第228話 漂白された者と澱んだ者
「ようし、時間だ。そこまで!」
騒々しかった訓練場がキャルシヤさんの一声で静かになった。
激しくぶつかり合っていた十人の騎士たちも動きを止める。
ハウーズたち五人はやはり肩で息をし、逆に一年一組のメンバーは平然としたままなのが印象的だ。
前回の訓練という体裁の乱入では先生だけが普通にしていて、残りの九人はへとへとだったのに。
「うん、実感できた」
「ああ。だな」
【霧騎士】の
「へっ、こんなもんかよ」
「強くなったんだなあ、僕たち」
誰に向けるでもなく【重騎士】の
「やれやれだよ」
そして勇者の中の勇者、【聖騎士】の
強くなっているつもりはあった。
ただそれは個人であれば階位や技能、集団では魔獣との闘いで得た感覚だったと思う。
そんな強さは、新米とはいえこの国の騎士に十分通用した。うん、俺たちは、一年一組は間違いなく強くなっている。
「こんなところか。お互いにいい経験になったのならいいのだが」
なぜか疲れたようにため息を吐いたキャルシヤさんだが、口元には薄い笑みがあった。
お互いにというフレーズに込められた意味は、わからなくもない。
ハウーズたちは贖罪というほどでもないだろうが、敵わないとわかっていてもこうして対戦することで、いい意味で吹っ切る材料にしたように見える。疲れ果ててはいるけれど、そこに影みたいな黒さは感じられないものな。
一年一組の騎士たちは前回と違った、達成感みたいなものを感じているようだ。つけ上がる方向には行かないメンツだろうし、自分たちの強さを実感できたというのは悪いことにはならないだろう。
この一件がキャルシヤさんの仕込みなのか、それともハウーズたちから言い出したのかはわからないし、いまさらそれはどうでもいい。
「思ったより楽しかった、って言ったら悪いかな。ありがとう」
「いや、こっちも全力を出して……、そうだなスッキリしたかもしれないよ」
古韮がハウーズと妙な感じに分かり合っているような会話をしている。それはいいのだけれど。
だけどなにかこう、良い話になりすぎていないか?
古韮の行動原理の中に
完全に流れで良い空気になっているが、これもまた武術家の
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。ありがとう」
ハウーズ一党のひとりが手首を痛めて、上杉さんに治療されてさえいなければ、だけどな。
ほら、古韮、佩丘、落ち着け。あれもまたいい光景なんだから。
◇◇◇
「まあ、あれくらいはできるだろうとは思っていたさ」
幾人かを引き連れて訓練場の隅にある天幕に入ったキャルシヤさんはそう言った。
この場にいるのは一年一組から
騎士団で戦闘系の役職持ちが集合した形だな。
ちなみにヒルロッドさんは『灰羽』に戻っているし、メイドさんたちは別行動。離宮の掃除とか買い出しに行ってくれている。
ちなみに俺たちは委員長や中宮さんを副団長と呼んでいるが、近衛騎士団では一般的に『副長』だ。なんとなく副団長の方が響きがカッコいいというだけの理由だったりする。もちろんフィルド語で。
この場で行われるのは、騎士団役職付きの実務についての説明だ。
本当は分隊長まではやらなくてもいいはずなのだが、綿原さんが妙にやる気を出していたのと、形式だけでも知っておいた方がいいということでこうなった。夏樹や奉谷さんも嫌がっているわけでもないし。むしろ先生が一番げんなりしているかもしれない。
「彼らなりの前向きさを感じました」
先生が心底ほっとしたようにそう言うと、こっちとしてはちょっともにょるな。俺も小さいものだ。
「問題を起こした貴族騎士を押し付けられのだ。最初はどうなることかと思ったよ」
自分だって子爵なキャルシヤさんにそこから聞かされた話は、なかなかキツかった。
問題を全て金で片付けようとする者、家や派閥を振りかざす者、酷いのになると侮辱するかと逆ギレするヤツ。そういうのが普通にいるのがこの王城という場所らしい。
幸い今回のハウーズたちはそうではなかったのが救いだったとか。
王国側の人間からそんなことを俺たちに吹き込んでいいのかと心配になるが、同席しているアヴェステラさんはキャルシヤさんを止めようとはしなかった。段階というものがあるのか、言っていいかどうかの立場なのかはわからないが、どうやらこの人たちは俺たちにこの国の黒い部分を晒すつもりのようだ。
