第237話 教授による地理講座




「……みなさん、あまり驚かれないのですね」


 とてつもない暴露発言をしてしまったつもりだったらしいアヴェステラさんがちょっとだけ首を傾げた。


「いえ、驚いていないわけではないんですけど……、想定の範疇というか」


 誰か返事しろよという圧を受けた藍城あいしろ委員長が、なんともあやふやな返事をしてみせる。


「そうですか。さすがは勇者のみなさんですね。普段からよく考えているからこそ、でしょうか」


「ええ、まあ」


 歯切れが悪いぞ、委員長。せっかくアヴェステラさんが感心してくれているのだから、もっと嬉しそうにしてくれ。みんなもだ。

 決して『帝国だから悪いに決まってる』とかそういうのではない。


 空気を察した一部の連中がぎこちなく笑うまで、ちょっとの間があった。



 ◇◇◇



「はははっ、彼らが素直に受け止めてくれているなら好都合じゃないか。話が早くて済む」


「シシィ……」


 本当に面白いといった感じで笑うシシルノさんに、アヴェステラさんが相変わらず愛称呼びでため息を吐く。そんな光景をヒルロッドさんやメイドさんたちも、完全に受け入れているようだ。


 やはりなにかが変わったのを実感させられるが、それを見てもなぜか俺の中で警報じみた感情は湧いてこない。それより距離が縮まった嬉しさみたいなモノがある。なんでだろう。


 クラスメイトたちにしてもシシルノさんとアヴェステラさんの気易いやり取りを否定的に受け止めている者はいないように思える。

 中にはあからさまに楽しそうに、そして嬉しそうにしている連中までいる始末だ。ひねくれ者の田村たむらこそブスくれているが、なんとあのヤンキー佩丘はきおかまでもが口の端を持ち上げているくらいだ。明るさ代表のロリっ娘奉谷ほうたにさんなどはすでに満面の笑みだな。

 綿原わたはらさんもニヒルな笑みを浮かべて、周囲をサメが元気に泳いでいる。


 要は俺たちは担当者たちのこういう明け透けな変化を喜んでいたのだ。

 おかしいな、話題になっているのは俺たちを拉致したい国があるっていう話のはずなのに。



「では地理のおさらいからでいこう」


 興が乗ったのか、シシルノさんが会話を仕切るように語り始めた。地理ときたか。


「そこからですか。まあいいでしょう」


「ちゃんとアヴィに戻すから、少しだけ時間を貰うよ」


 前提条件としてってことなのかもしれないし、アヴェステラさんが認めた以上は必要な話なのだろう。


 拉致や帝国という単語からは離れるけれど、シシルノさんの話はいちいち面白い。たまに脱線したりもするが、それがまた勉強になったりもするし。

 そんな彼女がこういう持って行き方をするのなら、付き合った方がいいということを俺たちはとっくに学び終わっている。


「ここ、アウローニヤを中心とした場合、この国は東西南北に他国を持つ。海がないなら当たり前だね。三つでも五つでもない。四つだよ」


 内陸国のアウローニヤは北と東を山脈が、南を大河が、西を大森林が、という形で自然な国境を持っている。地球のような厳密な国境線があるわけではないし、大体ここまでがこの国の領域だというイメージだ。



「まず北の山脈を越えたところにあるのがウニエラ公国。王妃殿下の故国で、アウローニヤとの繋がりも深い。なにより米はあの国から入ってきているのだから、君たちにとっては大切な名になるのかもしれないね」


 なにげに米という単語を混ぜてくる、そういう話の持って行き方がシシルノさんの語り口だ。


 聞く側になっている滝沢たきざわ先生のメガネが怪しく輝き、続くシシルノさんの言葉を待っているように見える。同じ教師として、なにかこうライバルとかリスペクトとかがあるのかもしれないな。



「東はこれも山脈の向こうにペルメッダ侯国が存在している。ペルマ山地に囲まれた盆地全体が領域といえるだろうね。歴史を調べていた君たちなら、建国の経緯は知っているんじゃないかな?」


