第263話 戦没者追悼施設“靖国館”

 西暦1594年、初秋。暑さも和らぎ夏の間、閑散としていた熱い食べ物屋が息を吹き返しつつあった。鶏鍋、拉麺、鍋焼きうどん、おでん、温寿司などだ。そんな折、織田信孝、織田信之、幸田広之、岡本良勝を始め、各大名家の当主や代理、さらに朝廷からは関白二条昭実たちが河内に作られた靖国館へ集まっていた。


 現代では靖国神社があり、宗教性やA旧戦犯合祀など、様々な問題を抱えている。織田幕府は信仰の自由を掲げており、海外戦没者の中にはキリスト教徒、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教など仏教徒以外も含まれており、神社や鎮魂という形式は見送った。


 戦没者の栄誉を讃える追悼施設という体裁で、死者の目録が収められ、式典が行われるだけだ。そのため、お盆の時期を避けての式典となった。今回の式典には友好関係にある諸外国の公使や使節なども来賓として多数参加している。


 明、ウラ、北河、チャハル、シャム、広南、カンボジア、バンテン、ジョホール、ヴィジャヤナガル、ムガル、トルコなどそうそうたる国や部族が参加していた。無論、政治的な意味合いが強い。


 他国から見れば信孝が国王で広之が執政に他ならない。しかし、各国代表の前で2人が関白二条昭実へ平伏する姿をあえて見せるのだ。本当の支配者である天皇は姿も見せず都に鎮座しながら、国を統べている。


 天皇や文官たる公家たち朝廷の支配下で将軍を介した幕府による軍政という図式が垣間見えてしまう。複雑な国家体制を自然な形で理解させつつ、軍事力によらず君臨する天皇の神秘性と実力が誇示される。


 皇紀2254年、正暦(西暦そのもの)1594年、天正21年などと3種類の暦が使用された。各国代表は皇紀に驚く。真実か別にして2254年も歴代の天皇が日本の統治者なのだという。


 この場で広之は日本史上初めて「天皇陛下万歳、大日本国万歳」と唱えた。本来なら、征夷大将軍万歳や織田幕府万歳といってもよさそうなものだ。参加した公家たちも驚いた。


 さて、今回参加してない国が何ヶ国かある。朝鮮、大越(ベトナム)、琉球であった。先ず朝鮮はそもそも友好関係にない。次に大越は現在分裂している。11世紀に李朝成立以降、大越が正式な国名だ。


 しかし、現在の黎朝(レー)は室町幕府末期のような存在で、北部の鄭氏(チン)と南部の阮氏(グエン)が実質的な支配を行っている。鄭氏はトンキン(現ハノイ)、阮氏は広南(現フエ)を中心に支配していた。


 幕府は鄭氏とも相応に交流はあるが、少し距離を置いている。一方、阮氏の広南国とは盛んに交流していた。現在、広南国は南下を阻止され向かう先は北部しかない。何れは鄭氏と熾烈な内戦が勃発するのは確実だ。その時、僅かながら息している黎朝を活用すべく、幕府としてはあえて北部へ踏み込まないでいた。


 最後の琉球だが、未だに日本へ朝貢する動きはない。幕府によって琉球人は国外流出し続け、短期間で琉球の人口は半分以下となった。無論、琉球王朝は阻止しようと試みたが幕府の強硬な対応に断念している。 

 

 もはや湊も半ば占有状態であり、日本人町(現地呼称は大和町)は要塞化していた。それでも琉球王朝にとって幕府からの湊使用料が財政を支えており、抵抗出来ない。密かに明国へ助けを求めたが、そのまま幕府へ通報の上、無視されている。


 湊の日本人町周辺には琉球人の集落が形成されており、ここの住民は幕府の普請で生活していた。皆、稼いだ金で、酒・煙草・茶・砂糖・鰹節・昆布・薬・米・醤油・油・衣服などを買う。


 琉球では細々と砂糖黍が栽培されてはいるが製糖出来ない。また、幕府はじゃが芋、薩摩芋、とうもろこし、煙草の葉などの陸揚げを固く禁じている。いわゆる朝貢貿易も振るわない。


 何しろ、明から購入した品を幕府は買わないし、また明へ売る品も幕府から供給されないので、中継貿易が成立せず、琉球王朝の財政は逼迫。幕府の推定では石高8万、人口も8万程度。


 この内、日本人町周辺の自治区へ住む琉球人はおよそ7千。幕府としては琉球王朝が小中華を捨て、臣従しない限り、単なる寄港地という扱いである。とりあえず人口が3万を割るまでは現状維持する方針だ。


 式典が終わった後、織田信孝、幸田広之、関白二条昭実の3人で会談が行われた。海外へ領土を拡大し続けており、もはや朝廷の伝統で対応しきれないのは明白。変革が喫緊の課題となっている。


「関白様、恐らく数年の内には東西の内、日本の領土は数倍に膨れ上ります。お上(天皇)の御威光、古今に比類なきものとなりましょう。されど、国のまつりごとを行うにあたり源頼朝公以来の征夷大将軍と幕府で良いのか考えねばならぬ時が来てるのではございませぬか」


「左衛門殿、幕府の朝廷に対する貢献とまつりごとはお上もお認めになっておじゃる。麿たちも暦、時、度量衡など、時勢に適った形へ、と考えておじゃるが、あまりにも動きたるや早すぎて、いかんともしがたいところ」


「関白様、お心遣い痛み入ります。先程、左衛門の申された事ですが、お上あっての日本。されど、国というものは国土と国民があればこそ。ならば、この先も日本が繁栄すべく、如何にあるべきか……」


「大樹公(将軍の事)、ご心配めされるなかれ。我ら公家も愚かではおじゃらぬ。古来よりの作法や仕来りに固執するのも務めではおじゃるが、世の趨勢を見誤っては事を損じよう。今や、神武天皇、崇神天皇、神功皇后の御世を超える程でおじゃる。新たな作法や在り方も取り入れねば……」


 広之と信孝が危惧する程には頑迷ではなかった。しかし、官位などを改めるのは相当厳しいはず。とりあえず、幕府中枢と公家で定期的に各国の国家組織、法律、歴史などについて勉強会的なものを行なう約束がなされた。

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