第85話 フォーメーションを組め
「これはこれは珍しい。まったく迷宮はこれだから」
ついさっきまで微妙な顔をしていたシシルノさんが、今それはもう嬉しそうに笑っている。しかもかなり狂気が入ったような。
会話をしていた
「この現象、資料を漁った君たちなら知っているだろう?」
「……『迷宮が育った』『迷宮に枝が増えた』、ですか」
シシルノさんの問いに、最初はクラスの誰もが返事をできなかった。
あまつさえ全員で白石さんに視線を送る始末だ。そう、
結果、白石さんは世界に裏切られたような顔をしてから答えてみせたというわけだ。
「そのとおりさ。まさかこんな短期間で発生するものだとは、思ってもみなかったよ!」
シシルノさんの目に変な光が灯っておられる。
席を外して三十分くらいで新しい門ができていたわけで、これはもう発見タイムアタックでも歴代最速ではないだろうか。
魔獣の発生と一緒で『迷宮が育つ』ところなんて、人の目があるところで起きた事例は無いのだから。
ヒップバッグから地図を引っ張り出して再確認をしてみれば、たしかにこの門の先はマッピングされていない。言うなればダークエリアだ。
ここアラウド迷宮は綺麗な正方形などという形はしていない。もちろん長方形でも円形でもなく、むしろ無秩序なアリの巣を思い出させる形状をしている。
細まったところでは廊下のように部屋が連なり、場所によってはたくさんの広間が幾つも集まって巨大な迷路を創り出していたり。
だから地図を見て最初に思ってしまうのは、マッピングされていない空白には何があるのだろうという疑問だった。
もちろん答えはシンプルで、それは誰にもわからない、だ。
たとえばマップの端でなくても、周りをぐるりと部屋が囲んでいて、いかにもココになにかありますよ、などといったゾーンにも意味は無い。ゲームならば絶対に隠し部屋だろうという構造でもだ。
ちなみに視覚でも魔力でも、迷宮の壁の向こう側を見ることができるような技能は存在していない。
そんな迷宮でたまに起きる現象、それが目の前にある。
『迷宮が育つ』『枝が増える』『迷宮が増築された』なんていう表現が資料に残されていた。
「大抵は三層以降で、年に数度といった頻度だね。一層や二層だと数年に一度だよ」
少しだけ狂気から戻ってきたシシルノさんが、俺の心を読んだように解説してくれた。
なぜそんなに数少ない現象が、今ここで起きるかなあ。
◇◇◇
「本日の探索は……、中止だね。最短経路で戻ろう」
「仕方ないだろうね。ミームス卿の指示に従うよ」
ヒルロッドさんの決断に少しだけ残念そうなシシルノさんだけど、俺たちをチラっと見てから撤退に賛成した。
当然と言えば当然だろう。迷宮に未知の部屋が登場したのだから、たとえそこが一層であっても調査が必要だ。そしてそれは『未熟で貴重な勇者』にやらせていいことではない。
「はい。僕も同意します」
クラスを代表して
本当はこんな事件を見なかったことにして、レベリングを続けたい。今のところ、三階位のメンツは誰もレベルアップを果たしていないのだから。
こんな現象が起きた以上、俺たちが次に迷宮に入れるようになるのはいつになるか、全くわからない。迷宮に入るのがまだまだ怖いと思っている仲間ですら、だからこそ一刻も早いレベリングを期待していただろうに。……悔しいな。
「来ますっ! なんだこれ!?」
叫んだのは【忍術士】の
なにかが【気配察知】に反応した。しかもそいつは草間の知らない魔獣だと、声色でわかってしまう。こういうとき、視界が通らないと意味のない【観察】は役立たずになってしまうのが痛い。
「クサマっ、数は!?」
「わかりません。十や二十じゃない!」
確認するヒルロッドさんに対する草間の返答は、もはや悲鳴じみていた。
「っ退避!」
「ムリですっ。あっちが速い!」
すかさず下したヒルロッドさんの指示を、草間が即否定した。
この場合のこちらが遅いの対象は、一年一組の後衛三階位組だ。まさか護衛対象を置いて逃げるワケにもいかない騎士たちが難しい顔をする。
「やるしかないでしょう。草間君、相手の速さは?」
「先生、えっと、ウサギと同じくらいです」
「……撤退は現実的ではありませんね。ヒルロッドさん、陣形指示を」
一歩前に出た
相手の速さが二層ですら最速のウサギと同じくらいなら、なるほど、逃げる手は使えない。
