第117話 迷宮のしおり




「はいみんな注目。自分の『しおり』を出しておいてね」


「はーい!」


 談話室にクラスメイトたちの元気な声が響く。

 部屋の中央にあるテーブルの上に、綿原わたはらさんは自分のぶんの冊子をポンと置いた。それにならってみんなもそれぞれ『しおり』を取り出す。


 表紙には『迷宮のしおり(第一版)』と書かれていて、綿原さんのやつにはなぜか小さくデフォルメされたサメが泳いでいる。ちなみにアラウト迷宮でサメに類する魔獣は確認されていない。

 みんなも好き勝手をしていて、なんともいろとりどりの光景だ。



「あの、これは」


 普段どおりの落ち着いた声色で当然の疑問を投げかけてきたのは、メイド三人衆筆頭の赤髪のアーケラ・ディレフさんだった。

 こっちの人たちは髪色が派手で、そのあたりファンタジー感があって大変よろしいと思う。

 俺たちはほとんど全員が黒髪黒目で、かろうじて先生とひきさんが茶色、深山みやまさんが栗色。日本では普通だったけれど、こっちだと逆に目立ってしまう気がする。

 ブロンドポニーテールにエメラルドアイなミアは別枠ということで。


「いい質問ですねアーケラさん。これは『迷宮のしおり』です。学生的には当然持っていてしかるべきモノなんです」


 いつもとは違う、ちょっと先生チックな口調で綿原さんが解説する。ノってるなあ。


 宿泊学習ならぬ宿泊迷宮だ。当然しおりは作るだろう。

 高校生にもなってといわれるかもしれないが、俺たちはひと月ちょっと前まで中学生だったわけで。



 この場にいるのはすでに恒例のメンバー、一年一組二十二人とメイドの三人、アヴェステラさん、シシルノさん、そしてヒルロッドさん。すっかりお馴染みになった感がある。


 俺が迷宮を所望してから二日、アヴェステラさん経由で王女様、王子様からは条件付きで許可が下りた。条件といっても、事前に通達だけはしておいてくれという程度で、意外なくらいユルいのが印象的だ。

 王女様もこの状況、つまり俺たちが前向きになって迷宮に入ることを歓迎しているのかもしれない。これが思う壺だったらイヤだなあ。


「ええっと、これはみんなで作ったのかな? 全員分あるみたいだけど」


「ええ、はい」


「ミヤマさんの表紙、可愛いねえ。これなに?」


「えへへ。雪ウサギです」


 首を傾げながらベスティさんが、隣に座った深山みやまさんのしおりを覗き込んだ。

 表紙には白黒でウサギの絵が描かれている。画風については、まあ味わい深いとだけ。

 迷宮二層に出る『ウサギ』は事実上ツチノコだし、王都の外に出ない限りは真っ当なウサギを見る機会はまずないだろう。


 ちなみにメイドさんたちが自分から話しかけたりしているのは、最低でも今日から迷宮を出るまでは仲間扱いをするから、たくさん発言をしてほしいとお願いしたのが理由だ。これを機にもっとお近づきになりたいという意思もある。



