第24話 竹子派の晩餐会
広之は竹子を招待するにあたり、信孝からの許可も取り付けた。そのとき横に居た孝之から「毒でも盛る算段でござるか」などと笑えない冗談を投げかけられている。
主従の間柄ではあるが信孝と孝之は兄弟も同然の仲(孝之のほうが大分年上ではあるが)。両者は子供の頃から神戸家で過ごしてきた。
神戸家は元々関氏の分家。だが具盛の祖父は伊勢国司北畠氏からの養子。つまり具盛や竹子には国司北畠の血が流れている。
名門意識がかなり強い。竹子の名前にしても公家の女子風(基本、子が付く)だ。織田一族でも伊勢守家や大和守家に比べて織田弾正忠家(信長の織田家)の家風は
しかし信孝の家老岡本良勝は外叔父であり事実上の育て親とも言える存在。その良勝は熱田神宮の神官を務める家系で、相応の教養人だ。
北畠の血筋と神官の家系による教育たるや武辺で鳴らす織田弾正忠家とはまったく違う。信孝はそのような環境で日々家中の対立を見ながら己を研鑽してきた。
織田信長の子息において、もっとも過酷な環境で厳しく育てられたと言える。成長した信孝は神戸の名を高めるため死ぬ気で戦ってきたが本能寺の変によって状況は一変。
あの日を境に神戸の名を捨て織田信孝となった。結果的に竹子の父具盛は家督を取り戻した形だが、家ごと信雄に差し出され、家中は解体同然のありさま。
竹子にとっては許しがたい行為であり、自身と家の存在価値を全否定されたようなものだ。
また信孝は洗礼こそしてないがキリシタンに傾倒している。伊勢の神戸領へ神父を招いて布教させようとしたこともあり、竹子から見れば秩序破壊にほかならない。
夫婦以前にもはや人として相容れないとさえ思っている。
こじれた関係ではあるが、竹子は天下人足らんとする人物の正室。自分でもどうしてよいのかわからないし相談すべき相手も居ない。
そんなおり織田家の人間ではあるが辛酸舐めてきた五徳や浅井三姉妹と境遇を分かち合う間柄になった。
織田家の複雑にも程がある家系図や人間関係を頭で整理しつつ、食材の手配に忙しい広之の下へ茶々がやってきた。
「包丁奉行殿、お忙しそうじゃなぁ」
「これは於茶々様。何用にて……」
「明日のことじゃがご用意はいかがか」
「万端でござる。お楽しみにお待ちを」
そう言ったものの、まだ決まってない。とりあえず集められる限りの食材を手配している。普段は好きなもの食っているだけなので、いろいろと難しい。
しかし茶々とか竹子の命令で様子見に来たのだろう。そうとう期待されてるのか……。
もう、こうなればヤケである。いつものパターンで行く決意を固めた広之であった。
幸田広之の屋敷には大きい囲炉裏の部屋がある。掘りごたつのような造りで、炉端焼きは中川清秀や池田恒興の好物だ。膳で出すとか堅すぎる。普通でいいんだ普通で……。
そして翌日、広之の屋敷には朝から続々と食材が各地より届いていた。鮎、
まず車海老の一部をそのまま濃いめの塩水に浸ける。みょうがは塩揉みしてから酢漬け。さらに小豆を茹でており、とりあえずはそれだけだ。
夕方になり本格的な準備に取りかかる。お初は少なめの水加減で硬めの白米を炊く。鱧は三枚おろしにしてから身を哲普が鉢ですり身にしている。広之は蛸を入念に塩揉みしてから茹でた。茹でてる間に梅酢と梅肉を作る。
米が炊きあがると、お初はそれを軽くしゃもじで潰してから平たくする。哲普はすり身にした鱧の一部へ塩、砂糖、味醂、葛粉、卵白を加え、それを軽く整えたあと茹でた。広之は茹で上がった蛸の粗熱を取り、切っていく。
さらに海老を切ったり、たまもと、味噌ダレ、土佐酢、葛切りなどそれぞれ作業は進む。