 シシルノさんは意地の悪い笑みを浮かべて俺たちの顔色をうかがうが、誰も返事はしないくらいの節度は持っている。


 東にあるペルメッダ侯国がもともとアウローニヤ王国の地方領主、ペルメール辺境伯が独立してできたものだというのは、俺たちの中では共通見解だ。王国の資料では否定的だが、東方で反乱が起きて鎮圧されたら新しい国ができていたというあらすじは、ちょっとムリがありすぎると思う。


「さて、そんな四方を山に囲まれた国がどうして独立したまま、こうして元の故国と通商を行えているのだろう。そうだな、クサマくん」


「え? 僕?」


「そうだよクサマくん。ほら、答えてみるといい」


 シシルノさん、独立って言い切ったか。しかもアウローニヤのことを指して故国とか言っているし。

 突如指名されたメガネニンジャの草間くさまも動揺を隠せていない。


 毎度のことだがシシルノさんはこうして生徒に答えさせるのが大好きな人だ。とても授業を受けているっぽい気分になるが、それだけに聞き逃すと痛い目にあう。まあ、話自体は楽しいから苦痛ではないのだけど。


「えっと、迷宮から銅が採れるから、です」


「そう。そのとおりだ」


 シシルノさんから正解を貰えて、草間がほっとしたように肩を下げる。



 この世界は迷宮ありきだ。

 地球において人口が増え、大きな都市が出来上がる要因になるのは大河のほとり、肥沃な大地、あとは鉱物資源とか交通の要衝なんていうのがあるが、こちらではまず迷宮から始まる。


 そんな迷宮だが、システムは共通していても出てくる魔獣や採れる素材にはそれぞれに特色があったりするのだ。俺たちが挑んでいるアラウド迷宮なら木材、塩、鉄、それと羊毛あたりが有力な素材になる。

 実はコレって結構恵まれているタイプで、アウローニヤにあるほかの迷宮よりも生活に直結する素材が得られやすいのが特徴らしい。さらには紙を作るのに向いている木材があるので、秘伝のアウロ紙はアウローニヤの輸出品としてとても有名だそうな。ちなみに肉と野菜、果物はどんな迷宮でも採れる、迷宮の基本ドロップ品だ。


 さらにはアラウド湖から流れるパース大河があるお陰で、土地は肥沃で小麦をメインに穀物類が盛んに作られている。

 湖の小島にあったアラウド迷宮を発見したのが初代勇者かどうかはわからないが、この地に国を作る下地は万全だったということだろう。まさに迷宮から都市が、そして国が生まれたのだ。



 そしてペルメッダにひとつだけあるとされる迷宮からは銅が採れる。

 これについては現在のアウローニヤにある迷宮のどれからも産出されていないようで、だからこそ侯国との交易が成立している要因になっているらしい。鉄と銅と聞けば俺などは鉄の方がすごいと思いがちだが、それぞれ用途に見合った需要があるのだ。深いな。


「だけどそれだけではない。フルニラくん」


「はい。『冒険者』です」


「そのとおり」


 つぎに名指しされたオタクリーダーの古韮ふるにらが即答する。ヤツはペルメッダに憧れているからなあ。


「『冒険者強制動員制度』。我が国の誇る法だよ。お陰でアウローニヤで活動する冒険者は非常に少ない」


「あはは」


 全然誇っていないシシルノさんの嫌味な言葉に古韮は乾いた笑いを返した。


 冒険者は国籍を持たないのが通例なのだが、アウローニヤに拠点を構える場合、国の都合でいつでも徴兵されてしまうという、なんともはやな法律がある。そのせいで迷宮探索において本来の主役になる冒険者は、その法律ができてから速攻で国外に脱出した。残ったのは実力不足な冒険者やこの国に家族がいるような連中だけで、もはや法律の意味が怪しくなっているのが現状らしい。酷い話だな。


 そんな冒険者たちの最大の受け皿になったのがペルメッダ侯国だ。


「優遇措置も手厚いようだし、今や『冒険者の聖地』らしいよ、あそこは。銅という輸出品と、イザとなれば団結して対抗してくる冒険者という戦力、付け加えれば地形と外交姿勢がかの国を守っているという寸法だ。対してわが国ときたら」


