第319話 ゆくえを追って:ミルーマ・リィ・ヘルベット第三近衛騎士団長




「上手くいったのね。アヴェステラ」


「ええ。みなさんが敵対する戦力を引き付けてくださったお陰です」


「それがお役目よ」


 王室区画『黒いとばり』の最奥に飛び込んだ先では、すでにアヴェステラたちが王陛下や第一王子殿下の保護を終えていた。


 努めて平坦な表情でコトを進めるアヴェステラには悪いが、ひとりの近衛騎士として王族に直接手を掛けるという行為をしないで済んだことに、どこかほっとしている自覚がある。

 リーサリット姫様の命を受けたというのに、そう考えてしまうことが情けない。此度の一件は姫様の悲願だ。そこにわたしの意思を介在させるなどあり得ない。


 いや、姫様の想いはわたしのものでもある。だからこそ成就するために、全てを賭けなければ。



「ヘルベット卿、イトル卿……、お前たちまでもか」


「先王陛下におかれましては穏やかに過ごされますことを、女王陛下はお望みです」


 憔悴した『先王陛下』が、かすれた声でわたしとキャルシヤに恨みがましい言葉を投げかけた。

 すかさずアヴェステラが決定的な言葉を放つ。そうか、終わっていたのか。


 何もかもを失った没落貴族の顔を何度も見てきたが、陛下のソレは彼らよりは余程マシだ。この状況を打開できるような根拠など持っていないにもかかわらず、それでも余裕が感じられるのは、この方の気質なのだろう。

 王子殿下、いや『王兄殿下』にも引き継がれた、その鈍感さ。平素であれば鷹揚な王として存在できたであろうが、時代はそれを許さなかった。わたしの姫様がそう判断されたから。


「女王陛下の即位はつつがなく執り行われました」


「よくも、ふんっ、言ってくれるな。ラルドール」


「略式ではありますが、法に則った正当な手続きです。先王陛下」


 最後の抗いなのか、先王陛下が吐き捨てるもアヴェステラはものともしない。


 部屋の中央付近に置かれた卓の上には、多数の書類と玉璽、王錫、王冠などが置かれている。昨日のうちに姫様の手の者によって持ち出されていた、王が所持すべき品の数々だ。

 先王の退位と現女王の即位を保証する面々としては、侯爵一家、伯爵二家、法衣伯爵と子爵が十数名、近衛騎士団長三名、王国軍団長二名、教会関係者数名、そして姫様と先王陛下当人がいる。先王陛下以外の署名は、昨晩のうちに終わっている状態だ。本来ならば当然のこととして宰相侯、軍務卿、近衛騎士総長らも名を連ねるべきなのだが、法に基づけばこれでも不備はないのだとか。


 王国史上でも稀に見る簡略さではあるが、皆無な事例ではないらしい。

 わたしからしてみれば、極限まで虚飾が配されたこれこそが姫様にふさわしい即位ではないかとすら思うほどだ。姫様ご本人がおられないのは残念ではあるがな。


 このような『手続き』の場において、アヴェステラに対抗できる者は王国に存在するのだろうか。彼女が姫様に見いだされ、この場に立っているのは、まさにこの日のためだったのかもしれない。



 新たなる女王陛下が玉座にお戻りになるこそが必須ではあるが、ここに最低限は成された。

 それに比べれば宰相をはじめとする反勢力の鎮圧などは些事ではある。だが、それこそがわたしに与えられた使命だ。


「生活の保障は……」


「はい。女王陛下のお言葉が違えられることはないでしょう」


 疲れ切っていながらもそれをのたまうことができるのが先王陛下か。表舞台からは去るだろうが、長生きをしそうなお方だ。


 淡々と返すアヴェステラがチラリと送った視線の先には、気を失いながらも丁寧に寝かされている王兄殿下と数名の騎士たち、そこに寄りそうアーケラ・ディレフの姿があった。怪我はなさそうだが、彼らと先王陛下の対比がアヴェステラを苛立たせているのか。

