第436話 悪役令嬢とヒロインが戦えば
「楽しませてもらいましたわ。『コウシ』」
「いえ、完敗です。『ティア様』」
左腕で俺の腰を抱きかかえたまま、大きく振りかぶって放った右拳を寸止めしてみせたリンパッティア様は、非常に満足気であった。
目の前で静止したパンチの余波で顔が歪むって、ホントにあるんだなっていう貴重な体験をさせてもらった俺だったが、どうにも周囲からの視線がなあ。
「あの、ティア様、そろそろ」
「あら、そうですわね」
もう離れましょうとティア様を促せば、あちらは余裕綽々で俺の腰から腕を離した。
超至近距離だったのに、照れとかそういうのが全く感じられない。密着していた俺などはドキドキだったのに。
あれかな、お貴族様だからダンスとかそういうので慣れているとか。もしくは戦いだからと割り切っていたとか。
「ちょっと、どうするのよ
「言われても」
小走りに寄ってきた
そもそもが
先生、なんで目を逸らしているのかな。普通はこういうのも計略の内ってパターンだろうに。
「あなた方も戻ってきたということは、昼食の時間ということですわね。ご一緒させていただいても?」
「できればそうしたいのですが、露店の屋台で買ってきたものばかりです。高貴な方の口に合うとはとてもとても」
普通に嬉しそうなリンパッティア様に対峙するのは、サメを伴い進み出た
どんな口調だよ。ウニみたいに棘だらけになっているぞ。
「まったく問題ありませんわ。わたくし、下々の生活を見届けるのも役目と心得ておりますの」
「それはまた随分とお優しいんですね。平民の八津くんも有象無象のひとりなんでしょうね」
「あら、コウシはわたくしが認める強者ですわよ?」
「ぐぬぬ」
もはや綿原さんの方が悪役度が高いんじゃないだろうか。
悪役令嬢バーサス鮫女のぶつかり合いに、周りの連中は誰一人言葉を挟むことはできなかった。
◇◇◇
「やはりたまにはこのような食事も悪くはありませんわね。ねえ、コウシ」
「そ、そうですね」
ティア様の言うように、実際に味は悪くない。ぶっちゃけ美味しいのだけど、対面に座る綿原さんからの視線が、ちょっと。
クラスのみんなが屋台で購入してきてくれたのは、ありきたりなサンドイッチモドキだった。
どんな肉が使われているか、味付けなのかも得体はしれなかったけれど、あの
切り取ったパンに挟んだ肉と少々の野菜はアウローニヤとはまた違いスパイシーさが抑え込まれていて、代わりに胡椒と塩が利いているように感じる。
どちらが上でも下でもなく、高校生のバカ舌には十分な美味しさだったってことだ。
問題なのは、近くで泳ぐサメの動きが鋭角的になっているあたりか。
綿原さんのメガネはギラギラと輝いていて、目を見ることができないのが恐ろしい。
「任せておいてね八津くん。仇は討つから」
「ああ。綿原さんなら楽勝だよ」
やたらと平坦な声色の綿原さんのセリフに、俺の返事は果たして届いているのだろうか。
食後、当たり前のように綿原さんとティア様のマッチが組まれた。
普通に考えれば結果は見え見えなんだけど、空気がなあ。ここから友好エンドってあり得るんだろうか。
「
「
「うん」
そして
「存分にやってください。ただし、最大限安全に配慮を──」
「
「ダメです」
「冗談に決まってます。三歩手前くらいまでにしておきますから」
先生の提案した『タイマン張ればお友達作戦』は大失敗みたいな感じになっている。
綿原さんも上杉さんの【聖導術】を当てにしないでほしいものだ。情報を持っている侯爵家にバレてはいるだろうけど、身内から進んで聖女だと開示することもないだろうに。
◇◇◇
「まさか当てたりしないよな」
「どうだろうな。いやあ、八津は悪い男だ」
舞台を再び中庭に移し、クラスメイトたちが輪を作る中、俺の呟きを横に立つ野球少年の
「……勘弁してくれ」
「正式に告ればいいのによ」
「そういうのは……、戻ってからだし」
「ならとっとと帰らないとだ」
ニカっと男臭く笑う海藤からは煽りを感じない。これが
「にしてもハンデが大きくないか?」
「それは大丈夫。当てなくても綿原さんの勝ちだ」
「随分と買ってるんだな」
「本当だからだよ」
首を傾げた海藤だけど、俺の結論は変わらない。この勝負、物理的に勝つのは綿原さんで確定している。
問題なのは対戦が終わったあとだ。はたしてそこに和解はあり得るのか、俺としてはそっちの方を判断できない。できれば笑い合える未来が望ましいのだけど。
「ナギ・ワタハラの【鮫術】。目だけではなく、この身で堪能させていただきますわ」
