第238話 帝国と聖法国
「『勇者が旅立った国』と『旅路を終えた国』。アウローニヤとアゥサは政体こそ違えど、いわば兄弟のような国家と言えるのかもしれないね」
やりきった笑顔のシシルノさんは自身の説明は終わったとばかりに、アヴェステラさんの方を向いた。
「さてここまでが前提だ。この先はアヴィに任せるとしよう」
主役の座を投げ渡されたアヴェステラさんは軽くため息を吐く。ここまで長かったものな。
「……アウローニヤを取り巻く情勢はシシィの説明でおわかりいただけたと思います」
少しだけ間をおいてからアヴェステラさんが口を開いた。
「北の公国、東の侯国とは良好な関係。西の聖法国は連絡こそ細いものではありますが、それでも比較的友好な関係。これがアウローニヤを取り巻く現状です。みなさんが気にしていた魔王国とは公国と侯国のさらに北にあるため没交渉ですね」
つまりはやはり南の帝国が問題なんだろう。
だけど、さっきシシルノさんは答えの半分だと言っていた。
「先ほども申し上げたとおり、今回の拉致未遂は帝国の主導によるものです」
再確認をするようにアヴェステラさんはハッキリと主題を口にした。
だからこそ、やはり気になるのはその理由だ。
そのためにシシルノさんはアウローニヤの置かれた状況を丁寧に説明してくれたのだから、そこに意味があるんだろう。
「わたくしとしても情報を得たのは三日前でした。それをシシィたちと共有できたのが昨日です」
そう言ってアヴェステラさんは五人の勇者担当者たちに視線を巡らせた。
「その情報がどこから降りてきたかについて、この場では控えましょう」
ああ、やはり第三王女か。ついでにそうであることをこの場にいるアウローニヤ側の人たちは全員が理解している、と。
「回りくどい話は省きましょう。帝国が勇者を手に入れたい理由、それは聖法国への牽制が目的だったようです」
「聖法国?」
あまりにも意外な話の転がり方にクラスメイトたちは、俺も含めてついていけないでいる。
かろうじて
「先ほどのシシィの言葉にあったとおりです。帝国は異民族で、こちらの文化をあまり気にしていない。勇者信仰を含めてです。言い換えれば、勇者に敬意を抱いてはいません」
「僕たちは相手にされていないってことですか」
「そこまでは言い過ぎですが、あくまでアウローニヤの持つ戦力の一部としてしか捉えていないでしょう。この国に勇者が現れたという情報自体は、かなり早い段階で帝国には流れていましたし」
いろいろとぶっちゃけてくれるアヴェステラさんだが、なるほど帝国にとって俺たち勇者はそういう扱いということなんだろう。
戦力といわれても俺たちは戦争に参加する気はないし、せいぜい迷宮から素材を持ち帰って兵站を助けるくらいが限界だ。そういう意味では帝国は俺たちを過大評価していることになるかもしれない。
それより王国の情報統制はどうなっているのか、こちらの方が深刻な問題に感じるのだけど、それはもういまさらか。どうせ帝国に情報を売り渡している連中がいるのだろうし。
「聖法国は帝国による西方戦略の最終目標です」
「最終目標、ですか」
「アウローニヤなど、途中経過でしかありません。十倍以上の国力差でもって片手間に呑み込まれるのがアウローニヤの将来像ですね」
それが確定した未来であるかのように語るアヴェステラさんからは、達観すらにじみ出ているように見える。
合いの手を入れている委員長の顔色が悪くなっていく。
「以前……、近衛騎士総長の一件があった時でしたね、帝国を話題に出したのは」
あれからもう随分と時間が経った気もするが、まだひと月も経過していない。こちらに来てからの時間は密度が高すぎて、感覚がおかしくなってしまう。
とくに今日一日だけで、どれだけ事態が動いたことやら。
「はっきりと申し上げましょう。遅かれ早かれアウローニヤが帝国に組み込まれるのは必至です。あとは負け方を選ぶだけ。そういう段階です」
「アヴェステラさん?」
あまりにも露骨なコトを言い出したアヴェステラさんに、委員長が上ずった声を返す。込められた意味は当然、それを言ってしまっていいのか、だ。
「いいんだよアイシロ。そんなことは、王城の人間なら誰もが知っていることだから」
そうやって口を挟んできたヒルロッドさんは苦笑を浮かべていた。
そうか、そこまでこの国は追い込まれていたのか。
この場にいるアウローニヤ側の六人は、さっきまでと雰囲気を変えていない。勝つか負けるか、そんな葛藤はとっくに終わらせているというように。
