第229話 傷をつける覚悟




『シシルノさんを下げろ! 騎士は前! 田村たむらはアヴェステラさんを診ろ。護衛は佩丘はきおか。先行!』


 小広間に俺の声が響く。これもあえて日本語だ。

 こちらの意思を少しでもハシュテルたちに伝えたくない。ハシュテルが顔をしかめているのが見える。ざまあみろ。


 とにかく騎士組を前に出すのが先決だ。

 文字通りに腐っていても、相手のハシュテル隊は教導騎士だ。最低で十、十三階位だって十分ありえる。それが十二人。もちろん全員が敵だと判定する。


 ほんとうならしたくはないが、【聖盾師】の田村を倒れているアヴェステラさんに差し向けた。六階位の文官が十階位以上の前衛騎士に殴られたんだ。骨くらいはもちろん、ヘタをすると命に係わる。見捨てることなどできるはずがない。

 最強の防御力を誇る佩丘まで向かわせた。これ以上陣形を崩して戦力を分散させるようなマネはしたくはないが、仕方がない。

 悪いが遠くに倒れている近衛の面倒まで見るのはリスクが大きすぎる。生きててくれるといいのだけど。



『腰叩き』をできたのはほんの数名だ。だけど、それが伝わっていた連中の動き出しが早いのは助かるな。素早く陣形を作り始めてくれている。


 訓練場からの帰り道なので、装備はしっかりしている。全員が革鎧で盾とメイスは揃っているし、海藤かいとうはボールを、ひきさんはムチを、そしてミアは弓を使える状態だ。さらには考えたくもないが、腰のうしろには『短剣』も。


白石しらいしさん【大声】』


「助けてください! 暴漢です! 勇者が襲われてます!」


 俺の指示を受けた【騒術師】の白石さんが、見た目に似合わない大声を響き渡させる。


 間近でそれを聞いてしまったハシュテルは驚いた顔をしていたが、なぜかそこには余裕があった。さっきまでの芝居じみた激高はどこにいったのか、我に返ったようにしてから、イヤらしい笑みを浮かべている。

 まさか、仕込み?


 警備をあらかじめ削っていた? 木剣を持っていることといい、計画的だぞ、これは。

 ハシュテルたちの狙いがどこにあるのかわからないが、漫然と助けが来るのを待つのはムリがあるか。



草間くさま、いるよな? 『蒼雷』だ。待ち伏せがいるかもだから気を付けて』


 常日頃から草間は【気配遮断】を使いまくっている。離宮と訓練場の行き来でも、誰かとすれ違うたびにだ。そして今も。だからこそハシュテルたちは最初から草間が見えていない。

 俺も草間の存在を捉えていないが、どこからともなく背中を叩かれた感触だけはやってきた。


 アイツなら最短で誰にも見つからずにキャルシヤさんのところに向かってくれただろう。たとえ途中に待ち伏せ要員がいたとしても、それを避けながら。


 この状況で俺たちが頼れる相手は少ない。

 この時間なら離宮にはメイド三人衆がいてくれるだろうが、戦力としては薄い。ガラリエさんとて、ハシュテルたちに対峙させるのは危険だ。

 ヒルロッドさんもダメ。目の前のハシュテルは『灰羽』で、ヒルロッドさんと同じ所属だ。ヒルロッドさんが敵に回るとは思えないが、『灰羽』を頼ろうとしても団長のケスリャーが妨害してくる可能性がある。


 残されるのは『蒼雷』のキャルシヤさんだけ。『黄石』はそもそもどこにいるのか知らない。



「ヤヅくん、すまない」


「シシルノさん、もう少し下がって」


 なんでシシルノさんが謝るのかは意味不明だが、もうちょっとうしろにいてほしい。悪いけど護衛を回す余裕がないから付けられるのは白石さんくらいなんだ。


「ハシュテル自身は十一、両脇にいる赤髪と金髪を伸ばしているのが十三、残りはたぶん十二階位だ」


「助かります」


「この件は計画的で、狙いは君たちの拉致だと思う。……言えた義理ではないが、アヴィを頼む」


「もちろんです」


 それだけを言い残してシシルノさんはすこしだけ下がってくれた。横には白石さんがいる。あそこからでも【音術】での牽制はできそうだ。うん【遠視】と【遠隔化】は最高だな。

 もちろん【魔力視】で相手の階位を推測してくれたシシルノさんにも大感謝しておこう。


 それにしても拉致とはどういう意味だ?