ヒルロッドさんの疲れ顔がさらにひどいことになっている。これが小説によく登場するブラック企業の苦労人がもつ空気なのかな。社会が怖い。
「騎士は最前列で横隊だ。二列目に運び屋、ジェサル卿とモルカノ卿は勇者たちと一緒に待機。以後の判断は任せるよ」
それしかないだろうという指示をヒルロッドさんが出した。
騎士と運び屋で魔獣を抑え込むつもりだ。シシルノさんは戦闘では素人だし、シャーレアさんはヒーラーとして俺たちにつける。
ヒルロッドさんは、とにかく俺たちが受ける圧力を最小限にしようと、そういう陣形を選んだ。
「勇者たちの陣形は任せる。それでいいかな、アイシロ」
「はい。やらせてください」
最後にヒルロッドさんは委員長を指名して、そのまま最前列に加わった。運び屋の人たちも文句を言わず、二列目に並ぶ。
俺たちとシシルノさん、シャーレアさんはその場に残される形になった。こうなればもう、腹をくくるしかないか。
「じゃあ僕たちも、僕たちなりにがんばろう」
委員長が苦笑いをしながら軽口を叩く。ここでこういう風に開き直れるのが彼のいいところだ。
「たのんだよ、
そんな委員長の振りに、誰も何も言わない。異論はないし、驚いてもいない。
「了解。俺なりにやってみるさ」
育てた【平静】を使っても、それでもなお胃袋が縮みあがる。嫌な汗が頬をつたうのが気持ち悪い。
怖くてもやるしかない。これはみんなで納得して決めたことだから。
◇◇◇
一年一組はとにかく話し合う。
雑談でも構わないから、誰彼関係なく声を掛け合うのをよく見かける。
異世界に来てから毎日が合宿みたいなものだから、そういう機会が増えたそうだけど、それでも以前からこんな感じだったらしい。どうしてそういうノリになったのかは、本人たちにもよくわかっていないんだとか。昔からそうだった、だそうだ。
先生を除けば二十一人も高校生が集まっているわけで、話が合う合わないは当然でてくる。それでも連中はぶつけあった。見ているこっちがハラハラしてしまうくらいに言いたい放題だ。
小学生のころからずっとこんな感じだったらしく、言い争っている内に妥協点みたいな落としどころが見つかることがあれば、お互いに退けなくなって喧嘩になったことも多かったそうだ。
『それで遺恨が残らないの?』
『うーん、時間が解決したり、ほかの人が間に入ったりかな。うやむやになったことも多かったわね』
ふと疑問になって
わかったことは、彼らはぶつかり合っても離れるようなマネをしなかったということだ。普通だったら口をきかなくなったり、かかわりを持とうとしなくなるだろうに。
俺からしてみれば、そんな不思議な人間関係を持っているのが、ウチのクラス『山士幌高校一年一組』だ。
いつの間にか俺もそんな連中の仲間入りを果たしていたらしい。
バカ話をすることもあれば、真面目に物事を決めようとすることもある。誰とでもだ。
そんな経緯で話題になった議論は俺も納得せざるを得ないもので、不安はあるけれど、どう考えても正論だった。
『クラス総出のレイドになったとき、誰が指揮を執るか』
◇◇◇
「まずは打ち合わせ通りの陣形で構えよう。細かい変更は敵を見てから俺が指示する」
ドキドキと高鳴る鼓動を無視しながら、努めて冷静に見えるよう、みんなに語り掛けた。
基本陣形は決まっている。最新版を決めたのは今朝。
もちろん普段から話し合っておいて、毎朝熟練度や練習の成果なんかを報告した上で、最新にアップデートをしている。
誰かがバージョン番号を付けようとか、陣形に名前を付けようとか言いだしたけれど、そこはまだ決めていない。
「委員長を真ん中に、左は野来と
「おう!」
騎士組の返事は揃っていて気持ちいいな。
まずは前列に騎士系神授職の大盾持ちを集める。中央が【聖騎士】の委員長なのは、もちろん【聖術】持ちだからだ。【岩騎士】の馬那、【霧騎士】の古韮、【風騎士】の野来、【重騎士】の佩丘が大きな盾を構える。
ある程度の間隔を持たせているのは、隙間をアタッカーが通れるようにしているからだ。そもそも五人程度の騎士を密集させたところでファランクスもなにもあったものじゃない。俺たちは槍なんて持っていないし、二列目をできるヤツもいないぞ。
「盾のうしろは左から