「国内の派閥争いはすでに、戦後の在り方についてが主軸になっているくらいです」
そう言って苦笑いを浮かべるアヴェステラさんは、宰相を上司に持ちながらも、間違いなく第三王女についている。アヴェステラさん本人の身の振り方はともかく、王女様はどうする気でいるのだろう。
すでに取り込まれているといってもいい俺たち一年一組の行く末だってある。匂わせるにもほどがあるだろう。そう遠くない先にネタバレをカマしてくる空気は感じるが、こちらとしてはなんとももどかしい。
「申し訳ありません、話が逸れましたね。事件の裏について、話題を戻しましょう」
「だけどその、この国のことも気になります」
かなり危ない方に向かっていた話題を拉致の件に戻そうとしたアヴェステラさんだったが、そこに
彼女が言葉を発すると同時に俺の背中に当たった【砂鮫】が崩れた衝撃がくる。アヴェステラさんたちからは死角になるだろう。これは、合図か。
俺は【観察】【視野拡大】【視覚強化】【集中力向上】を全開にする。シシルノさんが【魔力視】あたりを使っていたらバレるかもしれないが、知ったことか。
そういえばまだ【目測】を使っていなかったな。まったく、なんて一日だ。
「わたくしの口からはこれ以上はなんとも。そう遠くないうちに、立場にある方から説明がなされるでしょう」
アヴェステラさんがそんなセリフを言った瞬間、俺は担当者全員の表情を【観察】した。
──って、おい。
「バレました?」
思わず口にしてしまう。
アヴェステラさん、シシルノさん、ヒルロッドさん、アーケラさん、ベスティさん、そしてガラリエさん。要は勇者担当の全員が俺を見ていた。しかも笑いながら。ヒルロッドさんとガラリエさんは苦笑に近いけれど、それでもだ。
イタズラを見つけられたような居たたまれない気分になって、思わず綿原さんの方を見たが、彼女は視線を逸らしている。それはズルいんじゃないかな。
せっかくアヴェステラさんの口から『立場ある方』なんていういい感じの単語が出てきたのに、逆に向こうからは俺のやろうとしたことはお見通しだったようだ。ハズい。
「ちょっとだけワタハラさんらしくありませんでしたね」
「……ごめんなさい。でも気になるのは本当です」
アヴェステラさんが微笑んだまま綿原さんに苦言というか、むしろからかいの言葉を投げた。
たしかにああいう状況でなら黙って相手の出方を伺う方が綿原さんっぽい気もするが、あちら側もよく観察してたものだ。しかも六人全員が俺の方を見ているあたり、連携まで読まれていたというわけか。
これはあとで別の手段を話し合っておいた方がいいかもしれない。
「では一言だけでも」
そう言って一拍溜めるあいだにアヴェステラさんの表情が真面目なモノに切り替わった。
「わたくし、アヴェステラ・フォウ・ラルドールは勇者の味方です。対帝国についてだけではありません。みなさんが故郷へ戻る日がくるまで、ずっと」
以前王女が使った『王国の名と、太祖たる勇者様たちに誓う』というフレーズはこの国では定番のやり方だ。
だがアヴェステラさんはあえてだろう、ソレを使わずに自分の名だけで誓うように言ってくれた。むしろそれだからこそ、信用できる。そんな気にさせられてしまう。
「シシルノ・ジェサルも勇者の味方だ。アヴィ以上に味方になろうじゃないか」
「わたくし、アーケラ・ディレフも勇者のみなさんの味方であり続けましょう」
「とっくに味方のつもりだったんだけどね。改めて、ベスティ・エクラーをよろしくね」
「ガラリエ・フェンタは勇者の味方として、剣と盾を用いましょう」
シシルノさんが、アーケラさんが、ベスティさんが、そしてガラリエさんが次々と宣言していく。シシルノさんに至っては味方っぷりに度合いまで付け加える始末だ。
皆は軽い口ぶりではあるものの、そこにまとう空気からは昨日俺たちがした騎士の誓いより、余程真摯さを感じる。
「……ヒルロッド・ミームスは勇者の味方だよ。今日の事件で思い知った。なんなら一筆書きたいくらいだよ」
最後に疲れた顔を精一杯に引き締めたヒルロッドさんがそう言った。一筆とか、らしくない冗談だが、それもまた俺たちに心情を見せてくれている証拠なのかもしれない。
とか思いつつ【観察】を続けていれば、アヴェステラさんたちが生暖かい目でヒルロッドさんを見ているのに気が付いた。俺の知らないところでなにかあったのだろうか?
