第18話 決戦関ヶ原
柴田軍の別働隊が清洲城から岐阜城を目指していたとき急報が届く。信孝の本隊が長浜城ではなく東へ進路を変えて美濃の大垣城方面へ向かっている、というのだ。
大垣城が落ちると近江への進路を塞がれてしまう。しかし信孝とて長浜城の勝家から背後を突かれる危険がある。それならば大垣城で食い止めて挟撃するほかない。
別働隊が伊勢へ入ったとき3万ほど居た兵は現在約2万。信雄軍との戦いで負傷者が多く多数の荷駄含め置いてきたほか、松ヶ島城や神戸城に兵を少し残存させた結果である。
伊勢から関ヶ原へ直接行かずに清洲城を経由したのは信雄派の動きを警戒するためだったが裏目に出た。
別働隊を率いる前田利家と金森長近は強行軍にて大垣城を目指した。そして大垣城へ到着する寸前で異変が起きる。
先行していた稲葉良通率いる西美濃衆が大垣城へ入城するや城主の氏家直昌含め反旗を翻したのである。
「おのれ一鉄め……。この期に及んで裏切るとは」
利家は激怒のあまり岐阜城へ集めた西美濃衆の人質を全員殺して首を持って来るように伝えた。しかし、そのころ柴田方の守備兵は前田玄以によって討ち取られていたのである。
慌てた別働隊は仕方なくそのまま関ヶ原へ向かうも、そこには信孝が3万6千ほどの兵力で待ち構えていた。西美濃勢約4千が離脱した柴田軍別働隊は約1万6千。
一方、勝家は長浜城に2千ほどの兵を残して約2万8千で信孝本隊を追う。しかし丹羽長秀は1万8千の兵で賤ヶ岳を陣払いすると長浜城へ向かい無血開城させた。
長浜城を預かっていた勝家の甥である柴田勝豊はかねてから勝家に不満を募らせており戦わずして長秀に城を明け渡したのである。三法師も還され、安土城へ送られた。無傷で長浜城を手に入れ、三法師を奪還した長秀は勝家を追って関ヶ原へ急行。
こうして史実と異なる形で関ヶ原に両軍が集結。信孝軍は大垣城より駆けつけた西美濃衆含め約5万8千。柴田軍は約4万4千。
信孝は史実において小早川が陣を敷いた松尾山に構え、長秀が三成の笹尾山、良通率いる西美濃衆は毛利の南宮山。
松尾山の麓には池田恒興、高山重友、中川清秀たち摂津衆と細川忠興が固めている。笹尾山側は戸田勝成、溝口秀勝、島清興(左近)、上田重安、青山宗勝。
柴田軍の方は松尾山に佐久間勝正と不破勝光、笹尾山へ柴田勝政と前田利家、南宮山が金森長近。
両軍が関ヶ原へ現れてから3日目、柴田軍の先鋒前田利家が信孝軍の先鋒池田恒興へ襲い掛かり、戦いの火蓋が切られた。一進一退の攻防から徐々に丹羽勢が押し始めると、蒲生氏郷率いる南近江衆を柴田勝政、尾張衆を前田利家の増援にまわした。
しかし直ぐさま、蒲生氏郷ら南近江衆や尾張衆が、柴田勝政と前田利家の部隊へ突如襲い掛かると笹尾山側の柴田勢は総崩れとなった。
「何事であるか! なぜ後方から攻められるのじゃ」
勝正が興奮しながら喚く。
「はっ、蒲生や尾張勢が寝返ってござる」
「またもや寝返りとは……。是非に及ばず。このまま前に進め。敵を1人でも殺すのじゃ」
勝家も前方の異変に気付くと裏切り者を討つよう激を飛ばした。
「殿、松尾山の敵がこちらに!」
「なんじゃと……」
それでも勝家はなんとか立て直そうと試みたが柴田軍は開戦3時間で壊走。
勝家は3日後、山中で落武者狩りにあい絶命。同じく柴田勝政も逃走中に落武者狩りで絶命する。前田利家、金森長近、不破勝光は生け捕りにされた。
信孝軍はおよそ2万の兵で越前へ進撃すると北ノ庄城を取り囲んだ。
「お方様と姫様たちは信孝様の下へお引きくださいませ」
「
お市の方は気丈に振る舞うと茶々(淀君)へ優し気な顔で何事か語りかけ奥の間へ消えた。
北国で短い栄華を誇った北ノ庄城は紅蓮の炎に包まれ
金森長近、不破勝光の2人は佐和山城と安土城を経由して京の三条河原で切腹。この2週間後、森長可が春日山城に入り佐々成政は厩橋に送られた。前田利家は羽柴秀吉の嘆願で一命を取り留めたうえ、姫路で蟄居。
さらに羽柴秀吉、滝川一益、徳川家康、直江兼続、上条政繁も安土城に集まった。織田家の新たな体制について話し合うためである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます