第269話 幕府軍、モスクワへ侵攻す④
モスクワは秋が深まるなか、冬将軍の到来が間近に迫りつつあった。しかし、目下の懸念は本格的な冬の訪れではなく外敵の侵攻が間近となっていることだ。モスクワ市民は迫りくるイポーニ(日本)とタタールの大軍に恐怖し、食料の価格は高騰。
中央政府は買いだめの禁止と高値の販売を禁じた。いわゆる購入と価格の統制に他ならない。これは完全に裏目となる。早朝、あるいは深夜から人々は並び、当然のように闇取引が横行した。
既に、ニジニ・ノヴゴロド(ロシア中にノヴゴロドがあり、区別するため“新しい”とか、付け加えられる)、ムロム、リャザンなどは陥落。幕府同盟軍は制圧した地域で食料を高値で購入しており、モスクワへの供給と取引価格に直結していた。
そこへ、モスクワ中央政府の価格統制が入り、実勢価格に合わなくなっている。商人や貴族は食料を売り渋って、混乱状態となるのは必然だ。モスクワのボヤール・ドゥーマ(貴族会議)も紛糾しており、フョードル2世下における実質的な最高権力者ボリス・ゴドゥノフでさえ収拾出来ない有り様となっていた。
各地では農奴が一揆を起こしたり、ポーランド・リトアニア共和国やスウェーデンも国境侵犯するなど、動きは活発化している。この時代、ロシアよりポーランド・リトアニアの方が強大なのだ。
ロシア・ツァーリ国とはいっても実態はモスクワ大公国でしかない。かつては独立していた各地の公国が解体され、モスクワ中央に権力は集中。解体された旧公国は総督が治めていた。
しかし、モスクワ在住の貴族や各地の総督たちにも動揺が走っている。求心力の落ちたボリス・ゴドゥノフに対して有力貴族が連合しつつあったのだ。
その中心はシュイスキー家のヴァシーリー・シュイスキー、ムニエフ家のアンドレイ・ムニエフ、ロマノフ家のフョードル・ロマノフなどであり、何れもボリス・ゴドゥノフとは反目しているいわば政敵といえよう。
3人も決して仲が良いわけではない。しかし、緊急事態とあって、対ボリス・ゴドゥノフで利害が一致した結果だ。3人は極秘に談合を重ねボリス失脚の青写真やイポーニとの条約案を練り上げる。
また、8歳(数えで10歳)で亡くなったドミトリーの母親マリヤ・ナガヤ(雷帝イヴァン4世の第7皇妃)を確保するため密偵が送られた。ドミトリーが亡くなった後、暗殺だと騒ぐ暴動が発生。多数の死者も出た。
ボリスの指示でウリグチへ調査のため、派遣されたのが他ならぬシュイスキーだったのである。調査した結果、明らかに暗殺の疑いが濃厚であった。しかし、民衆暴動により疑わしき関係者も死亡。
暴動も不可解な点が多い。暴動で重要な動きをした人物は行方不明となっており、恐らくは何者かの指示によって、実行者の口封じがなされた可能性が高い。仮に主謀者がボリスならば、そんな報告書を作成しようものなら、直ちに粛清される。ボリスは悪名高きオプリチーニナ出身でもあった。
そもそも確固たる証拠がない。暗殺の可能性あり、という事になれば疑われるのはボリスだ。ボリスが首謀者だとしても、自分を追い落とそうする者や雷帝イヴァン4世への恨みから私恩による犯行だのいい逃れ出来る。
悩んだシュイスキーは事故死と結論付けた。この報告書により、母親のマリヤ・ナガヤは過失があるとされ告訴。その後、修道院送りとなり、尼僧にされた。さらにマリヤの兄弟は投獄。
シュイスキーにすれば、ドミトリーが生き伸びてるはず無い事は百も承知だ。しかし、生きているという事になれば都合は良い。その鍵を握るのはマリヤしか居ない。彼女が息子だと証言すれば良いのである。他に偽物が出ても、真贋の決定打となるはずだ。
そのような工作が行われているなか、幕府同盟軍はモスクワからおよそ100km程のコロムナでロシア軍を壊滅させた。さらに、その6日後、モスクワは陥落。しかし、幕府同盟軍はロシア側と休戦協定を結ぶと速やかに撤退した。
占領した都市に残留兵を置き、大半はカスピ海方面へ消えたのである。唖然とするモスクワの中央政府だった。略奪も行わず、賠償金や献納の要求など一切無い。ロシアやポーランド・リトアニアにしても都市を制圧したら激しい略奪は当然の事だ。
さらに、幕府同盟軍は各地でドミトリー暗殺の首謀者としてボリスを弾劾。タタールによるロシアへの略奪阻止、農奴や信仰の自由を主張。解放軍を名乗った。
雷帝イヴァン4世時に農奴への法令は強化されたが、少なくとも1497年法典(スヂェブニク)以前に戻し、ワルシャワ連盟協約(欧州初となる宗教的自由を認めた法令)並の法令実現のため、モスクワ中央政府へ要求すると宣言。
ドミトリー皇子が生きていたら、地位復活のため、援助を惜しまない事も付け加えている。さらに、ロシア解放軍(幕府同盟軍)の占領地では農地解放を早期実施すると明言し、農奴たちは歓迎した。
ロシア正教会への保護と援助も表明し、イスパニアやヴァチカンによる異端審問を厳しく批判。また、占領地で十分な賃金による仕事を約束するなど、民衆宣撫策が次々と打ち出された。
モスクワの中央政府は完全に後手となり、ドミトリー皇子事件の究明を求める民衆へなすすべがない。徹底抗戦せよ、と主張する者も少数派へ転落。日増しにドミトリー皇子待望論が台頭するのであった。
一方、先立ってヴァチカンへ脇坂安治の使者より届けらた親書が波紋を呼んでいる。その写しはイスパニア国王フェリペ2世にも届けられた。
「日本の王がヴァチカンへ送った親書は何だ。宣戦布告や最後通牒(この時代でもそれに近い概念はあり、正当な戦争の在り方が模索されていた)に等しいではないか。余を名指しで弾劾するとは、これ以上の屈辱に耐えるべき道理があるまい」
「陛下、何卒落ち着き下さいませ」
「そなたは余やイスパニアがこれだけ侮辱され平気なのか」
「滅相もござりません。ただ、フランスやネーデルラント(オランダ)などは日本へ同調しており厄介かと存じます。近頃、カタルーニャでは独立を唱える声も高まり……」
「それにしても限度があろう。農奴と奴隷の禁止。植民地現地人への本国並みの権利、異端審問の廃止。信仰の自由。好き勝手な事を並べおって。ヌエバ・エスパーニャやアジアでの非道行為、遭難して助けられながら占領する恥ずべき行為……。自由を奪い布教するのは無効だと……。まるでカトリックや余が人でなしみたいではないか。こうなれば徹底的に受けて立つ。必ずや後悔させてみせよう」
日本、プロテスタント、オスマン・トルコなどとの全面対決を決意するフエリペ2世であった。
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