 肩を竦めるシシルノさんは皮肉気な笑みを浮かべながらもペルメッダに否定的な態度を見せない。むしろアウローニヤに対して含むところさえ匂わせるくらいだ。



「シシィ」


「すまないすまない。話を続けるとしよう」


 王国批判をするなというよりは、話を進めろという感じでアヴェステラさんがツッコミを入れれば、愛称呼びが嬉しいのか、とても楽しそうにシシルノさんが謝った。二人が学生をやっていた頃が目に浮かぶようなやり取りだな。


「そんなペルメッダは山岳地帯という地形的な強みを持って、西にアウローニヤ、南に帝国、北を魔王国に囲まれたまま、それぞれと交易をしながら独立を保っているんだよ」


 出たな、帝国と魔王国。というか帝国や魔王国とも取引しているのかよ、ペルメッダ。凄いな。


「なるほど。第三国を経由した貿易か」


 お坊ちゃんな田村たむらが勝手に納得しているが、俺にはなんとなく意味はわかる程度だ。

 まあいいか、教授の話に集中せねば。



「お次は南の帝国、ジアルト=ソーンだ」


 シシルノさんは西の聖法国ではなく帝国を先に持ってきた。北からの時計回りではあるが、これにもたぶん意味があるんだろう。


「パース大河はここ、アラウド湖から南下して、途中で西に方角を向けている。そこまでがアウローニヤの領域だね。川向うが帝国ということになる」


 正確に測量された地図など存在しない世界なので、シシルノさんの説明は大雑把だ。


 資料で見かけたが、帝国と対峙するあたりまで『この世界の伝令』が数日かけるということは、少なくとも百キロ以上は離れていると想像できる。

 それこそ陸上女子なはるさんや長距離経験者の綿原わたはらさんなら一日で百キロ走ったと言われても、俺は驚かない。ここはそういう世界だから。


「さてそんな帝国だが、もともとは遥か南東の草原に住む騎馬遊牧民国家であったらしいんだよ。我々とは人種すら違う」


「出たよ騎馬民族」


 シシルノさんの説明に古韮がボソリとツッコむ。もはやクラスメイト全員が同じような気持ちだろう。どうしてこう東側からその手の連中がやってくる展開になるかなあ。

 そういえばこちらの世界に来てから、馬とか牛を見たことがないな。魔力を持っているらしいけれど、どんなに凄い馬なんだろうか。



「二十年程前に大河の南側にあったハウハ王国を呑み込んだ帝国は、まあこちらに狙いをつけているわけだね」


「えっと、だから僕たちを連れ去ろうってしたんですか?」


 いよいよ核心に迫ったシシルノさんの言葉に、思わずといった感じで弟系男子の夏樹なつきが食いついた。


「それもあるだろうね。だけどそうじゃないんだ」


「えぇ? だって今回のって帝国が……」


 夏樹がクエスチョンマークを浮かべるのも当然だ。

 てっきり勇者の話を聞きつけた帝国がアウローニヤを弱体化とか、もしくは脅すために俺たちを連れ去ろうとしたっていう展開だと思っていたのだけど、シシルノさん的にはどうやら半分以下の正解っぽい。


「回りくどくてすまないね。ここで憶えておいてほしいのは、帝国は遥か東方からやってきた異民族で異なる文化を持つ人々の国だということだ」


「はぁ」


 気のない夏樹の返事が談話室に響く。シシルノさんの言い方はまるで『ここはテストに出ますよ』みたいなノリに聞こえてしまうな。

 事実仲間たちの何人かがうげぇ、みたいな顔をしているのが面白い。こういうのが大好きそうな歴女の上杉うえすぎさんなどはいつも以上に笑みが大きい気もするが、いかんせん俺たちが拉致される理由が説明されている途中だ。シシルノさんの話術というか口調で軽い感じで話を聞けているが、重たい原因が待ち受けていたらイヤだなあ。