ありがたいと思う反面、聞きたくなかったという気持ちにもなる。
難しそうな顔をしている委員長や、憤っている中宮さんなどはわかりやすいが、他の面々も思うところはあるのだろう、それぞれ微妙に表情を歪めている。
「その点でアレらはまだ腐ってはいなかったようだ」
キャルシヤさんの話はやっとハウーズに戻ってきてくれたようだ。少しほっとしている自分がいる。
「とはいえ、ヤツらも面目を保つためにというのが第一義だろう。さっきの一幕にしても多くの目の前で勇者に挑み、恩を返したという体裁だ。是非にと願われていたんだよ」
「それでもいいじゃないのでしょうか。彼らは強くなっていました。そこに嘘はないのですから」
キャルシヤさんが苦笑いでネタバレをかましてきたが、先生はそれを軽く受け流す。貴族的なキャルシヤさんと武力的な先生の会話は、微妙にズレている気もするが。
「こちらにも利の無い行いではありませんでした。場を作っていただき感謝しています」
「とても八階位の若造とは思えなかったよ。勇者たちは大したものだ」
ハウーズたちを褒める先生と、勇者を称えるキャルシヤさんの図だ。
お互いの教え子を褒め合っている光景は、近所のおばちゃんモードだな。俺的にはほんわかムードなのだが、憧れのお姉さんがほかの連中を褒めているのが気に食わない中宮さんは、ちょっとムクれ気味だ。そこを綿原さんと奉谷さんがイジっている。地獄絵図かよ。とばっちりを恐れる委員長の顔色が悪い。
「早く話が進むといいねえ」
「だな」
そんな状況でも弟系男子な夏樹はのほほんとしたものだ。
落ち込む時は激しいのに、時々コイツのメンタルは読めなくなる。まあ俺としても、ああいうやり取りで女子三人がギスる姿は想像できないのだけど。
◇◇◇
「八津君。申し訳ありませんが、お願いします」
「はい」
けっこう切実な雰囲気で先生が俺を頼ると言った。そんな顔をされてしまえば、俺も真っすぐ返事をするしかない。
訓練場をあとにした俺たちは、離宮へ戻る廊下をぞろぞろと歩いているところだ。
基本的に騎士団長は直轄の隊を持ち、隊長を兼任する。当然そのぶん騎士団長の忙しさは普通の隊長を上回るわけだが『緑山』は騎士団長と隊長がべつということになった。つまり俺が忙しいのだ。書類上は、だけどな。
隊に所属するメンバーの訓練計画や、備品の調達、勤務時間や休日の設定などは隊長のお仕事になる。これらを報告書にまとめて上にあたる騎士団長に提出するのも。
とはいえ多くの部分は文官に投げているようだし、明らかな文官がいないウチのクラスの場合も似たようなものだ。
訓練メニューは中宮さんを筆頭に、体育会系の
もっといえば騎士団全体の仕事だって、食材の調達は聖女な上杉さんに一任できるし、服飾関係は
騎士団の運営は軌道にさえ乗ってしまえば、先生のお仕事なんて書類のチェックくらいにはできるだろう。そのチェックを真面目にやるのが先生で、そこが大変なのは俺にもわかるつもりだ。
「あっちから人。十人ちょっとかな」
そうやって廊下を進んでいたら、【忍術士】の
迷宮ならまだしもなぜ地上でも警戒するのかと聞かれれば、ここが王城だからとしか言いようがない。
草間の【気配察知】の熟練上げと、もうひとつ、ちょっとありえないだろうが暗殺、拉致の可能性を俺たちは忘れていない。そのための集団行動だしな。
廊下を歩いていれば、そりゃあ人とすれ違うことは何度もある。普通に警備の近衛騎士が立っていることもあるのだし。だから今のところ俺たちに緊張の色はない。
「あ」
小さく声を漏らしたのは誰だったろう、廊下が丁字路のようになっている小さな広間に登場したのは『灰羽』所属のハシュテル副長だった。
「勇者共か」
濃紺の髪と灰色の革鎧を赤紫に染めたハシュテル副長は、俺たちを見た瞬間にそう吐き捨てた。
舌打ちをしたいのはこちらの方だけどな。
フルネームは忘れたがハシュテル副長もまた、俺たちに因縁を持つ人物だ。
それこそさっき模擬戦をしたハウーズたちが遭難した時に、教官の立場を捨てて逃げ出し、捜索を俺たちに押し付けた張本人。俺的アウローニヤ内軽蔑すべき人物の筆頭だ。
「はっ、貴様らのせいで私が苦労しているのだぞ? わかっているのかっ!」
