第335話 正親町上皇崩御

 天正23年2月25日(西暦1596年3月23日)、正親町上皇が崩御された。無論、正親町天皇(現在の天皇は後陽成天皇だが、文中において便宜的に正親町天皇とする)という呼び方は追号であり、諱は方仁という。宝算80(数えで80歳)。


 永禄3年1月27日(ユリウス暦1560年2月23日)に第106代天皇として即位。天正14年11月7日(西暦1586年12月17日)、孫の和仁親王(後陽成天皇)へ譲位。


 上皇となって以降は仙洞御所に住んでいた。太上天皇(上皇は本来略称)や法皇など、主に退位(譲位)した天皇の御所が仙洞御所である。


 仙洞は本来仙人の住み処を指す。俗世を離れ、深山へ隠遁する仙人になぞらえた美称だ。ここに住む場合、“院”で呼ばれる。上皇の家政機関として院庁が置かれた。すなわち院政と呼ばれるものだ。白河上皇による院政が有名である。


 昔の場合は、天皇譲位後も治天の君として、内裏を凌駕する上皇・法皇が時々現れた。なので、現上皇の譲位も決して簡単なものではない。

  

 上皇を太上天皇の略称ではないという形にするなど、配慮がなされている。便宜的に、上皇と名乗ったが、院政などとは程遠い。


 何れにしろ正親町天皇の業績は偉大なものとなった。弘治3年(西暦1557年)、後奈良天皇崩御に伴い践祚を行う。しかし、当時朝廷はあまりに貧窮極まっていたので、約2年間即位の礼を挙げれなかった。


 織田信長の上洛後、朝廷は急速に持ち直す。本能寺の変以降は天下人となった織田信孝による支援で、地位や権威を取り戻しつつある。


 織田幕府は朝廷の評判が良い。衣から鎧が見えるなどという事はなく、細かく報告したり、お伺いを立てる。幕府では何かと関白や太政大臣などを招いては、征夷大将軍の織田信孝を始め大身の武士が平伏していた。


 その上、日本の国土は拡大の一途を辿っている。正親町天皇は中興の祖どころか、神武天皇、崇神天皇、持統天皇などと並び称される程だ。


 大喪儀は約1ヶ月半後に行われる事となった。征夷大将軍織田信孝および織田幕府総裁幸田広之は幕府の威信云々と大号令を発している。


 これには意図があった。幕府は初めて“国家”という概念を用いつつ大喪儀とは別に大喪の礼を“国葬”として行う事を取り決めたのである。国家・国民という概念を徐々に刷り込むため、活用する算段だ。


 正親町天皇の崩御により、当分の間武家では祝賀行事、婚儀、元服など控える事が取り決められた。そのため丹羽長秀たちが帰還した際、行う予定の馬揃えは正親町天皇を追悼するという趣旨で厳かに行う方向だ。


 嶋子たちも東京へ戻る予定を変更し、大喪の礼に出席する事となった。大坂や京の都で行なわれる行事へ公式参加するのは織田信長や織田信忠の法事を除けば、大坂追放後初となる。


 ある日、幕府総裁の役宅に細川藤孝が招かれていた。


「これは幽斎殿、急にお呼びだての段、失礼仕る。さて、お呼びだていたしたのは大喪の礼についてでございます」


「大喪儀とは別に幕府が行うというものですな。しかし、葬儀を二度行うとは……」


「幽斎殿のご懸念はもっとも。されど、朝廷の向こうを張って行うというようなものではございませぬ。臣下、或いは国家における臣民が追悼の意を込め、見送るという趣旨」


「それならばよろしいか、と。されど国家と申しますが、それは如何なるものでございましょうか」


「語源は昔、唐土で諸侯の国と卿大夫が治める家を指します。天子の治めし天下と対する概念であり、孟子は民、国家、君主という順で論じておりますな。すなわち国家とは領域・民・権力の三要素によって成り立つべきもの。西欧の場合、フランス語ならばナシオン(ネーション)、エタ(ステート)、ペイ(カントリー)などと呼びますが、ナシオンは国家、エタとペイは国に該当します。ただし、意味合いは異なりますがエタならば、尾張や摂津はペイ……」


「ならば、明やフランスから見た日本の国家とは如何なるものでしょうかな」


「権力を行使する実体という事であれば幕府が国家の政府に他なりませぬ。されど、征夷大将軍であろうと天子様の臣下に過ぎぬ以上、国家の君主は天子様と相成ります。武力を有する征夷大将軍が天子様の威徳により、国を治めているという形でありますな。フランス語で王の事をロイ、イングランド語ならばキングと申します。外交において幕府は征夷大将軍を王とする呼称は認めておりませぬ。また欧州の王でない有力な諸侯に対して、大公・公爵・侯爵などと訳しておりますが、それらは貴族というべき人たちです。日本であれば公家に相当するため、控えております」


「国家と民についてもう少しお聞きしたい」


「国家と国民は同じに等しいもの。国民なくして君主や国家など成り立つ事はほぼありますまい。君主を望むかは国民次第。されど、日本の国家君主たる天子様に国を治めるべき兵力はございませぬ。欧州では王や大公ですらない武人が国家を支配し、これ程国民を富ませる事は無く、日本を不可思議な国と思ってるそうです。欧州には皆で君主を選ぶ国さえあり、日本はまだまだ遅れておるのが実情。ただし朝廷を国民から切り離す事により天子様の威徳で国家が成り立つという形ならば、日本の象徴として君臨する事は可能でありましょう。後は国民が主権者となれば、欧州より進んだ国家へ成り得ます」


「政府たる幕府は如何に……」


 その問いに対し、広之は藤孝へ国家の在り方を余す所なく説明した。その上で、大喪の礼に対する協力を仰いだのである。

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