 迷宮を明日に控えた今朝の主旨は、俺たちが作った『迷宮のしおり』の発表会アンド品評会だ。


 手順と資料の関係上、いつもは三人セットで並んでいるアヴェステラさんたちや壁際に立っていたメイド三人衆はバラけてもらって、俺たちの間に座っている。

 綿原さんと俺は、上座という名のお誕生日席に並んで説明係だ。メインプレゼンターはもちろん綿原さん。


「あの、わたしの手元にあるのは真っ白なんですが。あ、いや、地図はあるのか」


 口調が不安定なガラリエさんの手元には、まっさらな冊子だけを置いてある。

 ガラリエさんも後半の話し方が素なんだろうから、そっちで統一してもいいのだけど。まあ、今回の迷宮泊で仲良くなることにしよう。

 もちろんガラリエさんだけをハブにしているわけではなく、王国側六人全員が真っ白冊子を目の前にしている。


「はい、頁は一緒で、書き写しにくい地図だけは既存の印刷物を挟んであります」


 テキパキと説明を続ける綿原さんはモチャリと笑って、自分の冊子を持ち上げてみせた。


「一年一組のぶんはみんなが一人一人で書きました。ヒルロッドさんたち今回の宿泊迷宮に同行する人は、なるべく今の内に書き写しておいてください」


 しおりを名乗っていても、どちらかといえばこれは『アラウド迷宮攻略ガイド』に近い。こう表現するとまたもやゲーム的になってしまうな。



 この二日、綿原さんと俺はがんばったと思う。

 隙を見つけてはクラスのみんなや、ヒルロッドさんに質問したり意見をもらったりと協力を仰いだ。まさかその完成形がコレだとはヒルロッドさんも思うまい。


 最後の方では白石しらいしさんや野来のきを巻き込んで原版を清書してもらって、みんなでそれを書き写したのが昨日の夜遅くになってからだった。

 アウローニヤ用に追加で六冊? やだよ、そんな暇はない。


 そういったわけで、王国の人たちには無地の冊子をお渡しするから自分たちで写してくださいね、ということになったのだ。



「アヴェステラさんとシシルノさんも自由にどうぞ。急がないなら、わたしたちが戻ってきてからでもいいですけど」


「え、ええ。いえ、もちろんこの場で写させてもらいます」


「へえ。楽しそうじゃないか」


 大仰に手をかざしてみせた綿原さんに対する二人の反応は、いつもどおりだった。



 ◇◇◇



 この国、アウローニヤの本事情は中世ヨーロッパ風だけあって、やたら歪だと思う。


 まず普通に植物紙があって、しかも質が悪くない。さすがに真っ白でツヤツヤとまではいかないが、小学生の時にやった自分たちで紙を作ってみましょう学習よりは、余程上質な紙が出回っている。

 理由は簡単、製紙に適切な材料が揃っているからだ。主に迷宮の中に。


 以前俺たち四人が二層に転落した事件で最初に戦った魔獣【多脚樹木種】。通称『丸太』。

 アレの中にやたら紙作りに向いているのがいるらしい。見分け方はよくわからないし、たぶん俺たちには関係ないだろうから今後も詳しくなるつもりはないけれど。

 それと同じく二層に現れる『カエル』のマヒ汁……、思い出したくないな、それに『丸太』の樹液を混ぜることで、良質な糊ができあがるらしい。

 そこにプラスして有り余る水資源を誇る王都、パス・アラウドだ。紙を作る条件は整っている。


 これぞ迷宮産業といえるだろう。


 とくに糊の配合はパス・アラウドの秘伝らしく、『アウロ紙』は王国の主要輸出品のひとつにもなっている。とにかく迷宮はすごいということだな。



 紙の方はそれでよかった。

 大仰な公文書ではなぜか魔獣の皮を加工した羊皮紙みたいなのが採用されているけれど、一般の事務員が普通のメモに使えるくらいには植物紙は出回っている。ただし俺たちが知っているのは王城の中だけで、街がどうなっているかは不明だ。


 ただ──。


『活版印刷って知識チート、だよな』


 なんともムズ痒い顔をした古韮ふるにらが言ったとおりで、この国には活版印刷が存在しなかった。


 世界三大発明とかいうフレーズがあったはずだ。火薬と活版印刷と、あとひとつはなんだったか。

 あとで藍城あいしろ委員長が羅針盤だと教えてくれたが、少なくともこの国にはそのどれもが存在していなかった。海が無いし。


 アウローニヤは鉄の扱いに慣れている。概念だけを教えてしまえば技術的にはできてしまいそうな予感が。

 結論として俺たちは活版印刷については黙っておくことにした。知識チートは笑える範囲で、それが合言葉だ。

 いるかどうかは知らないけれど写本を商売にしている人が困るかもしれないわけだし、ヘタを打って産業構造をぶっ壊しました、なんていうのはやりたくない。


 もっと大きい理由として、俺たちがここにいる間には完成しないんじゃないかという、悔しさがあったのも事実だ。



 その代わりというか当然というか、木版印刷はキッチリしていた。木の質がいいのかやたらと綺麗に印刷されていたのが印象的だったが、そのひとつが迷宮の地図だ。

 やはり迷宮関連は、なにかにつけて最優先らしい。


 いくつかあった地図のサイズの内、携帯しやすいようにと分割されていたのを使ったのが今回のしおりに使われている。むしろソレのサイズに合わせて冊子の大きさが決まったくらいだ。ヒップバッグに綺麗に納まるのが素晴らしい。


