第86話 倒すべき敵の正体は




「来ますっ!」


 草間くさまが叫んだのは、俺たちが陣形を整えたほぼ直後だった。


 騎士たちが盾を構え、運び屋たちは心持ち腰を落とす。

 運び屋は解体用のナイフ以外に武器を持っていないし、防具もロクなものを身につけていない。階位は五だと聞いているから一層の魔獣に遅れはとらないだろうけれど、それでも見ていて胸が苦しくなる。この状況でいまさらそれをどうこう言っている場合でないのは、わかっているのだが。



「魚だとっ!?」


 大きな扉の向こうから、ガガガと馬が走るような音を立てて現れたのは、魚だった。今のところ視認できただけでも十三体。一層で一度に現れる魔獣としては数が多い。

 あからさまに声に出てしまったヒルロッドさんの動揺は、『魚』に類する魔獣なんてものが一層には出たことがないからだろう。


 未知の魔獣は恐ろしい。

 長年の知見があって、相手の特徴が知り尽くされているからこそ、騎士たちは余裕を持って戦えている。だが目の前の魚型魔獣の速さは、重さは、攻撃力は、そもそもどんな攻撃を仕掛けてくるのか、毒などを持っているのか、なにもかもが不明だ。


「跳ねやがった!」


「飛んでいるだとぉ。高さがあるぞ、気を付けろ」


 最前衛の騎士たちが口々に相手の特徴をあえて声にしていく。注意喚起もあるのだろう。

 初見の魔獣だ。目についたこと、気になったことを次々と言葉にしていく。



 騎士たちの合間から、俺にもソレが見えた。【観察】に【一点集中】を乗せれば問題なく魚魔獣の外見や、詳細まで全て判別できてしまう。それが俺の武器だ。


「魚型だけど走ってる。速さはウサギくらい。足は前に一本、うしろに二本。うしろは逆関節。腕は無いみたいだ」


 クラスの全員に聞こえるように、その魔獣の特徴を伝えていく。


「口は普通の魚っぽいけど、ギザギザの歯がある。噛みつきに注意!」


 残念だけど、毒持ちかどうかは不明だ。舌が伸びるかもわからない。


「目は口の周りに三つ。阻害魔術はそこ狙い。後ろ側はわからない」


【鮫術】を使う綿原わたはらさんを筆頭に、俺たちの魔術はまだ攻撃手段のレベルに至っていない。阻害として足元か目を狙うのがメインになる。だからこそ足と目の情報は必須だ。



「足を使って跳ねてから、飛んでる! ヒレが翼になってるのかも。前に大きいのが一対、うしろにも一対」


「トビウオなの?」


 横にいる奉谷ほうたにさんが可愛く聞いてきた。戦闘中でなければ絶対和む。


「そこが重要なんだよ」


八津やづくんどうしたの? 笑ってるの?」


「みんなよく聞いてくれ。アレの形なんだけど、鮭だあれぇ!」


 そう、アレの胴体は鮭だ。足が生えていて目が三つで、ヒレを使って空を飛んでも、鮭だよ鮭。



「ほう」


「それはそれは」


「そうくるわけね」


「へぇ」


 それは誰の声だったろう。間違いないのは騎士や運び屋を置いてけぼりにして、一年一組のメンツだけは空気が変わったということだ。


 べつにこれが鮭でなくて、ホッケやシシャモでも対応は変わらなかったと思う。

 俺たちは飢えていた。いや、食事はちゃんと出ているし、実に美味しいとも思う。

 だがこの国には米が無い。醤油も無ければ味噌も無い。ネズミ肉を回されている平民が聞けば激怒案件かもしれないが、それでも俺たちは食べたいのだ。


 その中のひとつが海魚うみざかなだ。

 ここ、王都パス・アラウドは広大なアラウド湖のほとりにある。それだけに漁獲は豊富で魚料理は発達しているのだろう。だがしかしだ。


 海魚が食卓に上がることはない。アウローニヤが内陸国なのが全部悪いのだ。



「みなさん、落ち着きましょう」


 全力で妄想していた俺たちを見かねたのだろう、先生の凛とした声が響く。


「わたしとミアさんがひと当てして、強さを計ります」


「やるデスよ!」


 たしかにそれは重要だ。いまは食べることを考えている場合ではなかった。

 この危難を乗り越えなくては食事どころの話じゃない。いかん、どうしても思考の要素に『食』が混じっている気がする。



「あぁぁぁい!」


「イヤァァ!」


 前線に走り去った先生とミアが放つ、独特の声が聞こえてきた。

 何度も繰り返しになるが、アレは気合を乗せるための発声であって、悲鳴や奇声ではない。どうにもウチのクラスのメンバーにはああいうのが多いので、姿が見えなくても誰がそこにいるのかわかりやすく、こういう混戦の時には助かっていたりもする。


 すでに最前線では何匹かの鮭、もとい何体もの魔獣が倒されているようだけど、まだまだ終わりがみえない。新しい部屋からどんどんと魔獣が湧き出ているきている。

 一瞬スタンピードなんていうダンジョンモノの定番キーワードが頭に浮かぶが、そういうことを考えているとフラグになりそうだ。頭から振り払う。


「今はまだ大丈夫そうだ。ここからどれくらい出てくるか」


「だね。騎士さん、がんばれ!」


 横の奉谷さんと言葉を交わしながらも、視線は前線から外さない。俺の役割は見ることが起点になっているからな。

 あれ? 先生とミアがこっちに走ってきている。けど、脇に抱えているのはなんだ?



「先生、あの、それは」


「速さは二層のウサギ程度です。が、体重が軽いせいでしょう、体当たりの威力はネズミに劣りますね」


 白石しらいしさんの質問と先生の返答が繋がっていない。

 たしかにまあ、対戦している魔獣の強さを知るのは、大切なことだというのはわかる。


「走っている時はそれほどでもありまセン。勝負はジャンプしてからデス」


 先生に続いてミアも説明をしていく。いや、しかし。


「跳んでからが少し厄介かもしれません。ヒレと体のうねりで軌道を変えてきます。そこにだけ注意すれば、それほどの難敵ではないでしょう」


「なにより硬くないので楽デス!」


「白石さん、奉谷さん、ではこれを」


 二人は解説を終えると、小脇に抱えていた『獲物』を俺たちに差し出してきた。足とヒレはちぎったのだろう、こうすると単に目玉の数が違うだけの鮭にしか見えない。大きさは五十センチに届かないくらいかな。



「まだ生きてますよね? これ」


 奉谷さんが小首を傾げた。

 だよな。ビチビチしてるし。


 先生とミアが両手を使えば、素手で抑え込める程度の力しか持たない魔獣だということはわかった。これもまた敵の情報には違いない。ただちょっと、見た目がシュールすぎて反応に困っているだけだ。


「この魔獣だけなら前線は大丈夫でしょう。出てくる数次第では、もしもがありますが」


 言外に数が多ければ敵が抜けてくるかもしれないと先生はほのめかすが、その割には急かしたりはしていない。

 戦闘の機微はしっかりとしている先生だ。もう少しなら余裕があるということだろう。



あおい、やるデス」


「コレを刺せって、こと?」


「そうデス」


 隣では白石さんとミアが微妙なノリで見つめ合っていた。意思疎通はできているのだろうか。


「……えいっ」


 ちょっとのあいだ無言でいた白石さんがやおら短剣を抜いて、鮭魔獣の首元に突き立てた。抜いてから刺すまで、躊躇無かったよな?


「えぇい!」


 奉谷さんもまたしかりだ。いや、こっちは一瞬も迷わなかったな。


 首筋に短剣を食らった鮭魔獣はビクリを身を震わせて、そのまま大人しくなった。

 死んだのか? 少なくとも死んだふりをする魔獣はいないはずだけど。


「うん。ネズミとかはイヤだったけど、魚だったら大丈夫だね!」


「わ、わたしもお魚ならやれそう」


 奉谷さんと白石さんが頷きあっている。たしかに顔色も大丈夫そうだし、手も震えていたりしていない。

 魚なら平気なんだ。このあたりの感性は人それぞれだろうけど、日本人的にはたしかにそうなのかもしれない。そうなのか?



「三階位の術師が体重を乗せなくても刺しきれる程度ですね。これならいけそうです」


 先生の言葉には理解と安堵が込められていた。なるほど、鮭魔獣に対して俺たちがどれくらい戦力になりそうなのかを確認したかったのか。


 これもまた朗報だな。言ってはなんだけど奉谷さんと白石さんの腕力はクラス最弱レベルだ。二人が腕の力だけで刺し殺せるなら……。これならイケる。

 よし、みんなにこのことを伝え──。


「あの少しいいですか」


「え?」


 声掛けをしようと構えたところに登場したのは上杉うえすぎさんだった。

 しかもなぜ、ナイフを片手に。


「わたし、捌くのはそこそこに得意なんです」


 神の使いのような微笑みで、小料理屋『うえすぎ』の娘さんはそう言った。

 そうか、得意なのか。そういえばカエルもばっさばっさ捌いていたな。それはいいのだけど……、この場合の捌くとは?