◇◇◇
「あの、話の腰を折ってごめんなさい。続けてもらえますか」
妙に神聖なムードになってしまった場を前に、バツが悪そうに綿原さんが続きを促した。こういう展開になるとは思っていなかったのだろう。頬が赤いし。
ちょっとサメがしょんぼりしているようにも見える。しかもいつものリアル路線と違ってデフォルメされているな。どこまで器用なんだろう。
「そうですね、話を戻しましょう」
気にしないでくれとばかりに軽く微笑んだアヴェステラさんが話を再開した。
「聖法国は大陸西方最大の強国でもあります。今でも北方国境沿いで魔族との闘争を絶やすことがない国家。魔族との戦いこそが国是でもあるのです」
教会勢力の弱いアウローニヤと違って、聖法国は教会そのものが国みたいなところだ。
そんな国が魔族との争いを続けているとか、ほとんどマンガの世界だな。
ちなみにアウローニヤにある教会はアゥサの一派に当たるらしい。魔王国とは国境を接していないお陰で比較的穏健派な上に、この国の法律のせいで勢力がかなり弱いとか。それでも聖女な
それこそマンガやアニメなら聖法国から勇者を差し出せとか言ってきそうなパターンで、俺たちとしては近づきたくない国の筆頭格だったりする。正直言えば帝国より怖い。
「なかでも勇者率いる『教会騎士団』は西方最強とされる名高い戦力です」
「おい
「そうだな
アヴェステラさんが使った単語は普通にフィルド語だが、俺と古韮の中では完全に英語変換されていた。テンプルうんちゃらというアレだな。
強そうだという想像と一緒に、やたら異教徒にキビしそうなイメージしか出てこない。魔族とバチバチやりあうのもそうだろうし、異教徒で異民族な帝国が攻めてくるとなれば、これはもう戦争しか選ばなさそうな、そういう連中が目に浮かぶ。
「えっと、聖法国が強いから、帝国もボクたちをさらって強くなろうとしたんですか?」
あまりに聖法国の戦力がすごいという説明が続いたものだからそこが気になったのだろう、元気っ子な
「それもありますが、ちょっと違いますね」
「そっかあ」
そうではないとアヴェステラさんに言われてしまった奉谷さんがちょっぴりショボンとする。
凄まじく庇護欲をかき立てる姿だ。アヴェステラの眉がピクリと動く。それなりにダメージが入ったかな。
「す、すみません。結論を先に言いますね」
珍しく慌てた感じになってしまったアヴェステラさんが言葉を続ける。シシルノさんがニヤニヤしているのが、これまた趣味が悪い。
「帝国が欲したのは『勇者』という存在です。肩書と言い換えてもいいでしょう」
「そういうことですか」
理解できるようなできないようなアヴェステラさんの説明に真っ先に反応したのは、歴女たる上杉さんだった。
「勇者の威光を標榜する国に対し、別の勇者を立てることで正統性を訴える。勇者を王子あたりに入れ換えれば、ありがちな話です」
「なるほど、お家騒動とかの」
「元祖と本家、みたいな」
やっと俺にもわかる上杉さんのセリフに、委員長と野来の言葉がカブった。
勇者を認めていないのに利用だけはしようとするとか、帝国もなかなか酷いことを考えてくれたものだ。しかもそんなの通用するのか?
