第383話 歓迎晩餐会
幸田広之は迎賓館の厨房へ入った。哲普、お初、金万福など、幸田家の上屋敷や系列の店から集められた者たちが腕を振るっている。今晩、出す料理は洋風だ。この時代の欧州人へ魚を生で出すのは厳しい。純和風も同様であろう。
また、難しいのは宗教的制約である。イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教徒が一緒に食事する場合ならば、まず牛と豚は出せない。肉と乳製品の盛り合わせも駄目。
魚は鱗と鰭のあるものだけなど制約だらけだ。そうなると、日本で出せる一般的な肉は鶏だけ。しかし、ユダヤ教において 鶏は良いとして、鶏肉のピカタや親子丼はアウト。鮭とイクラを使った海鮮丼やチーズバーガーも同様である。
イスラム教はアルコール禁止だが、酒を出さなければ良いというものではない。例えば醤油や味噌は酵母の働きでアルコール分が含まれていたりする。
厄介どころの話ではない。なので、基本的には各宗教ごとの食事となる。普段はそれていいが、歓迎の食事会を分けるわけにもいかない。
今回、用意した料理は以下の通りである。基本はフランス料理のスタイルで、食前酒(イスラム教徒以外)、アミューズ、前菜、ポタージュ、魚料理、肉料理、氷菓子、メインの肉料理、野菜料理、チーズ、デザート、果実、茶という順番だ。
○アミューズ
南瓜とチーズのミニキッシュ
ひと口野菜テリーヌ
豆腐のムース
○前菜
ポロ葱のヴィネグレット
○ポタージュ
栗のポタージュ
○魚料理
魚のフライと付け合わせ(フィッシュ&チップス風)
※マッシュポテト、グリンピース、人参のグラッセ
○肉料理
鶏むね肉のコンフィ
○氷菓子
柚子のグラニテ
○メイン
鶏のロースト、ハーブとガーリック風味
○野菜料理
彩り野菜のバーニャカウダ風ディップ
○デザート
旬の果実タルト
クレームブリュレ
抹茶のアイスクリーム
○果実
柿のコンポートなど
魚料理は定石通りならばポワレにしたいところだが、あえて揚げている。日本人向けではなく、欧州人を念頭に重たくした。全体的に味付けもやや濃いめだ。
またグラニテ(シャーベット風の口直し)やアイクリームは氷室で保存した氷を使っている。氷と塩を質量比で3:1で混ぜれば凝固点降下により、マイナス20 ℃くらいまで下げる事が可能だ。
ただ、今回は硝石の溶解熱(吸熱反応)によって冷却化していた。氷と硝石を混合するとマイナス25℃まで温度が下がる。そのため、摂津武庫川で汲まれた炭酸水なども十分冷えた状態にて提供されている。
大広間へ各国からの使節などが集まってきた。現在、和暦では9月だが西暦の場合、10月となる。明治の改暦以前では春:1~3月、夏:4~6月、秋:7~9月、冬10~12月という季節区分であるため、晩秋だ。
日没も早くなり、晩餐の終わり頃には夜の帳が下りる。晩餐開始の時刻ともなれば、館内は薄暗い。しかし、幕府の迎賓館ではカーバイドランプ(アセチレンランプ)により煌々と照らされていた。
カーバイドは炭化カルシウムと水を反応させる事により、アセチレンが発生する。現代においてもキャンプなどで利用されており、歴史を辿れば20世紀の発明だ。
しかし、現代より持ち帰った技術によって実用化されつつあった。ただ、肝心のカーバイドがまだ大量生産化されていない。よって、大坂城内や迎賓館などごく一部で試験運用されている。
いずれ大量生産化し、世界中で販売される予定だ。砂糖、煙草、石炭に並ぶ幕府官営の商品となり、莫大な利益をもたらすはずである。
ちなみにカーバイドの製造は、石灰石(炭酸カルシウム)とコークス(炭素)を約2000度という高温で反応させる必要がある。反射炉では不可能だ。
現在、反射炉の稼動が軌道に乗りつつあり、大砲の鋳造(鉄製)も本格化していた。さらに、コークスを使った高炉も実験が進み、まずはカーバイドから作っている。
カーバイドランプを初めて見た者は当然ながら驚く他ない。オイルランプかと思いきや、近づいて見れば芯もない上、火力は強く、手をかざせば結構な暑さだ。
14世紀頃のフランス宮廷料理はテーブルに並べられた料理を手掴みで食べたという。しかし、16世紀にメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスがヴァロワ朝のアンリ2世へ輿入れした事がきっかけで、大きな影響を受ける。
さらに、本格的なコース料理形式は19世紀頃からどという。ロシアにおいてフランスの料理人が料理を提供する際、寒さで料理が冷えないよう1品ずつテーブルへ持っていったのが始まりとされる。
それがフランスへ逆輸入され、完成した。無論、西暦1596年時点で、洗練されたコース料理など欧州人にとっては未知の領域だ。まず、最初に出されたアミューズのミニキッシュなどは手で食べる者が続出した。
しかし、織田信孝、竹子、幸田広之などが器用にフォークやナイフを使うのを見て、慌てたのはいうまでもない。次々と出される料理に衝撃を受けている。
特に欧州の貴族を驚かせたのは抹茶のアイスクリームだ。この時代、すでにアイスは存在するがシャーベット状であり、現代のようなアイスクリームは17世紀頃とされる。
抹茶のアイスに最上級のこし餡、甘い煮豆、白玉、大学芋などが添えられており、上には練乳や生クリームも加わり和風抹茶パフェそのものだ。
料理やアイスに喜んでいる者も居れば、深刻な顔の者も居る。いずれにしろ、圧倒的な文化格差を痛感したのであった。
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