そして家臣が竹子たちを呼びに行った。
まもなく竹子、五徳、茶々、初、江の5人が来訪し、掘りごたつ式の囲炉裏に案内され固まっている。
長方形になっており長い方の片面に広之、その対面に竹子、両脇を五徳と茶々、短い方の左右に初と江が座った。
まずは小皿で九条葱の白和え、蛸の土佐酢仕立て、水晶巻(太めの葛切りで、海老や紫蘇などを巻き、梅酢が添えられている)、海老
囲炉裏では鮎、海老、はんぺん、五平餅、豆腐田楽、茄子田楽などが焼かれていた。
浅井三姉妹の目が輝いている。竹子と五徳は必死で動揺を悟られないようにしているが驚きを隠せない。
やはり竹子が口を付けるまで誰も手出さない。意を決した竹子が椀の真薯軽く箸で切ろうとする。
「なっ、なんと」
思わず声を出してしまった。ほかの4人も何事かわかりかねている。
真薯があまりに柔らかくて驚いたのだった。竹子も多少の贅沢はしたことあるので、真薯のようなものは幾度か口にしてきたが、断然柔らかい。
山芋が無いので卵白を大量に入れ、そのうえ“たまもと”も加えられているから柔らかい。たまもとは簡単に言えば酢の入っていないマヨネーズだが、和食で使われている。
ふわふわの真薯が昆布と鰹節の出汁を吸い込んで得も言われぬ旨さに竹子は感動しながら口へ運ぶ。
「毒は入っていないようじゃ」
ほかの4人も一斉に手を出したが、竹子同様柔らかくて驚く。次に真薯を口へ含み溢れ出す出汁……。ほぼ竹子と同じ反応だった。
竹子は次に九条葱の白和えを口にする。
「左衛門殿、この白いのは何じゃ」
「豆腐にてござりまする。豆腐や胡麻をすり潰して味噌を加えました」
そう言われたら確かに豆腐のふくよかな味がする。これも口の中で溶けていくようだ。
五徳は蛸の土佐酢仕立てが気にいった様子。鰹節を大量に使ってるから、そりゃうまいだろうと広之は思った。
蛸の質もさることながら茹で加減は会心の出来栄え。そもそも自身の好物である。初は水晶巻を一気に完食。
広之が部屋の片隅に居るお初に目配せすると酒が竹子と五徳に出された。浅井三姉妹には料理と合わないだろうが甘酒で気分だけ味わってもらう。
もはや広之の独壇場だった。囲炉裏で焼けた順に出す。はんぺん、海老、豆腐田楽、茄子田楽、鮎、五平餅……。
ここまで来ると竹子も茶々の尺により酒が止まらない。5人で会話に花が咲く。このような楽しい食事は生まれて初めてだ。
饒舌になった竹子は広之へ衆道なのか聞いてきた。否という答えに、その歳で婚姻してないのはおかしいと詰め寄ってくる。
竹子の脳内において、広之は幸田家の庶長子で冷や飯を食らいながら育ち、嫡子の孝之へ遠慮しているという物語が完成した。
竹子はもはや広之も立派な身分なのだから、正室を迎えるべきだと執拗に絡む。終いには五徳を勧めてくる。徳川家で子供を産んでいるから、お家安泰だとか……。
浅井三姉妹は五平餅を気に入ったようで、黙々と食べている。茶々はたっての希望で甘酒から普通の酒にチェンジ。
全員の箸が止まったところで抹茶の葛切りが出された。粒餡も乗っている。もう食べられないと言いかけたが目は釘付け。
「これは……」と五徳が発する。
「葛粉を溶いて固めたものを砂糖入りの抹茶に入れたものでございまする。最後にお召し上がりくださいませ」
甘い抹茶という言葉に怪訝な顔の5人だが、食べた瞬間満面の笑み。
竹子はこれから月に1度は来ると言い残し、土産の石鹸をもらい満足気に帰った。
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