりますな」


「後は夏頃に来る直江殿にお任せするのみじゃな。それはそうと、日本に連れ帰る漢人の手筈であるが、抜かりは許さぬ」


「弥八郎殿(本多正信)が明国内を巡っておりますれば、心配無用か、と。学者、武芸者、大工・鍛冶・絵師・陶芸・石工などの優れたる者や名匠を集めておりまする」


「しかと頼んだぞ」


 こうして家康は帰国を心待ちにするのであった。



※羊の表記と扱い

作中ではマトンを老肉、ラムを若肉と呼称してます。羊に疎い日本人が便宜的にそう呼んでいるという想定であり、羔という馴染の無い漢字は使いません。家康たちは老肉や若肉と呼んでますが、他の人達は成肉や仔肉といってる可能性もあります。


ジンギスカン→第261話参照

チャハル部→第222話・第223話参照

直江兼続→第315話参照

丹羽長秀→第327話・第342話参照

大陸公路→第300話参照

湯崗子温泉→第212話参照

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