第168話 昆布〆の味わい
最近、幸田家で働き始めたお蒔という奉公人が居る。歳は16(数え)ほど。父は元々織田家家臣土田孫八郎(架空の人物)という2千石取りの下で足軽をしていた。土田孫八郎は美濃土田氏の一族である。
美濃土田氏といえば織田信長の母親である土田御前が有名だ。信長以外では信勝(信行)、秀孝、信包、お市の生母であった。つまり、織田信孝、五徳、茶々、初、江たちにとっては祖母という事になる。
土田御前は大坂で暮らしているが高齢のため屋敷から出る事はほぼ無い。五徳と浅井三姉妹は安土在住時、土田御前から大変世話になっている。本能寺の変時も五徳と浅井三姉妹は土田御前と行動を共にしていたのだ。
土田孫八郎は類縁にあたる土田御前の口添えで織田信雄の家臣として働いた。信雄亡き後は信孝の直臣となる。しかし、土田孫八郎の評判は芳しくない。仕事は申し分ないのだが、土田御前の類縁という立場からか、織田家の一族であるような態度であった。
よく有りがちなパターンである。この程度であれば許容範囲だ。ところが、ある日お蒔の両親は心中して亡くなってしまった。お蒔は父親の弟夫婦へ届けられ、一命を取り留める。
このような事があった場合、報告しなければならない。土田孫八郎は織田家の家老小島兵部に、亡くなった足軽は酒癖せ悪い上、博打狂いで再三注意していた、と説明した。
実際、そのような理由で高利貸しへ手を出し、追い詰められた挙げ句に亡くなることは武家や庶民問わず、よくある話だ。しかし、お蒔を預かる叔父は兄夫婦の死から数ヶ月後、町奉行所へ訴え出てきた。
届け出の内容は兄嫁が土田孫八郎から呼び出され手籠めとなった挙げ句、その後も何度か同様の目にあい、さらには姪のお蒔まで差し出すよう要求され、困った兄夫婦は亡くなったというのだ。
内容以上に相手が織田家でも有名な土田孫八郎という事もあり、話は大阪町奉行を担っている右幸田家(幸田孝之の家)家老から幸田広之へ話がきた。広之は信孝の了解を取り付けると、直ちに取り調べを行わせたのである。
お蒔の叔父が預かっていた書状には呼び出されていた店や日付けなど記されており、確認をした。さらに辞めた土田家奉公人から土田孫八郎の酒癖、女癖、使用人への仕打ちなど証言を取り付け、ほぼ黒だと断定。
ある日、土田孫八郎屋敷へ町奉行所、幕府役人、織田家の家臣らが立ち入った。亡くなった家臣の件で詮議するため部屋より出る事罷りならぬと告げられると、始めは無礼だとか威嚇するも、次第に狼狽。
家臣は個別に聴取され、概ね届け出内容を裏付けるものであった。夜になって土田孫八郎は非を認める書状を記し、自室で腹を刺した後、首筋を切って果てる。
罪を認めた事により土田家はお取り潰しを辛くも免れ、実子への家督相続が認められた。ただし禄高は2千石から600石へ大幅な減封の上、江戸城在番を命じられる。
この件は、たとえ将軍祖母の類縁であろうが罪を犯せば許されない事を改めて天下へ知らしめた。土田家の重臣は全て追放。お蒔については幸田家で引きとっている。お蒔の叔父は大工であったが、幸田家お抱えとなった。
お蒔は両親の件もあり、武家にあまりいい印象がなく断わりたかった。しかし幕府総裁の好意とあり、無碍に出来ず奉公へ上がったのであるが、その日見た光景は中間や小者でさえ茶を飲み、台所にて酒を飲んでいるお初、夜遅く酔って帰宅する異国人の姿だ。
出される食事も考えられないような美味しさであり、茶と一緒に出される菓子も上等。屋敷内は夜でも沢山の灯りで明るい。台所の火を落とす間際に、お初や哲普が自分の部屋で食べるため作っている夜食も贅沢である。
将軍様の妹や娘(一応、初と江は養子扱い)が居るという事で少しでも間違いあらば、お手打ちにされると緊張していたお蒔は狐から一杯食わされたような気分であった。
台所へ配属されたお蒔は、野菜を洗ったり、切るなどから始め、徐々に色々覚えた。哲普曰くなかなか筋が良いとの事。
そんな、ある日の事、台所には見事な魚が沢山届いた。
「お初さん(この時代、さん付けは一般的ではないが使います)、立派なお魚でございますね。どうなさるのですか」
「お蒔ちゃん(ちゃんも怪しいですけど使います)、良いお魚でしょ。淡路島や岸和田の方から届いた物よ。哲普さんは昆布締〆にすると言ってたわね」
「昆布〆?」
「まだ昆布〆は見た事無かったわね。白身のお魚を味の濃い羅臼昆布で挟むのよ。そうすると驚く程美味しいの。後で味見させてあげるわ」
昆布には色々種類がある。特に有名なのは利尻昆布、羅臼昆布、日高昆布、真昆布だが。羅臼は旨味と風味が強く出汁に向いている。羅臼は知床半島東側の狭い範囲でしか取れない希少品だ。
この時代、真昆布以外は大規模に取り始めてまだ数年。とりわけ珍しいのは羅臼で一般には出回らない。ほぼ大坂と京の都で消費されるが、最上級品は幸田家に納められている。
幸田の台所へ配属された者は、先ず各昆布毎の出汁を飲まされる。利き酒ならぬ利き昆布に合格するまで、まともな仕事はさせて貰えない。大抵の者は上等の昆布など味わった事はなく、苦戦する。しかし、お蒔は意外にも1回で合格した。
この日入った魚は、平目、鯛、キジハタ(アコウ)、真蛸だ。哲普たちが見事な手つきで捌き、昆布に挟んでいく。さらに、鯛の頭と中骨は軽く炙り、出汁を取る。
こうして、平目、鯛、キジハタ、真蛸の昆布〆。鯛の真薯椀、白和え、たたき牛蒡、辛子蓮根、蓮根揚げなどが出来上がった。
「お蒔ちゃん、これ平目だけど食べてごらんなさい」
「はい(はいもこの時代ないけど)。それではひとつ……。これは、歯応えといい、お魚と昆布の味が合わさり、とても美味しい」
「そうでしょ。こんな贅沢な食べ物ないわよ」
広之たちは、当然飲む気満々であった。昆布から引き剥がし土佐酢につけて食べる。それを日本酒で飲み干す。至福の瞬間だ。
哲普は頃合いを見計らい、胡麻ダレ(すり胡麻、味醂、白出汁、塩)で昆布〆に絡め、茶碗飯に盛る。米と身の間にはおぼろ昆布が敷かれた。それも、お初は少しお蒔へ味見させる。
「お初さん、これは私のような者が食べて良いものだったのでしょうか……。昆布の味と胡麻の香りが素晴らしく言葉が出ない程の美味しさ」
この後も悪乗りした哲普が鯛出汁の残りを鯛の昆布〆丼に掛けて、お蒔へ差し出す。根が素直なお蒔は言われるまま出された物を食べては驚きつつ、吸収していったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます