織田幕府の大航海時代編

第183話 長秀と利家

 丹羽長秀は前田利家と一緒に蒸し風呂で汗を流していた。


「又左よ、あの陳徳永という商人は、なかなかの者じゃろ」

 

「五郎三殿、あれはためらいなく人をあやめる事が出来ましょう」


「儂も然様に思う。まあ何処の国でも川筋者、馬借、口入屋、人宿のたぐいは並じゃなかろ。北京と杭州を結ぶ運河は2400余里もあるそうじゃ。無論、襲われる事もあれば、運漕屋共で争う事もな……」


「かなり荒っぽい事もしてそうですな」


「若い頃は親に勘当され、諸国を渡り歩きながら、用心棒や博打で食ってたそうじゃからな。そのうち売り掛けの取り立て、博打場、遊女屋、口入などで稼ぎ、馬借や運漕に乗り出したそうな」


「相当な者というか、ほぼ商人ではありませぬぞ」


「この国では昔から、侠客という者が居るそうじゃ」


 侠客、任侠、遊侠、義侠などの概念は古代中国に発祥の言葉や概念だ。また、仁と義も儒教においては骨格を成すような意味あいがある。


「今、読んでいる水滸伝みたいなものですな」


「それとな又左よ、儂が貸した三国志演義も読んでおるじゃろ。劉備公の義弟である関羽は解県という所の出らしいが、今の山西省だと陳徳永は申しておった。関帝廟というものが昔からあって山西商人ならば1度は訪れるそうじゃ。関羽の故郷は塩の産地でな、地元の言い伝えではかの御仁も塩に関わる商いをしていたという。山西商人にとっては商いの神様でもあるわけじゃ」


「なかなか興をそそる話ですな。日本は海に囲まれており塩ならば困りますまい。この国は塩を抑えるのが、肝要という事でございましょう」


「陳徳永も塩はこの先安泰であろうが江南の米を華北へ運河伝いに運ぶのは廃れると読んでおる。浮いた人足を幕府が租借する湊や町の馬借に回したいらしい。幕府は、明国に湊を開かせ、大きな船で南北の産物運んで儲けるつもりじゃ。そのため、黄河、淮河、長江、珠河の河口の湊を抑える。さすれば北京と杭州を結ぶ運河なぞ、あまり用は無かろう」


「つまり幕府は少ない手間で大きな益だけ得るという事ですな」


「今、江南へ向かう時の積み荷が足りないとも申してたな。上り舟が北京へ荷を空にしたあと、山西省へ行く時、天津で煙草、味の友、抹茶、焙じ抹茶、薬、石鹸、漆器、毛皮で山積みしたいそうじゃ。山西省の荷を北京で空にして、また天津から仕入れ、江南へ向かう。運河が廃れるまでの間、荒稼ぎするつもりであろう」


「抜け目ないというか……」


「さて、汗を洗い流して酒でも飲むとしよう」


 北京半落後、ウラ国やフルハ国の軍勢は帰国し、建州には毛利輝元、小早川隆景、最上義光、蘆名政道(伊達小次郎)などが赴いている。


 それ以外の武将は瀋陽や大連での普請、もしくは各地を巡回していた。当初は略奪が行われる事を警戒していた明国人も落ち着いている。各地で普請のため高い賃金にて人夫が雇われたり、農民からも高値で作物を買い取るなど空前の好景気だ。 


 女直居住地域である清州各地には駅伝網が構築されはじめていた。各駅へ狼煙台も置かれ、栄河城や栄明城方面には伝書鳩網の整備が進められている。また遼東や清州の主要街道沿いに測量が行われたり、田畑への検地など、着々と支配体制は強化されていた。


 商人や職人へも大量の発注が舞い込んでおり、日本軍兵士が住む宿舎付近には即席の市や遊郭も出来ている。元々、遼東はアメリカでいえば開拓時代の西部のようであり、物騒な土地だ。


 遼東への赴任は危険なため、人気が無かった。李成梁は20年近くも地位を保っていたが、異例といえる。中央の目が届きにくい上、女直や蒙古の内情は部外者へわかりにくい。


 その気になれば嘘の報告や軍費の横領など難しいことではないだろう。明国は元を北原へ追いやって成立している。当然、北方騎馬民族に対しては警戒が強い。明国は当初、南京に都を置いたが北方の守りから北京へ遷都した程なのだ。


 遼東は国土防衛の最重要地域であるため、北辺に異変あり、となれば中央より経費も引き出しやすい。かくして李成梁は自身の手下を首長に据えつつ、李一族は肥え太った。


 李成梁の子息である李如松、李如柏、李如梅(史実では3人とも文禄・慶長の役へ参戦)など出世しており、遼東総兵時代の名声と蓄えた資金が背景にあると見てよいだろう。李如松は現在、寧夏の乱(哱拝の乱)に参戦している。


 李一族が育てたヌルハチは李成梁の手に負えなくなり、清が明を倒す。無論、李一族の専横以外にも日本の朝鮮侵攻という事態が大きくヌルハチへ味方したのもある。


 そんな混沌に満ちた遼東であるが、華北各地からの流れ者や一旗揚げようという商人など集まり、辺境のフロンティアと化していた。


「しかし、又左よ。遼東は食い物が美味い。太ってしまうな」


「豚や家鴨あひるが多いですな。それがしは鯉を揚げて、甘くて酢っぱいやつが美味くて、あれはよろしい」


「ほう、今宵も鯉であるぞ。これは儂も好きでな」


「五郎三殿、蒸した豚や餃子も出てきましたぞ」


「白酒も堪えられぬ」


 遼東半島は山東省出身者が多く、料理もその影響を受けている。北京料理や明・清の宮廷料理も山東料理の影響を受けており、中国では魯菜という。醬油や味噌を使った味付けの他、にんにくや葱を多用し、風味がよい。味付けは塩分強めで濃いめだ。


 食と酒がすすむ長秀と利家であった。

 

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