「リンパッティア様、全力で掛かってきてください」
「コウシと一緒で生意気を言いますわね」
「んなっ」
ティア様の余計な一言で綿原さんが揺らぐ。
綿原さんも煽ったりするからやり返されるんだ。対勇者ならティア様は舌戦が強い方でもないのにな。
中庭の中央で対峙する二人の恰好だけど、綿原さんは革鎧でメットを被り、木製メイスを手にしている。ここまでは俺と一緒だ。ただし、左腕に装備しているのは丸い小盾のバックラーではなく、迷宮業界で中盾とされるヒーターシールド。
一年一組で一番最初にソレを使うようになった綿原さんの盾捌きは、俺の遥かに上を行く。
対するティア様なんだけど、俺とのバトルのあと、しっかりと湯あみとお着替えを完了していて、今は初日に見たのと似たような赤いドレスを身に纏っている。足元が革製のロングブーツで、白い長手袋もいつもどおりだ。
そして綿原さんの前方には、楔型に三匹の白いサメが浮かんでいる。大きさは一匹あたり五十センチくらい。
綿原さん的には万全のバトルフォームなわけだが、残念なことにこれはハンデマッチだ。しかも綿原さんの不利になる方向で。
「では、始めてください」
落ち着き払った先生の声で戦闘が始まった。
「ですわぁ!」
開始の声と共に泳ぎ始めたサメをかいくぐる動きで、ティア様が綿原さんとの間合いを詰めていく。
「やっぱ当てないか」
「そりゃそうだよ」
腕を組んだ海藤が唸るけれど、俺に言わせれば当然だ。あの綿原さんが少々キレた程度で、敵対してもいない貴族相手に粗相をするはずがない。さっきまでヤバい口調ではあったけど。
現に綿原さんのサメは牽制するようにティア様の行く先を通過しているものの、直接ブチ当てて物理的に足を止めさせるようなコトはしていない。
綿原さんが使っている【白砂鮫】の材料はアラウド迷宮産の珪砂だ。性質としてはガラスの粒子に近くて、ある程度以上の速度で当たれば切れる。そう、切れてしまうのだ。
迷宮の柔らかい魔獣相手ならば絶大な効果を誇るのだけど、対人だって悪くはない。当たり所や相手の装甲次第ではあるが、細かい出血を強要するくらいの威力をもっている。
そこでだ。ティア様の恰好はといえば……。
「あのドレス。絶対お高いんだろうなあ」
「ティア様の性格からして弁償しろとかは言われないだろうけど、こっちの心にダメージが入るし」
反復横跳びするような動きで綿原さんに迫るティア様の赤いドレスが優雅に揺れているのを見た海藤がため息を吐き、俺は個人的見解を述べる。
服飾に詳しくない俺には、ドレスの素材とかはわからないが、それでも随所に散りばめられた刺繍の数々を見れば、アレがそこらの既製品とは思えない。そもそもティア様が着ている段階で、海藤が言うようにお高いに決まっている。
そしてとても残念なことに、この世界には魔道具も無ければ魔術刻印なんていうものも存在していない。
布で出来たモノは、多少の違いはあっても見た目通りの布でしかないのだ。
あんな服に綿原さんのサメが直撃したら、ラッキースケベどころでなく、金銭的な不幸でしかない。
それこそが綿原さんの背負った縛りだ。
彼女はティア様にサメを当てずに勝利する必要がある。
「でっすわぁ!」
「どっらあ!」
お互い美人さん同士なんだけど、掛け声はドスが利いていた。とくに俺にとってのヒロインの方が。
ティア様が低い態勢から放った大振りの左アッパーは、見事綿原さんの盾で逸らされる。
「うん。イケるな」
「そうなのか?」
「技能と階位込みでパワーは同程度と見た。ティア様の技能はたぶんだけど【身体強化】【身体操作】【反応向上】【視覚強化】【一点集中】あたり。前衛後衛の違いは階位の差で埋まってる」
「八津、お前そこまでわかるのかよ」
「さっきのバトルで少しだけ【魔力観察】使ったからな」
だから海藤よ、キモいものを見るような目をするな。俺はストーカー的な意味で対象者の技能を探るなんてマネはしない。
ティア様の戦いで特徴的なのは、目が良いというのがひとつ。
これについては【魔力観察】で目元の魔力が強かったのを確認している。眼球の動きからして【視野拡大】ではないと判断した。すなわち【視覚強化】。
手足の局所に魔力が偏っていなかったことから【鉄拳】は持っていないと思っていい。
そしてもうひとつは動作の正確性だ。
たしかに大振り傾向こそあるものの、力の乗せ方を知っている、そういう技術を伴った攻撃を放つことができている。少々体勢が崩れても、狙った場所にだ。