「イザとなったときは地上に連絡だね。わかったよ」
二列目はアタッカー組だ。四階位の【豪剣士】中宮さんと【嵐剣士】の春さんを左右にばらけさせる。
【忍術士】の草間も四階位だけど、なにかがあったときに地上への連絡役を任せることになっている。【気配察知】と【気配遮断】があれば、一層から逃げるのは難しくないはずだ。
「海藤はレベルアップの大チャンスだ。キバれ」
「おうっ!」
なにかと不遇な【剛擲士】の海藤だけど、どんどん階位を上げればいい。そうすればできることも増えていく。
「
「わかったっす」
「や、やります」
「僕は手持ちの石だけなんだけど」
この部屋にはこっちから見て右側と背後に水路がある。手持ちの水筒はあるけれど、近くに大量の水があるなら、【雷術師】藤永と【氷術師】深山の二人にはそっちを存分に活用してもらえばいい。
【石術師】の夏樹には弱気な二人の支えも期待しているんだ。たのんだぞ。
「左側が
「あいよ!」
「わたしのサメさんが唸るわよ」
右が水なら左は熱とサメだ。字面が謎だけど事実だから仕方ない。
長身女子【熱導師】の笹見さんは手首を鳴らして、不敵に笑っている。さすがはアネゴ肌。
【鮫術師】綿原さんの正面にはすでに砂がばら撒かれていて、いつでもサメが生みだせる態勢になっている。気が早いって。
「中央は
「はいはい」
「ちっ、絶対階位上げてやる」
今回のレイドバトルはレベリング度外視だ。余裕があるかどうかもわからない状態で、温いことは考えていられない。今の段階で三階位【聖盾師】の田村は、どうしたって四階位【聖導師】の上杉さんの下位互換になってしまう。
田村だってそのあたりは当然わかっている。それでも口に出すのがアイツの性格で、そこに悪意が無いのは重々承知だ。
「
「はいっ」
「
「わかってるって!」
歌う【騒術師】白石さんには継続バフをメインにやってもらう。
この部屋の構造はうしろと左側に扉があった。新しい扉はここから見て正面。
俺たちは左から戻ってきたので、そっちからの魔獣はほとんど心配しなくてもいい。問題はうしろの扉だな。
騎士や運び屋さんたちは全員前に行ってるので、バックアタックにも気を使わなければならない。このメンバーには草間のほかにも適任がいる。それが【裂鞭士】の疋さん。新技もあることだしな。
「
「わかった! 行ってくるね」
【鼓舞】が必要そうなメンツの名前を並べる。こっちも事前に話し合っておいたので、いまさら不満はないだろう。
元気なちびっ子【奮術師】の奉谷さんには前の列から順番にバフってもらって、戦闘が始まれば俺の横で待機だ。そこからは警戒と彼女ならではの声掛け、追加バフ、状況次第で【魔力譲渡】をやってもらう。
そんな奉谷さんの守りは【観察者】たる俺がやる。全体を【観察】しながら盾を使うなんていうのは、ずっとやってきたこと。今回もできるに決まっている。
「先生とミアは自由にやってください」
「わかりました」
「やりマス!」
あの二人だけは勝手をしてもらう。
冷静な判断をしてくれる【豪拳士】の先生と、野生の勘でやらかしてくれる【疾弓士】のミア。欠片も心配する必要がない、絶対のエースだ。
これが今できる一年一組二十二名、万全の態勢だ。ここからの微調整は全部俺の判断になる。
素直に怖い。敵じゃなくって自分がやらかすのがなにより恐ろしい。
ふと左前にいる綿原さんの視線を感じた。こっちを見て、そして彼女はモチャっと笑う。
わかってるさ。ふてぶてしく、自信ありげに笑い返せばいいんだろう?
「ふふっ、やっぱり君たちは見ていて楽しいね」
「若いモンが生き生きしているのはいいことさあ」
あ、シシルノさんとシャーレアさんのコトを忘れていた。
「シャーレアさんは前の方に控えて前衛の回復を。シシルノさんは……、適当にやっててください」
「あいよお。アタシだって五階位だ。アンタらより強いかもしれないねえ」
「わたしはそうだな……、せいぜい見学させてもらうとするよ」
どうせ【魔力視】で観察しているつもりだろう。そういうところがブれないシシルノさんだ。
「こっちは準備できてます。ヒルロッドさん、よろしくどうぞ!」
やれることはやったぞ。あとは流れで出たとこ勝負だ。
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