『第一王子殿下』は最後の最後で立ち向かわれたのだな。一年早ければ情勢はどうなっていたかと考えるが、それに意味はない。なにがあろうと勝利するのは姫様なのだから。


 王兄殿下におかれては、健やかな余生が待っているはずだ。それどころか、このような状況で剣を抜くことのできる心根を姫様は貴ぶだろう。

 もしかすれば今後、なにかしらのお役目すら与えられるかもしれない。無論、表には出ない存在としてだが。



「ヘルベット隊とイトル隊だけど、道中で四名を喪い、五名が脱落したわ。ミームス隊は無事なのよね」


「ええ、欠けることなく。ミルーマさんとキャルシヤには感謝しかありません」


 六分隊で九名の離脱は大きい。一分隊以上が溶けたことを意味するのだから。

 わたしの報告に表情を暗くしたアヴェステラだが、問題はここからの行動だ。


「必要な消耗だ。敵も味方も同じく勇猛だった」


 キャルシヤの表情も歪んではいるものの、覇気に陰りはない。

 彼女が味方と確定したのは直近になってからではあるが、姫様の手腕には感嘆するほかないな。


「そこで皆に質問だが、近衛騎士総長ベリィラント伯はどこだ? 誰か見た者はいるのか?」


「ひっ!?」


 続くキャルシヤの言葉に、全員の視線が『紫心』団長、パルハートに向けられた。


 なぜこの男は五体無事で意識を保ったまま椅子に拘束されているのか。答えはわかっていても、胃の腑から毒が沸き上がるような気にさせられる。

 抵抗もせずに投降したか。近衛の第一たる『紫心』の団長が。


「そっ、総長閣下は防御陣地の構築を指示し、反抗勢力をっ──」


「そこまでは知っているわ」


 何一つ隠そうともせず、唾を飛ばしながら叫ぶように自供するパルハートに対して放ったわたしの言葉は、我ながら凍てついていただろう。


「続きを、早くなさい」


「……一刻よりも前に『白水』を確認すると。私が知るのはそこまでだ」


 一拍の間がパルハートに若干の落ち着きを与えたのか、わたしが促せば求めている答えがもたらされた。



「道理で出会わなかったわけだ。歓迎すべき事態……、ではないな」


 大きな肩を竦めるキャルシヤを、思わずわたしは恨めしい顔で見てしまう。


 ここに来る途中で総長と対峙していれば、ヘルベット隊とイトル隊の総力をぶつけて、お互いがすり潰されようともかの者を倒していただろう。

 この部屋で待ち受けていたならば、そこにミームス隊を投入してでもだ。


 禅譲はなった。だがしかし、コトは半分も終わっていない。



「アヴェステラ、指示を出してもらえるかな」


 ひとつため息を吐いたキャルシヤが、アヴェステラに今後の方針を求めた。


 この場にいる女王側の最上位者は三名。全員が子爵であり、女王陛下の名代でもある。

 そんな者たちが一堂に会すれば意見が割れる可能性もあり、そこに序列を付けたのは姫様自らだ。


 第一位はアヴェステラ、二位はゲイヘン軍団長で三位がわたし。キャルシヤは四位となる。

 政治的な知見を考慮した上での屈辱的な順位付けではあるが、従うしかあるまい。


「予定では宰相の捕縛が優先されていますが、コトは戦です。付け加えるならば、新たなる女王陛下がご無事で戻られなければ戦いそのものに意味がありません」


「だからといって『白水』を見過ごすわけにもいかない、か」


「そうですね。宰相の拘束と総長の所在確認は必要だと思います」


 暗に意見をほしいという趣旨の発言をしたアヴェステラに、素早くキャルシヤが必要な言葉を返す。

 このあたりは学院の同期たる呼吸というものだろう。わたしではこうはならない。


「ミルーマさんはどう思われますか?」


「……最優先で『白水』の確認かしら。女王陛下と勇者たちは四層よ。時間に猶予はあるわ」


 名指しで振ってくれたお陰で自分の意見を述べさせてもらう。こういう気づかいが丁寧だからこそ、アヴェステラは姫様の右腕として在るのだ。


「そうですね……。まずわたくしですが、この場を動けません。先王陛下と王兄殿下の保護ともしもの襲撃に備え、ミームス隊と共に残りましょう」


 アヴェステラの意見は真っ当だった。

 この場を動かず、先王陛下と王兄殿下を拘束する。もちろん敵対していた騎士たちもだ。さらには再奪還を狙う存在に対しミームス隊を置く。これしかないだろう。


「戦力の分割は、ないな。ミルーマ、いいのか?」


 キャルシヤが疑わしい視線をぶつけてくるが、わたしは首を縦に振る。

 本当ならば今すぐにでも迷宮に向かい、姫様をお守りしたい。


 だが『白水』に総長と彼が率いるベリィラント隊や、宰相派閥の戦力が居た場合、損耗したヘルベット隊かイトル隊を別個にぶつけるのは危険すぎる。

 ならば『白水』で宰相なり総長なりがいればそれで良しとする。もしくはその場で味方戦力を糾合してもいい。


 近衛騎士総長、ベリィラント。まったくもって面倒なじい様だ。


「時間が惜しいわ。急ぎましょう、キャルシヤ」


 もしも『白水』で総長を見つけられなければ、それこそ迷宮を目指すことになるだろう。その場合とて、迷宮内戦闘ならばキャルシヤ率いるイトル隊の方がわたしより優秀なのだ。


 扉の外に控えていた隊の騎士たちがガシャガシャと鎧の音を立てるのが聞こえてきた。

 疲労は蓄積する一方だが、彼らにはまだまだ付き合ってもらうしかない。



 ◇◇◇



「生きては……、いるのだな」


「ええ、まあ」


 キャルシヤが眉根を寄せて問えば、ひとりの近衛騎士が返答した。


 ヴェッツ・ミレドハと名乗る彼は、傍で横たわり眠る『黄石』所属のカリハ隊隊長ジェブリー・カリハを心配そうに見守っている。

 カリハは左足の膝から下を喪っていた。近衛の金属鎧を一撃で斬り裂いたような傷口を見て、総長の仕業とどこかで確信する。もしもアレが現れたというならば、ここの有様も理解できるというものだ。


「ここはおおむね制圧完了ですよ。見ての通りで被害は甚大、『白水』の団長さんは戦死ですがね」


 歪んだ笑みを浮かべるミレドハは、辺りを見渡し投げやりに言った。


 わたしとキャルシヤが急行した『白水』本部の最奥大広間には、死者や負傷者が多数転がされている。『黒い帳』を目指した戦いに比べはるかに酷い惨状に、思わず眉をしかめてしまう。

 多くは『白水』の騎士だが、そこには『蒼雷』や『黄石』、そして王都軍の者までもが含まれていて、それが現在における情勢の混沌さを表しているかのようだ。


 その中で『白水』の団長、オウラスタが果てていた。


「やったのはウチの部隊ですがね。あの団長さん、最後まで宰相のじいさんを守ってましたよ」


「そうか。敵味方の違いはあったが、責務を果たしたのだな」


 一段声が低くなったキャルシヤが、神妙な表情で遺体を見つめる。

 そういえばキャルシヤとオウラスタには『白水』団長の座を巡った確執があったか。こんなことになってしまうとは、キャルシヤの心中も複雑だろう。



「モノは言い様ってヤツですかね。ありゃあ、時間稼ぎですよ。ヤツら、見事に逃げおおせちまった。ちくしょうが」


 感情があふれ出したのだろう、ミレドハの語気が荒くなる。

 隊長を害され、身動きの取れぬまま捕縛対象を取り逃がしたのだ、悔しくないはずがない。


「何人かは潰しましたがね、逃げ出したのは宰相だけじゃねえ。総長が乱入しやがった。近衛の部隊と王都軍の恰好をしたのが一緒に。くそが」


「そうか。だがすまん、時系列で頼めるか」


「……すみませんでした。えっとですね──」


 ミレドハが当初に話した内容だけで動きたくなるわたしを他所に、キャルシヤは冷静だった。


 どこか負けた気分にもなるが、前後関係も知らずに迷宮に飛び込むわけにもいかない。心に蓋をして、ミレドハの言葉に耳を傾ける。



 ミレドハたちカリハ隊は王都軍や『召喚の間』で姫様が糾合した戦力で『白水』を急襲した。わたしとキャルシヤらが『黒いとばり』を攻めたのと、ほぼ同時刻になる。


 当然『白水』は抵抗したが姫様に付いた騎士団員も存在し、内と外からの攻撃となった時点で団長のオウラスタは完全な籠城を選択したらしい。

 そこには潜伏していた宰相一党も含まれていた。王都軍の装備をした者もいたということから、宰相を守っていた戦力は、勇者拉致を実行したまま行方不明のパラスタ隊なのだろう。


 近衛騎士団本部はどこも同じだが、『白水』も『黒い帳』と同様に籠城が可能な造りになっている。間取りのひとつひとつが小さな砦として機能するのだ。

 状況の変化を待つようにしながら時間を稼ぐ『白水』と、城攻めの形になった『王女派』……、黒布を付けた『勇者派』は、しばらくのあいだジリジリとした攻勢を繰り返したらしい。

 それでも最終的に『白水』本部を落とす寸前までは到達できていたようだ。


 そこに近衛騎士総長率いるベリィラント隊が現れた。

 城攻めの途中で背後を突かれるのは痛い。援軍が強力であればなおさらだ。


「ただ、妙というか、アレって仲間を助けに来たようには思えないんでさ」


「どういうことだ?」


「総長が俺たちの隊列をうしろから切り裂いてまでしてわざわざ中に入って、そこからこの広間で乱戦になったんですがね。そこにいた宰相さんと揉めてたように見えたんです」


 ミレドハの相手をキャルシヤに任せて、わたしは黙ったまま聞いていたのだが、雲行きがおかしいのはわかる。宰相と総長は結託していない?