「最後は西の聖法国、アゥサだね。アウローニヤとは西の大森林を挟んでいるので、元は大河を使った交流があったんだ」


 シシルノさんが最後の国、聖法国アゥサを出してきた。そしてそう、国交については過去形だ。


「南がハウハだったころは争いもあったが条約も存在した。お互いに大河を利用する水運は重要だったからね。だが現在南にいるのは、わが国と正式な国交を持たない帝国だ」


「今はパース河を使えないってことですか?」


 今度の質問者は文系男子の野来のきだった。文系少女の白石しらいしさんと並んでシシルノさんとは気安い仲でもある。それをいえば全員がそうなのだけど。


「完全に封鎖されたわけではないが、大規模な交易ははばかられるといったところかな。お陰でアゥサとの交流は薄いのが現状だ。アウローニヤで海産物の流通が少ない原因だよ」


 それを聞いた一年一組から一気に炎が吹き上がる。


 聖法国アゥサは西側に海を持つ。何度も出てきているパース大河の河口がまさにアゥサにあるのだ。

 乾物に限らず、魔術による冷凍が可能なこの世界ならば川を使った海産物の交易は可能だったろう。それが二十年前のハウハ滅亡と共に潰えた。

 許すまじ、帝国。



「さてそんな聖法国だが、法王が国主を務め複数人の枢機卿による合議で国家が経営されている」


「枢機卿だぞ、おい八津やづ


 嬉しそうだな、古韮。だけどシシルノさんの話はたぶんここからが大事そうだから、ちゃんと聞いておけ。


「さらにそこには君たちにも関係するかもしれない重要な存在が関与してくる。勇者だよ」


 そう、聖法国アゥサには『正式な勇者』がいる。しかもだ──。


「かの国で認められた勇者は、全員が『転生者』とされているのは知っているかな」


「……はい」


 シシルノさんに視線を向けられた白石さんが、ちょっと怯えたように返事をした。


 ただしこの場合の『転生者』は、アニメや小説に出てくるのとはちょっと違う。

 簡単に言ってしまえば『前世の記憶を持つ人』。地球でもオカルト本で読んだことがある、まったく知らないはずの土地や言語を知っていて、それが当てはまっちゃったみたいなアレだ。


「聖法国で認定された勇者たちは五百年前の初代勇者を知っている、とされているね。そして『勇者本人の転生者』までもがいる。今は枢機卿のひとりかな」


 元日本人とかではなく、初代勇者がこの世界に来てからの知人ばかりが転生者というのがアゥサ認定勇者の特徴だ。勇者本人の生まれ変わりについては会って話をしないことには判別もできないだろう。すごく眉唾だよな、この話。



「アウローニヤは勇者が降臨し、彼らが興した国であることに誇りを持っている。君たちの知るとおりにね」


 ちょっと悪い感じを漂わせながらシシルノさんは言葉を紡ぐ。

 この国の貴族達が俺たちをどう思っているのかという話だ。たしかに俺たちは勇者の同胞であって、勇者ご当人でないのはそのとおりだからなあ。


「この国のいしずえを築いた勇者たちは旅立ち、魔王を打倒した。そこまでがアウローニヤにおける勇者伝説の主流だ。『勇者が降り立った国』という部分をことさら大きく取り上げている傾向があるんだよ」


 シシルノさんが楽しそうに持論を述べる。本当に生き生きしているな。


 ウチのクラスにはこういうノリの彼女が大好きなメンバーが多い。マッドサイエンティスト的な人って、どうしてこうもカッコいいのか。


 話を戻して初代勇者の伝承だ。

 相手は五百年前の人物ということもあり、もはやおとぎ話の存在だけあって、物語のバリエーションはかなりのものになる。共通しているのは『アウローニヤを興した』ことと『魔王を打ち滅ぼした』こと。

 なのに魔王国は今も存在しているのがまたなんともはやだ。二代目魔王でもいるのだろうか。


 そしてアウローニヤでは主流ではないが、魔王を倒した後、勇者が海沿いに南に向かったというお話もある。


 勇者が終焉を迎えた国。それこそが聖法国アゥサだ。


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