 そんな葛藤を抱えているあいだにも、上杉さんはサクサクと魚を捌いていく。よどみないな。見事なお点前だ。


「身は、ほとんど鮭ですね」


「シャケそのものデス」


「試しましょうか」


美野里みのり、ワタシも一切れくだサイ」


 上杉さんとミアのやり取りは数秒だけど、こんなときにこの二人はなにをやっているのだろう。

 戦闘が始まったばかりとはいえ、前線ではドンパチやっているのだけど。


 捌かれて短冊になった鮭魔獣の切り身を上杉さんはさらに一口大に切り分けて、そのまま口に運んだ。ミアも同時に口を開けたので、上杉さんがそこに切り身を放り込む。


 正気を疑う光景だけど、迷宮の魔獣に寄生虫は確認されていない。生食は可能なのだ。

 資料などでも迷宮で事故って、生肉を食べながら地上まで戻ってきたなんていう逸話はいくらでも残されている。

 仮に毒があったとしても、食べている当の上杉さんは【解毒】持ちだ。それにしたって度胸ありすぎだろ。食の探求者かなにかか。

 


「……みなさん」


 心なし上杉さんの目が光った気がした。


「イケマス!」


 少しだけ口をモグモグさせてから切り身を呑み込んだミアは、それはもう明るい笑顔で俺たちを見渡した。気付けば少なくないメンツがこちらをチラチラと見ている。

 シシルノさんとシャーレアさんなどはガン見だ。


「シャケです!」


「味は微妙に違いますが、かなり近いですね」


 ミアと上杉さんが太鼓判を押した。

 本当かよ。だけどこの二人の感性は信じられる。



「ほう、美味いのかい?」


「アタシにも一口おくれよ」


 王国側の二人も食いついてきた。まあ、迷宮産の新食材になり得るわけだし、興味がわくのは仕方がないか。


「これは生で食べるだけなのかい?」


「焼いても干しても大丈夫ですよ。お酒のつまみにもなりますし」


「ほほう、そりゃあいいねえ」


「白の葡萄酒がお勧めでしょう」


「ふむふむ」


 切り身を味わったシャーレアさんは上杉さんと謎のグルメ談義を始める始末だ。【聖術】使いが二人してなにをやっているのやら。



「わ、わたしも食べようかな」


「アタシもちょーだいよ」


 白石さんやいつの間にか寄ってきていたひきさんまでがひょいひょいと手を伸ばして、切り分けられた鮭を食べていく。戦闘中にこんなことを絶対やらなさそうな先生までもが。前線組には悪いけど、俺も食べてみようかな。

 上杉さんの手際が良かったので、ここまでロスは一分といったところだし、これは重要な確認事項なのだ。そうなのだろう、たぶん。


「『ほっちゃれ』ではなさそうですね」


 キメ顔で先生は言った。重要なのはそこなのか。

 まるでそれを判定するために前線に戻るのを遅らせているみたいだな。


 でもまあ、たしかにこれはサーモンの刺身だ。ああ、醤油とワサビはどこにあるのだろう。



 いやいや、それどころではない。この事実を伝えるべきだ、皆に。

 そしてそれを為すために、俺では不足だろう。この事実を端的で的確に伝えられるのは──。


「奉谷さん。大声でたのむ」


「うん!」


 俺の意思が伝わったのだろう、奉谷さんは元気よく頷いてから大きく息を吸った。


「みんなー! 鮭だよこれ! ちゃんと鮭の味がしているよ!」


 王国の人間はこんなときになにをと首をひねる。ふざけている場合かという、非難の空気すら感じるのは、まあ当たり前か。

 だがしかし、クラスメイトは大きな歓声をあげ、心を勇者と化した。そうだ、奉谷さんの言葉にはナチュラルに魂のバフが乗る。【奮術師】とかそういうのとは関係なしに、彼女の笑顔と声がみんなに元気をばら撒くからだ。


 これでまたひとつ、勝利しなければならない理由が増えたようだな。

 生き延びるだけで大勝利なのはわかっている。わかっているが、これはモチベーションの問題だ。


 勝つぞ。俺たちは勝って、鮭を食べる。


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