 シシルノさんの言葉で殺されるかもしれないという可能性は薄まったが、連れ去られるのも当然ごめんだ。


 隊長のハシュテルが十一階位というのは鼻で笑ってしまえるが、ほかは十二と十三。つまりヒルロッドさんが十二人、ハシュテルを抜いても十一人いることになる。

 こちらが二十四名と相手の倍でも、勝ち負け不透明な戦いだ。向こうはこっちを殺す気はないとして、誰か一人でも大怪我などしたら、そこから崩れて俺たちの負けになる。



「おい、アレをやれ」


 ハシュテルが目くばせをしたのは倒れているアヴェステラさんと、そこに駆け寄る佩丘と田村だった。

 騎士が二名、そちらに動き出す。


 直後カツという音と、バゴという響きが小広間に伝わった。


「つぎは当てマスよ?」


「おいおい、なにしてくれてんだ?」


 迷宮産の石を素材にした床に一本の矢が突き立ち、騎士の持つ盾に弾かれた白球が部屋の隅に転がっていた。


 もちろんやってくれたのはスナイパーエルフ【疾弓士】のミアと、左のエース【剛擲士】の海藤かいとうだ。

 どうだ、そっちに遠距離アタッカーなどいないだろう?


 ミアはいつになく鋭い目で、海藤は獰猛に口の端を上げている。怒り心頭だな。俺もだよ。



「弱い者イジメが好きなのかい? 呆れた騎士サマだねえ」


「なっさけな!」


 額に汗をにじませながらもアネゴ口調の笹見ささみさんと、元気女子なはるさんが相手を煽ってくれた。いいぞ、もっと言ってやれ。こういうのは女子にやってもらう方がハシュテルみたいなのには効きそうだ。


「ほらほら、アンタらなんて近づかないとなんにもできないっしょ」


 ヒュンヒュンとムチを唸らせる【裂鞭士】の疋さんが敵を嘲笑う。ちょっと引きつった顔だけど、そこはそれだ。


「ええい、怪我人など放っておけ! 距離を詰めるぞ!」


 喚き散らすハシュテルは、やっとこちらに注力してくれるようだ。

 醜く顔を歪ませたハシュテルだけはそのままに、それ以外の十一人がこちらに向かってくる。高階位の騎士ならば三秒も必要としない間合いだが、それでもヤツらの歩みは遅い。こちらの飛び道具を警戒しているのが丸わかりだぞ。



『相手は木剣だ。想定Bはそういうこと!』


『想定B』すなわち、相手にこちらを殺す気は無いということを意味する符丁。

 シシルノさんは拉致と言ったが、目的はどうでもいい。誘拐でも、俺たちを痛めつけたいだけでも、こちらの対応は変わらない。


『先生と中宮さんはフリーハンド!』


 この二人にだけは好きにやらせる。先生と中宮さんなら『手加減』はお手の物だろう。間違っても相手を殺す、なんてことにはならないはず。



「ハシュテル卿、君は何をしているのかわかって──」


「貴様らは男爵たるこの私を愚弄した! 迷宮に入り、魔獣を討伐し、義務を果たして地上に戻った我々を、よくも!」


 相手をかく乱させるためか、なにかの確認をしたかったのか、シシルノさんが声を掛けるが、ハシュテルは意味不明にキレ散らかすだけだ。

 もはや真っ当な言語で通じ合う気もしないのが、気持ち悪い。


「つまりこれは正当な行為だということだ!」


 シシルノさんの言葉が刺さったのか、それとも最初からトチ狂っていたのか、ハシュテルは自分と引き連れた部下たちにすら言い聞かせるかのように、意味があるようで無意味な言い訳をブチかましている。