「総長は宰相やら守ってた連中を脅しつけて、無理やり引きずり出したような。それでも抜かれちまった俺たちが情けないんですがね」


「いや、それは……」


 キャルシヤはそこで言葉を飲み込んだ。

 自らを責めている相手に対し、掛ける言葉の選択は難しい。



「いいの。自分を好きに責めなさい。ただし、全部を終わらせてから」


「……そうですね。そのとおりだ」


 わたしが口を挟んだのは、時間が惜しいからだ。


 申し訳ないがこれ以上ミレドハの泣き言に付き合うことはできない。

 無念な想いは戦後で晴らせばいい。大丈夫、姫様は報いてくださるお方だから。


「本当ならミルーマにココの始末を任せたいのだが」


「それは聞けないわね。キャルシヤ」


「だろうな。だが、迷宮での戦闘ならば──」


「あなたでしょうね。だから一緒に行きましょう」


 キャルシヤの提案は真っ当だ。


 状況を整理すべき人間がこの場に残る必要がある。名代であるわたしかキャルシヤが最適任だろう。

 だが、それはしたくない。どちらを残すかとなれば、必然それはわたしになるから。



「いいですよ。行ってくれても」


「ミレドハ……」


 さっきまでとは打って変わった苦笑を浮かべたミレドハに、キャルシヤが痛ましい視線を送る。


「しばらくすればウチの隊長も目を覚ますでしょう。なあに、足のひとつでどうにかなる人じゃない。頭さえ動いて口さえ開ければ、あとは周りがやってくれますよ。できればそれなりの肩書がある方がいれば助かるんですがね。平民出の騎士爵じゃ、看板が小さくて」


 ミレドハからは宰相と総長を逃がしてしまった悔恨と、姫様、いやそれよりも勇者への憂慮が伝わってきた。


「ウルハイア」


「はいはい。わたしが居残ればいいんですね」


「頼む」


 この場を離れるために部隊を切り離す。それが落としどころだろう。

 ヘルベット隊の副隊長、ウルハイアはわたしより年上で男爵位を持っている。建前ではあれ、上手くこの場を差配してくれるだろう。ヘタをすればわたし以上かもしれない。



「ヘルベット隊は一分隊を選抜して総長らを追うわ。残りはこの場をなんとかしておいて。キャルシヤ、どう?」


「そうだな、イトル隊も消耗が激しい。一分隊を抽出し【聖術師】は全員置いていく」


 部隊付きの【聖術師】たちはすでに治療に励んでいるが、キャルシヤはそれを置いていくという。

 最速での強行軍か。望むところだ。


「話が決まったんなら急いだ方がいいですよ、団長方」


「任せろ、王女殿下も勇者たちも、必ず救ってみせよう」


 この場を仕切る存在が現れて気を抜けたのか、ミレドハの口調は軽くなった。

 対してキャルシヤは、あえて王女殿下と姫様のことを呼ぶ。女王陛下などという単語を持ち出しては、そこから話が長くなるかもしれないからな。


「あいつら……、勇者たちには俺もチラっと関わってるんですよ」


「知っているわ。彼らを一層に案内したのがあなたたちなのも、転落事故の時に活躍してくれたのも。わたしもね、勇者たちとは仲良くしたいと思っているの」


 未だに眠るジェブリー・カリハが率いるヴェッツ・ミレドハたちカリハ隊が、ミームス隊と共に最初期に勇者の教導を担当していたのは報告書で確認している。勇者たちが二層に滑落した事件でもカリハ隊が奔走したことも。

 だからこそミレドハは勇者の心根を知っているし、肩書とは関係無しに、あの若者たちを救いたいと考えているのだろう。


「そうでしたか。団長さん、なら、なおさら急いだ方がいい」


「ミレドハ?」


 これまでとは全く違う、悪く表現すればイヤらしい顔で笑うミレドハに、思わず問い返してしまった。



「急がないと、あいつらが全部食っちまいますよ? 総長も宰相もまとめて」


「そうか。そうだな。彼らならそうだろう」


 救出を急ぐ理由があまりに酷いが、キャルシヤは笑い出す。


 ミレドハにしてもキャルシヤにしても、勇者たちと共に迷宮に入った経験の持ち主だ。

 そんな実績が、今のわたしにはとても羨ましく思えてしまう。


「キャルシヤ、急ぎましょう。遅れてしまったら姫様に笑われてしまうわ」


 だからわたしはキャルシヤを急き立てるのだ。


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