繰り返すがワーストがコイツだ。あの近衛騎士総長を超えてだぞ。すごいだろう。
魔獣の返り血を浴びているのは迷宮帰りだということだろう。
そういえばハシュテル副長に下された処罰は、『灰羽』の本来業務ではない魔獣の討伐だったか。
それにしてもまあ、自分の受けた罰を俺たちのせいにするとか、どれだけひねくれた思考回路だろう。
たしかに俺たちは『あえて事細かく』、それこそ会話の全文すら報告書に書いてやった。
だけどそこに嘘は一切混じっていない。本当のコトしか書いていない上に、抜けや漏れもないようにした。一切の恣意が入っていないように気を使った報告書だ。
主導したのは委員長だぞ。まいったか。
それを受け取った王国の偉い人たちがどういう基準で判断したかまでは知らない。
勇者の不興を買うよりハシュテル副長を切る方を選んだだけだろうな。俺たちからなんらかの処罰を要望したわけではない。両殿下や近衛騎士総長、第六のケスリャー団長あたりの判断だ。
自分たちのしたことをそのまま報告されて、処罰を下したのは偉い人たち。勇者を恨む筋合いなどあるものか。
俺がこの人を総長より嫌うのは、自分が悪いと理解できているはずなのに、それを認めようとしないそういう態度だ。
私が悪かったんです、ごめんなさい、と言葉にすることができないタイプの大人だから。
「ハシュテル卿、そのあたりにしていただけませんか?」
「これはこれはラルドール子爵閣下。勇者共のお守も大変ですなあ」
俺たちに同行していたアヴェステラさんが前に出た。
こっちに来てからふた月程になるが、これだけ厳しい目をした彼女を見るのは初めてかもしれない。
それでもハシュテル副長は減らず口を叩いてみせた。
そっちは男爵でアヴェステラさんは子爵。言葉こそへりくだっているが、そこまで勇者を舐めた口を叩いて大丈夫なのかよ。
引き連れているのはハシュテル隊のメンバーなんだろうけど、目を逸らしたり顔を俯けているのがほとんどだ。数名、ハシュテル副長と同じように俺たちを睨んでいるのもいるが、小さすぎだろうが。
「おかしいデス」
「なにが?」
そんな大人同士のやり取りを見ていたところで、ミアが俺の耳元でつぶやいた。
「わかりまセン。だけどなんか、気持ち悪いデス」
そりゃあ、あんなモノを見せられたら気持ちも悪くなるだろうが……、そういう意味じゃないんだろうな。ミアのエセエルフセンサーになにかが引っかかっているということか。
俺は横を歩いていた綿原さんの腰をうしろから軽く叩いた。反対側の手でミアにも。セクハラじゃないぞ。
ちょっとだけ驚いた顔をした綿原さんは一歩前に出て、同じように海藤と
なるだけハシュテル副長からは見えないように気を付けて。
そうしている間にも俺は【観察】をフル稼働させる。当然【視野拡大】【視覚強化】【遠視】【集中力向上】の全部載せだ。きっつい。
探せ。あのミアがなにかあると感じて、わざわざ俺に知らせてくれたんだ。なにかがあるのは確定している。
ハシュテル副長たちが歩いてきた方の廊下の隅に、なにか白いモノが見えた。足首? つま先が上でかかとが下。警備担当の近衛か。角度的に足の先しか見えないが、地べたで横になっているのは確定だ。当然尋常な事態じゃない。
さらにもうひとつ、ハシュテルたちが腰にしている剣の装飾がおかしい。
迷宮用の実剣に似せてはいるが、訓練に使う木剣に色を塗っている?
魔獣の血を浴びて、これ見よがしに迷宮帰りを主張しているのに、木剣だと?
たしかに俺たちが来た道の先には『灰羽』の本部と訓練場がある。時間にしたところで迷宮帰りというシチュエーションには信ぴょう性があるだろう。だからこそ木剣なのがなおさら意味不明だ。
心臓がキュっと縮まるのがわかる。こういう時こそ【平静】だ。うろたえるな。
『みんな、想定B! 【平静】回せ!』
あえて日本語で叫んだ。
これが勘違いでハシュテル副長からさらに嫌われたところで関係ない。
だが俺の想像したとおりなら──。
「ちぃっ!」
「あうっ」
俺の大声に一瞬目を見開いたハシュテルは、舌打ちをして腕を振り、そこにいたアヴェステラさんが壁際まで吹き飛ばされた。
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