「なにをしている! 事は始まったのだぞ、貴様ら。やれぃ!」


 最後はもはやほとんど悲鳴だった。


 勇者襲撃事件など発覚したら、全てが終わりだろうに。なんでこういうことになっているのか、俺にはどうしても理解できない。



「はい。がんばってね」


 俺の背中に手を乗せてから笑ってくれたのは【奮術師】の奉谷ほうたにさんだ。


 すっと体が軽くなるのが実感できる。【身体補強】か。


「助かる。夏樹なつき深山みやまさんにもお願いできるか? それとできれば隙があったら上杉さんと白石さん、シシルノさんも。そっちは俺が指示する」


「うん。わかった」


 軽く答えてくれる奉谷さんだが、夏樹と深山さんの位置取りは二列目だ。前が抜かれれば敵とぶつかる位置取りになる。石や氷で身を守れる術師と違って奉谷さんはソレを持たない。

 それなのに小さな体の彼女は前に出る。まるで散歩に出かけるようにだ。


 自分でも酷い指示だと思う。奉谷さんを前に行かせることといい、自己回復が可能だからと上杉うえすぎさんを後回しにしたことといい、俺は一体何様なのか。


 そんな勝手な自己嫌悪は、すぐあとにもっと悪い感情で上書きされることになる。



 ◇◇◇



「がっ!」


 敵のひとりが苦痛に声を上げた。見れば肩に矢が刺さっている。もちろんやってくれたのはミアだろう。すぐ横では盾を前にして海藤の投げたボールを弾く騎士もいた。

 悪くない展開だ。向こうは長距離攻撃の手段を持たない。ほんの少しの距離であっても一方的に削ることができるのならば大歓迎だ。


 だが、そこからがマズかった。


「あ」


 矢を当てた張本人のミアが小さく声を上げ、表情をこわばらせた。視線の先は自分が射た敵の騎士。そして、彼女の頬を涙が伝う。

 それを見る海藤は、まるで自分がデッドボールを食らったような顔をしていた。


 それもそうだろう。俺たちが本気で人間相手に武器を向けたことなんて、コレが初めてだ。訓練なんかじゃない。一歩間違えば人殺しになってしまうかもしれないという、叫びだしたくなるような状況だ。どれだけ【平静】を使っていても、それでもこみあげてくる。


 アヴェステラさんが殴られた時は怒りばかりが先に立ち、ハシュテルの狂気には負けん気で立ち向かえた。敵の行動をけん制するまでは勢いでやれていたんだ。


 だけど人間を傷つけてしまう覚悟は足りていなかった。

 敵に刺さったミアの矢は、致命傷には程遠いモノであるのは誰からも明らかだ。それでもそんな小さな出来事が、クラス全員に人間を攻撃することの意味を問いかけてくる。

 必死で対応するしかなかったハウーズの乱入や近衛騎士総長の暴虐とは全く違う種類の感覚だ。あれにはいちおう訓練という名目があったから、お互いに怪我をすることも呑み込めた。

 今の俺たちは目の前にいる敵に対し、悪意を持ちながら傷をつけることができてしまう。それがとても怖いのだ。



 相手はこちらを敵とみなして襲ってきている。殺されないだろうとはわかっていても、一手違えばそれすら保証されない。トチ狂ったハシュテルが半数生き残っていればそれで十分、なんていう考えになるかもしれないのだ。


 理屈はわかっている。相手がこちらに害意を向けている以上、反抗しなければならないということは。

 それでも、それでもだ。だからといって人を傷つけたり、ましてや殺してしまうなんて、正気のままでできる気がしない。

 ちくしょう、俺の読んだラノベやマンガなら、悪即斬とか向こうが殺しにきたならこっちだってっていう展開になるじゃないか。なのにどうしてここまできても心がキマらない。まるで俺が意気地なしみたいじゃないか。


