第167話 鶏飯対海南鶏飯
かつて日本で肉食は禁忌だったというような認識がある。これには仏教が関係していた。仏教が日本に伝来したのは、日本書紀によれば西暦552年だという。
仏教徒が守るべきとされる五戒というものがある。そのひとつが殺生戒で、これは生物の殺生を禁ずるものだ。西暦675年、天武天皇は諸国へ肉食禁止令を発した。
4月始めから9月終わりまでのあいだ、牛・馬・犬・猿・鶏は食べる事を禁じるというものだ。何故か猪や鹿は入ってない。そうはいっても肉食が完全に絶える事はなかった。
鳥類は獣肉に非ずという解釈もあったらしい。江戸時代になると何故禁忌なのか、という考察も試みられたようだ。それも当然であろう。仏教の殺生戒で禁ずるのならば例外はない。
そうなると農耕の助けとなる牛や馬、番となる犬、人に似た猿、時を告げる鶏。一応、殺生戒以外の理由が考えられ、そうなれば猪や鹿が入ってない事も説明はつく。
しかし、江戸時代の西暦1781年、彦根藩は牛肉の味噌漬けを将軍家斉へ献上している。肉食禁止令の中でも最上位と思われる牛でさえ江戸時代には緩和なのかといえば、そうともいえない。
何しろ、当時は米といえば貨幣同様である。農耕にとって牛は貴重な存在であり、そもそも大変高価だ。庶民が無理に食べるような対象でない。例え禁忌でなくとも普及するはずもない。
世界的に牛肉食が普及したのは穀物肥育されて以降だ。牧草を食べさせるグラスフェッドビーフはどうしても味に癖がある上、肉質は硬い。
天正20年(西暦1592年)にもなって天武天皇時代の肉食禁止令を知っている庶民など居るはずもなく、食べたければどんな肉でも口にするだろう。なので朝廷へお伺いをたてるようなものとはいえない。公家、寺社、武家、一般の民など、それぞれの問題といえる。
織田幕府では豚、鶏、合鴨の流通についてお達しを出していた。病気や解体など、様々な決まり事を設けているのだ。つまり公に容認している。
幕府総裁幸田広之は牛と馬については諦めていた。少なくとも日本で牛と馬は当分無理だ。しかし、満蒙や新亜州(アメリカ大陸)などは、その限りでない。
現在の状況だと豚肉は解体出来る者が少なく、あまり流通していない。普及しているのは鯨を除外すれば鶏と合鴨だ。合鴨は真鴨と家鴨(アヒル)の交雑交配種である。
幕府は合鴨農法を推奨しており、そのため流通量も多い。主に鍋、焼鳥、鴨南蛮などで食べられた。
鶏については、もはや普及どころではない。そのため、鶏の品種改良も盛んだ。無論、その中心は幸田広之だが、先ず食肉用と鶏卵用で分けた。これまで各国から様々な鶏を取り寄せ、考えられる限りの配合がなされている。
豚は年に2度の出産だが、鶏は年中卵を産む。そういう意味では品種改良の進み具合も早い。
軍鶏(シャモ。シャムの鶏品種)、アヤム・カンポン(マレー・インドネシア系の鶏品種)、九斤黄(コーチン。明国の鶏品種)、烏骨鶏(明国の鶏品種)、矮鶏(チャボ。チャンパの鶏品種)、黒色ミノルカ(イスパニア・ミノルカ島の鶏品種)、白色レグホーン(イタリアの鶏品種)、小国(日本の鶏品種)などが使われ品種改良を行う。黒色ミノルカと白色レグホーンは鶏卵用だ。
幸田家で食べられる鶏は品種改良の品評を兼ねていたりする。名古屋コーチンに近いものは既に出来上がっていたが、比内鶏や青森シャモロックなどはロードアイランドレッド種と白色プリスマロック種が無いと難しい。白色プリスマロック種は白色コーニッシュ種と並ぶ現代におけるブロイラーの代表格といえる。
人口がまだ少なく、流通に難のある時代ではブロイラーの必要性は薄い。それよりは名古屋コーチン系の方が良いと広之は考えていた。しかし、鶏肉の人気が高いため成育早めで肉付きのよい品種の開発も進めている。
ある日、広之は品評として鹿児島名物の鶏飯と海南鶏飯を食べる事にした。鶏を茹でるわけだが、金万福に任せる。ただ、血のしたたるような加減としないよう念を押す。そうはいっても温度は低めで時間を掛け、柔らかくしなければならない。さらに鶏ガラや鶏ミンチへ金華ハムを少し加えて出汁を作る。
鶏飯は丼ぶりに白米を盛り、ほぐした鶏、錦糸卵、もやしナムル、干し椎茸、きくらげ、九条葱、高菜などがのせられ、そこへ出汁を注ぐ。海南鶏飯は出汁で炊いた米の上に薄くスライスした鶏をのせている。タレは八丁味噌、たまり味噌、水飴、味醂、酢、魚醤、XO醤、辣油、胡麻油などで作った。付け合せに茹で卵(黄身がオレンジ色)もある。
五徳たちが何を食べさせられるのか不安気に待っている。そこへ運ばれてきた2つの丼ぶりは、見る限りまともだ。
「左衛門殿、少し量が多いですなぁ」
「五徳殿、ご心配無用。そちらの具が沢山のってる方は鍋に入った汁を掛けてくだされ。ようは茶漬けのようなものですな。思ったより食が進みますぞ」
そう言われ、皆して出汁を掛ける。
「左衛門殿、これは美味な事。鶏の味が良く出ておりますな」
「於茶々殿、食欲の無い時でも喉を通る上、身体にも良いですぞ」
イルハは出汁だけ半分ほど飲み、さらに出汁を注いでいる。ナムダリとアブタイは熱い汁が苦手なのか海南鶏飯を先に食べ、喜んでいた。
全員、凄い勢いで交互に食べ始めた。
「左衛門殿、どちらも昼食に良いですなぁ。月に何度か出して頂かないと困りますぞ。それにしても出汁とタレが絶妙……」
五徳が満足気にいうと、広之は一同へどちらが好みか問うた。結果は鶏飯の方が僅かに上だ。タレを作った金万福が「負けた、負けたよ〜。殿様、次は絶対勝つアルネ」などと悔しがっている。
こうして、2種類の鶏料理が幸田家の定番へ加わったのであった。
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