そこから予想できるのはティア様が天才なのか、それとも【身体操作】持ちかといったところになるだろう。【魔力観察】では全身に影響が及ぶような技能を判定することはできないが、【身体操作】を使った地道な訓練を積んできたというパターンがティア様っぽいと俺は思うのだ。ちょっとメタっぽいな。
しかし全くの根拠レスというわけではない。
俺とのバトルが成立していたのは、ティア様が自分の技術を正確に発揮したからこそだ。もしも彼女がミア並みの天才ならば、途中から俺の予想を超えた挙動を繰り出していたはず。
ティア様は事前に俺の【観察】が持つ性能を知っていたはずなのだから。
身体的な天才性はなくても戦いの最中における気付き、センスでもって、最終的にタックル戦法をもって俺は打倒されたわけだが、そのあたりからもティア様のタイプが見えてくる。
すなわち努力系悪役令嬢。
中宮さんに続いて直接の戦いを経ることで、ティア様はそういう存在なのだと、俺は確信したのだ。
「──というのがティア様の正体だ」
「八津、やっぱお前ヤバいぞ?」
せっかく説明してあげたというのに酷い言われようだ。
「それと、ちゃんと綿原応援してやれよ? スネられたらたまらん」
「勝ち確なんだけど、機嫌の方が問題だなあ」
以前ミアが俺に抱き着いた時もかなりのものだったけど、これで二度目か。
ミアは誰にでもナチュラルに喜びを表現するタイプだし、ティア様の場合は戦闘行動の結果だけに、それに対して怒ってくれる綿原さんを、俺なんかはむしろ可愛く思うのだけど、拗れるのはよろしくない。
悪役令嬢と遺恨を残すのがヒロインの務めとはいえ、このままではラノベ的には適合していても、綿原さんが悪者になってしまう。
「大丈夫ですよ。たぶん」
「先生?」
いつの間にか近くに来ていた先生の声に海藤が驚いた顔になっている。ちなみに俺は接近に気付いていたから問題なしだ。
「わたしはあの二人の器を信じます」
「先生が八津とリンパッティア様を戦わせてなかったら、こうなっていなかったんじゃ」
「……その場の空気というものがあるんです。海藤君」
「はあ」
海藤に詰められた先生ははぐらかしたけど、俺にはなんとなく想像がついている。
クラスのみんなが戻ってきていなかったあの場で、ティア様が『勝てる』可能性が一番高かったのが俺だ。
前衛職の先生、
そう、自然に、そしてギリギリで負けるのが俺だけだったのだ。
これは俺の妄想だけど、先生はティア様に勝利を体験させてあげたかったんじゃないかな。
俺をサゲるという意味ではなく、偉いティア様を立てるというわけでもなく、お互いに技術を競わせ、その上でああいう結果を引き出す。そんなところじゃないかと思うのだ。
ただし綿原さんのご機嫌を除く。
ティア様が俺に勝利するパターンとしては、転ばせるか肩か腕をロックするのが可能性として高かっただろう。なんで正面からホールドなんてしちゃったかなあ、ティア様は。
「くっ、邪魔ですわね!」
「それがっ、売りなんですっ」
俺たちがこうしてダベっているあいだにも戦闘は続いている。
綿原さんはサメを器用に動かして相手の気を逸らせながら、ティア様の攻撃を盾で受け、時には躱す。
やっぱり綿原さんはセンスの塊だよな。どうやったら三匹のサメを操ったまま、あんなマネをできるのやら。
「そろそろ綿原さんが動きそうですね」
「はい。様子見は終わりなんでしょう。回避が最小限になって、そのぶん踏み込みが深くなってきている」
「先生、八津、なんで分かり合ってるんだ?」
俺と先生が並んで頷きあっているところを見た海藤が首を傾げた。
「海藤君は綿原さんと近接戦の練習はあまり機会がありませんでしたね」
「はい。まあ」
そんなところまで把握している先生は、まさに先生だ。
普段はあまり前に出ないし口も挟まないけれど、しっかり見てくれているのが心に沁みる。
「八津君、海藤君に綿原さんの強さを説明して上げてください」
「あ、はい」
伊達メガネをキランとさせた先生が俺に振ってきた。
ううむ、さすがは五人目のメガネ四天王だ。妙な迫力があるな。というか、先生にそう言われれば答えるしかないんだけど。
「綿原さんは、クラス最強の後衛だ」
「ああ、それは知ってるけど」
「十一階位で【身体強化】【身体操作】【反応向上】【視覚強化】を持っている。ホント、後衛職か疑わしいくらいだと思っているぞ、俺は」
「八津、お前そこまで拗らせて……」
だまらっしゃい。俺は綿原さんの凄さを語っているのであって、自分を卑下しているのではない。
