第233話 瀋陽の正月
天正21年12月31日(西暦1594年2月19日)。明国においては万暦22年である。なお、唐朝以降は廟号や諡号ではなく、元号が皇帝を指していた。何故なら明朝以降は一世一元の制が採られ、例外を除き、皇帝と元号は対となっていたからだ。
日本において元旦は厳かなものだが、中国では爆竹や獅子舞のイメージであろう。そもそも獅子は仏教の伝来により、インドからシルクロードを伝って中国へやってきたとされている。
インドのアショカ王の建てた紀元前3世紀頃の石柱に獅子が刻まれており、獅子はその強さにあやかって聖獣扱いされた。これが、仏教と共に東方へ伝搬する。そして、獅子舞に繋がっていく。
インドにはインドライオンが存在するが中国には野生のライオンは存在しなかった。そのため、獅子という言葉は単純にライオンだけを指さない。狛犬がいわゆる唐獅子と似ているのは、大きな犬も獅子扱いだったからだ。
犬だけではない。日本において食用肉はシシであった。猪もシシだし、鹿は『カのシシ』から転じているという。某アニメ映画に登場する聖獣=神獣も鹿のような見た目でシシが付く。無論、聖なる獅子とシシとしての鹿を結びつけた結果なのだろう。
西欧でもライオンは力と権威の象徴となり、東洋では霊力を持つ聖獣として信仰されてきた。賑やかな音と獅子舞がセットなのも頷ける。邪気払いや疫病退散を祈念してのものだから威勢が良くて当然なのだろう。
さて、丹羽長秀たちは瀋陽で2度目の大晦日を迎えた。現代の中国において年越しの餃子は縁起物として欠かせない。これは明代初期から清にかけて定着したようだ。理由は幾つかある。
大晦日の夜、夜の12時になったら餃子を食べ始める事で“更歳交子”とした。交子と餃子が同音のためだ。交子は子を授かるという意味で、日本風なら子宝や子孫繁栄といったところだろうか。
また“交”には「続く」や「末永い」という意味あいもあり、長寿祈願でもあった。清代は銀子に似ているため富と繁栄も加わる。この銀子は元朝以降は元宝、それ以前は銀鋌と呼ばれており、日本では馬蹄銀などという名称を用いた。
現在、遼東では独自の元宝を金銀で大量に発行している。さらに、華北では主食が麦だ。そのような土地に皇帝が住んでいるため五穀豊穣を祈念する意味も加味される。
在地主義を是とする長秀たちも当然年越しは餃子を食べた。用意されたのは三鮮餃子と日本で幸田広之が発案した蓬莱餃子だ。肉三鮮と素三鮮がある。肉三鮮は豚肉、海老、卵。素三鮮は干し海老、韮、卵。
蓬莱餃子はフカヒレ、干し鮑、渡り蟹が使われている。三鮮餃子は茹でてあるが、蓬莱餃子スープ式だ。無論、餃子は日付けが変わるタイミングなので、日没前からご馳走を並べ賑やかに騒ぐ。
この中で、餃子と同様に重要な縁起物が魚だ。「魚」と「余」は同音のため、「年年有余(日本風にいえば“今年も良い年でありますように”的なニュアンス?)」を「年年有魚」に言い換えて魚の姿蒸を食べる。
魚料理は2種類用意されているが、何れもスズキを使用。清蒸と丸揚げにした後にフカヒレの餡掛けをかけた物だ。長秀は新年の吉方位に向けて座り、魚の頭もそちらへ向けられている。
この他にも豚料理や羊など様々な料理が出された。羊についてはチャハル部の族長ブヤン・セチェン・ハーンが、若肉(ラム)を贈ってきたので面子を潰さぬよう出されている。
チャハル部には、新年が明けたらオイラト征伐のため呼和浩特まで着陣するよう伝えてあった。そのためチャハル部では出征の準備に追われている。
長秀より殲滅したオイラト諸部の家畜は清州各部と遼西の蒙古各部で分配してよい旨、通達されている他、大量の軍費(米、麦、金)が送られていた。これ以外にもブヤン・セチェン・ハーンにはチャハル部の根拠地となる都市の他、配下の各首長へ永続的な拠点を作らせるため大量の金が与えられている。
普請は明国の商人が請け負っており、半定住化に向けた取り組むが進んでいる。これには遼東、遼西、清州に200以上の駅を設置する計画も絡んでいた。初期段階では各駅に伝達用の馬、飼い葉、水、食料、施設など備える。
次の段階では宿場町、物流拠点、自由市などと拡大してしまう。駅伝網に関する法度と条約も締結済みだ。近代でいえば満州鉄道のような存在といえる。表向きは駅伝網の整備だが、実質的には地域支配と開発独占を意図していた。
もはや、満蒙の地は幕府による経済体制へ組み込まれており、資金の無い女直と蒙古はただ従うのみである。ブヤン・セチェン・ハーンは戸惑いつつも瀋陽に一族を連絡要員として滞在させ、オイラト遠征のため、備えていた。
「五郎三殿、漢人たちの大晦日や正月も悪くないですな」
「派手なのも世の中明るくなって良いではないか、又左(前田利家)よ」
「今回は昨年より一段と派手のようですな」
「幕府より、使い切れない程、金が送られてきておる。とにかく、金や銀を市中へ流し、人と物が集まるようせえとのお達しじゃ。正月は使いどころであろう」
「遼東へ渡ろうと明国各地から人が天津へ押し寄せてるとか」
「然様じゃ。されど、欲しいのは嫁になりうる年頃のおなご、大工などの職人、鉱山で働く剛の者、商人、文人、学者とかでな。天津も北京に迫るほど賑やかとなっており、遼東へ渡らずじまいで沈む者も多いと聞く」
「まあ、天津や瀋陽も見た目は漢人の町そのものですからな」
「まだまだ人が足らぬ。日本から毎年数万人呼び寄せ、明国からも沢山必要でな。10万人程は居る。何しろ総裁様は遼東に500万石程の水田を開墾するつもりじゃ」
「九州と四国を足したより大きいではございませぬか」
「水利が良いからな。何れ豊かになるであろう」
元旦になると、長秀たちは年糕(中国版のお餅。主に蒸して食べる)を食べたり、正月気分を味わう。そして正月が終わるや陸路で呼和浩特へ向けて進発した。大量の物資は既に呼和浩特へ集積されている。
こうして激動の年は静かに幕を開けた。
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