 怯んでいるのは俺だけじゃない。

 ミアと海藤の表情は苦いままだし、ムチで牽制をしている疋さんも、敵に矢が刺さったのを見てしまってからは、さっきまでの虚勢が完全に消えてしまっている。

 そんな空気は瞬く間にクラス全員を覆いつくしてしまうだろう。これでは指示を出したところで──。



「あぁぁいぃ!」


「しぇあっ!」


 巨大な咆哮と鋭い掛け声が同時に上がり、先頭で迫ってきていた敵の騎士が二人、たたらを踏んだ。

 アレってシシルノさんが言っていた十三階位の二人じゃないか。


 横合いから突っ込んできた拳が騎士の脇を殴り、反対側からの木刀はすんでのところで盾で受け止められた。ダメージが通ったようには見えないが、それでも敵の出足は止まらざるを得ないという、そんな攻撃だ。


「なるほど。硬いですね」


「だけど、ヒルロッドさんの方がずっと強い」


 ソレを成した滝沢たきざわ先生と中宮さんがゆらゆら体を動かしながら、落ち着いた声で敵を評価していく。


「同じ階位でも実力が違うのは、当然のことでしょう」


「九階位が十三階位に勝ててしまうのも、あるかもしれないわね。もちろんみんなの協力が必要だけど」


 余裕綽々という言葉を体現したかのような二人が、悠々と言葉を繋いでいく。中宮さんがチラリとクラス全体を見渡して強がりを言ってのけた。まるでこの場の全員に言い聞かせるように。



「白石さん。【鎮静歌唱】を」


「え? は、はい」


 唐突に先生から指名された白石さんは、ちょっとワタつきながらも静かなメロディーで歌い始めた。


 心を沸き立たせる【奮戦歌唱】ではなく、落ち着かせるための【鎮静歌唱】を。


「怖くて辛くて当然です。わたしも最初は怖くて仕方がありませんでしたし、今もです。あなたたちは臆病者ではありません。それでいいんです」


 ここぞという時にくれる先生の言葉は温かい。


「そのままの心で立ち向かってください。わたしは、みなさんにはそれができると信じます。根拠がなくてごめんなさい。だけど、それでもです。迷宮の魔獣と戦い抜いてきた一年一組は、わたしの誇りですから」


 先生の声を聞いているだけで、すっと心が落ち着いてくのが実感できた。それだけのコトを先生はしてきてくれたし、今も俺たちの心までをも守ってくれているのだから。


 異世界に飛ばされたのはとても不幸な出来事だった。だけどその中にこの人、滝沢昇子たきざわしょうこ先生がいてくれて、それは小さいけれど間違いのない幸運だったろう。あの時が英語の授業中で本当に良かった。

 もっといえば一年一組だから良かった、なんて想像をしたら、そもそも召喚されないのが一番になってしまうのか。堂々巡りだな。



「あなた方はアヴェステラさんを害し、さらにはわたしたちに危害を加えようとしています」


「だっ、だからなんだというのだっ!?」


 俺たちから視線を外し、一番向こう側にいるハシュテルに顔を向けた先生が鉄のように固く言い放てば、返ってきた声は半ば裏返っていた。


「今からあなたたちを無害化します。わたしも明確な害意をもって行動しましょう」


「貴様ぁ!」


「それを為すのは一年一組全員で、ですよ。いいですね? みなさん」


「はい!」


 先生の口調から感じるのは俺たちへの信頼だ。応えずしてどうするか。怯んでいる場合ではない。


 まったく、綿原わたはらさんも先生も、ウチのクラスはアジるのが上手い人が多すぎる。


八津やづ君」


「任せたわよ」


「おう!」


 最前線を硬直させて、俺たちに覚悟を決めさせる時間を作ってみせた二人に声をかけられれば、こっちだってやる気にもなる。

 怯える心は消えていない。だけどそれと付き合いながらできることをやれと、先生と中宮さんは行動で示してくれた。


「よし、やろうかみんな。練習どおりで、いつも以上に!」


 もはや日本語を使う必要もないだろう。俺は堂々とフィルド語で、ワザとハシュテルに届くように叫んでやった。


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