綿原さんの強みは豊富な身体系技能を持つことが第一にくるが、もちろんそれだけではない。
彼女の戦闘スタイルはサメとの共存だ。三匹のサメを巧みに泳がせることで、相手の動きを阻害し、時には誘導してみせる。
一年一組のメンバーで似たようなスタイルを持つのは【石術師】の
笹見さんをサゲているわけではなく、彼女は熱の入れ具合に熟練の軸が向いているので、高速戦闘に向かないのだ。【身体強化】を持つだけに、『熱水球』を浮かべて腰を据えた戦闘こそが持ち味となる。
笹見さんの強みは、むしろ戦闘よりも生活だ。というかそれが熱操作系術師の特性じゃないかと思うくらい。同じく
俺を含む検証組は、性格も影響しているんじゃないかと踏んでいるけど。
さておき、綿原さんはハイレベルに盾を使い、そしてサメを操ることで、後衛とは思えないほどの防御力を誇っている。
ならば攻撃力は、という話になるのだが、彼女にはそれすらできてしまう。
そもそも【身体操作】は即効性がある技能ではなく、体を思ったように動かせているかを実感できる、いわばフィードバックにこそ真価を持つ。
俺がティア様を努力型と表現したのは、おそらく取得しているだろう【身体操作】を使いながら、ひたすら練習をしてきた形跡が見えたからだ。
中学の頃にもいた。あいにく俺は運動部ではなかったが、話で散々聞かされたくらいに、いたのだ。
同じ練習内容、同じ練習時間だったにも関わらず、動きのコツどころか、運動行為そのものの上達が早い人間が、世の中にはいる。
センスの塊、天才、ギフト。表現は数あれど、体を動かすことにおいて、綿原さんの吸収速度は天性のものなんだろう。
綿原さんはすでに『北方中宮流』の基本歩法を習得し、盾の扱いも一定の水準に至っている。サメの操作に至っては比肩するモノなど居るはずもない。
だから続けてやるべきことは──。
「説明の途中だけど、つぎで攻撃に出るぞ」
「なに?」
いよいよ俺の綿原さん語りも佳境といったところで、時間切れのようだ。綿原さんのターンが始まる。
運動部員として思うところがあったのか、神妙に聞きに回っていた海藤が戦いに注視した。
「どらぁ!」
「くっ!?」
ティア様の右フックを盾で逸らした綿原さんが、上段から木製メイスを振り下ろす。
全力ではなく、しかも頭を狙わず、あえて右肩を打つ。
打擲された位置と威力は、まさに綿原さんの狙い通りの内容だったろう。
防御を修めつつある綿原さんは、メイスによる打撃の型を練習しているのだ。
「当てた、のかよ」
「狙って当てた、だ。ティア様の視界スレスレにサメを走らせて、気を逸らしてから捌くことで、崩しを大きくした。あそこからティア様は避けられない」
その光景にうめく海藤に解説をくれてやったのだけど、俺もちょっと驚いている。
てっきり頭上で寸止めくらいの決着を予想していたのだけど。
「お控えなさいっ! メーラっ!」
「……はっ」
護衛としてこの場にいる以上、この状況で動かざるを得なかったメーラハラさんだけど、ティア様は振り向きもせずに留まれと命令した。
「すみませんでした。リンパッティア様」
「何を言い出すのやら。ナギ・ワタハラ」
裂帛の気合を秘めたティア様を見て、距離を取った綿原さんが発したのは突然の謝罪だ。
「わたしにも八津くんの見た光景が、重なりました」
「コウシの見たモノ?」
「はい。未だに八津くんのことを名前呼びするのは気に食いませんが、リンパッティア様の拳に努力が刻まれているのが、見えたんです」
んん? マジ会話だったはずなんだけど、ノイズが混じらなかったか? 今。
「知ったようなことをぬかしますわね」
「そうですね。だけどわたしは
「リンの……」
「ええ。努力を繰り返さなければ絶対に到達できない、どんな天才であっても一足飛びでは届かない技を知っているんです」
俺の疑問を置いてけぼりに、なんだかいい感じの会話が続いていく。
綿原さんがチラっとミアの方を見たけれど、自分が対象外だとでも思っているんだろうか。
「最初の内こそ意地の悪い様子見でした。けれど途中から分かってきて、それがカッコ良くって、見続けてしまって。ごめんなさい」
「ならばここからは……」
「はい。わたしのできる全部を使って、勝たせてもらいます」
「ほざきましたわねぇ!」
咆哮を放つティア様が踏み込んだ瞬間、彼女の目の前に巨大なサメが口を広げて出現した。
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