「実際有効な手段だとは思うよ」
日本人的にはくだらないと思えてしまう結論に、なんとも腑抜けた空気になりかけた俺たちだが、そこにシシルノさんが鋭く切り込んできた。
「聖法国は激怒するだろうね。しかもソレをされてしまうと、アウローニヤとしても苦境に陥る」
静まり返る談話室にシシルノさんの声が響く。
「人や国は建前というものを大事にするものだよ。アイシロくんならわかるだろう?」
「ええ、まあ」
話を振られた委員長が曖昧に頷くが、納得できるところはあるのだろう、そんな表情をしている。
「勇者を擁する国が勇者を奪われるだけでも大恥だ。しかも勇者たちは帝国に味方すると宣言するだろうね」
「え? そんなこと言うわけ──」
「いや、いくらでも手はあるか」
シシルノさんが言った勇者の手のひら返しに、ピュアな
「脅してもいいし、俺たちを隠しておいてもいい、なんなら影武者だって。手段ならいくらでもだな」
「そういうことだね。勇者がひとりだけというなら話も変わってくるかもしれないが、声明を出すだけならいくらでもやりようはあるんだよ」
腕を組んで物騒なコトを言い出した古韮にシシルノさんが同意する。
たしかに一年一組は大人数だ。半分にわけて脅されでもすれば……、考えたくもないが、言うことを聞かざるを得ないだろう。想像しただけでも腹が立つけど。
なまじ神授職なんてモノがある世界だ、【聖騎士】の委員長や【聖導師】の上杉さん、【熱導師】の
その場合、人質にされるのは【観察者】の俺とか【鮫術師】の綿原さんあたりが筆頭か。ああ、イヤになる。
「今回の拉致が成功していたとすれば、アウローニヤは今以上の苦境に陥っていたでしょう。アゥサからの抗議はもちろん、ヘタをすれば国交すら……。本来ならば共闘してでも帝国に立ち向かうべき両国が」
深刻そうなアヴェステラさんの言葉に俺たちも黙ってしまう。
聖法国はそこまでしてしまいそうな国というのも重い。近づきたくない気持ちが深まるな、これは。
「ですが帝国は状況をそこまで深く考えてはいなかったようです。今までのところは、ですが」
「どういうことです?」
なんとも微妙なコトを言い出すアヴェステラさんに、委員長が疑問を被せた。
「異教徒ですからね。アウローニヤが持つ勇者に対する感情を測り損ねていたのでしょう」
「勇者が現れるまでは、ですか」
「はい。それはわたくしたちとて同じことですが」
委員長の言うとおり勇者信仰を持つ国に勇者が現れてどういう反応を示すのかなんて、アウローニヤの人たちこそわかっていなかったのかもしれないな。
「帝国は戦争相手国の調査を怠るような国ではありません。戦力だけではなく、経済、文化までをも。ですが勇者信仰自体は知っていても、アウローニヤにみなさんたちという存在が現れるなど、埒外にも程があったでしょう。それなのに、たったふた月で動いてみせた」
勇者そのものというより王国と聖法国が持つ勇者に対する感情をある程度知っているものだから、妙な計画を立てて、それでいて中途半端なことをした。だけどその行動自体は素早かったとアヴェステラさんは感じている。
委員長を皮切りに、皆のあいだに理解が広がっていく。
「この件を動かしたのは帝国の中でも主流派とは呼べない勢力です。上手くいかなくて元々、くらいの考えだったのかもしれません。それでも実行されるに至ってしまいました」
失敗に終わった拉致計画を語るアヴェステラさんは、それでも渋い表情になる。
それにしてもそんなところまで情報を得ることができているとか、アウローニヤも漏らしてばかりではないようだ。それとも情報を捕らえることができた第三王女が優秀なのか。
「だからこそ見誤りました。まさかあれほど拙速で雑な行動に出るとは」
アヴェステラさんの拳が握りしめられる。
「ましてやわたくし自身がみなさんの足を引っ張ることになってしまいました。繰り返しになりますが、深くお詫びいたします」
そう言って頭を下げるアヴェステラさんだが、俺たちとしてはすでに終わったことだという意識が強い。
それとだが、テーブルとかを片付けた絨毯だけの談話室になっているので、西洋風美人が地べたに座ったままで頭を下げても、ちょっと微妙に見えてしまうんだ。日本人モードに付き合わせてしまって、こちらはこちらで申し訳ない。
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