 そんなアウローニヤ紙文化の集大成が、途中にいわゆる白地図を挟んだだけで表紙から内容まで無地なノート。アヴェステラさんたちの目の前に置かれた冊子の正体だ。



「じゃあゆっくり説明していきますから、隣の人に見せてもらいながら聞いていてください」


 先生ムーブが続く綿原さんが、楽しそうに説明を始めた。

 今日の午前中はこれだけで潰れることになるだろう。



 ◇◇◇



「まずは日程です。基本は二泊三日を予定しています。初日に一層を抜けるのに三時間。そこからはずっと二層を巡ることになります」


 綿原さんの説明は時間についてからだった。


 迷宮での時間管理は基本的に火時計が使われている。昼も夜もない迷宮だ。時間感覚が腹時計だけというわけにはいかない。


 長時間の迷宮行では火時計を継ぎ火するらしいけれど、面倒なので今回はオミットする。委員長と田村たむらが腕時計を持っているので、それに頼るのだ。スマホの持ち込みも考えたが、充電がもったいないのでこちらはナシ。

 腕時計を知られていいのかという話も出たが、実は初日だか二日目くらいに委員長のがバッチリ見られていた上に、どうやってもパクれるような技術ではないので無視することになった。もし聞かれても未来の便利道具ですよ、ただし俺たちは作り方を知りません、くらいで誤魔化す。


 これぞ勇者特権の発動だ。最悪、委員長が持っている方を献上することで、知識の絞り出しは勘弁してもらおう。

 田村のは父親から譲り受けたモノらしいから、ちょっと。もちろん田村父は存命でバリバリお医者さんをやっているので、その点は安心だ。



「二層の移動は地図に赤い線で描いてあるとおりです。いざとなったときのために階段までの移動距離を短くしているのが地図の二番と三番──」


 綿原さんの説明によどみはない。

 俺の出番が全然ないな。基本はアシスタントだし、出張るのは質問が来た時くらいだろう。


「ふむ。ここまでするんだね」


 お約束通りに白石しらいしさんの横に座ったシシルノさんが、しきりに感心している。

 作った張本人としては、ちょっと背中が痒くなるな。なにせ相手はアウローニヤ科学の最先端だ。これで嬉しくならないかといえばウソだ。

 たくさん質問してくれても構わないぞ。どんどん答えてやる。



 ちなみに冊子はフィルド語で記載してある。

 見られて困るコトは書いていないし、変に日本語を使っていたら解析に使われかねないからだ。


 こうしてみんなが一緒に見たり写すのを待ちながらの進行を前提にしていたので、その光景がなんとも面白い。大の大人が必死に写本をしながら説明を聞いてくれているのだ。相手が親しい人たちだけに、ちょっとだけ申し訳ない気もするが、こちらとしても時間が押していたので我慢してもらおう。


「宿泊を予定している部屋が、青で囲んだ場所です。念のために三泊分、五か所ずつ候補にしてあります」


「すまない。ちょっといいかな」


「はい、ヒルロッドさん。どうぞ」


 律儀に手を挙げたヒルロッドさんに対し、綿原さんもそれっぽく返事をする。


「青いのはわかったのだけど、ほかの色はどういう意味なのかな」


 そう、地図には宿泊予定の青のほかに、赤、黄色、緑なんていう色でくくられた箇所がたくさんだ。


「ちょうどこのあとで説明するところですね」


「そうだったのか。説明の邪魔をしてすまない。だがこれはもしかして」


「気になりますよね。これって力作なんですよ」


 ちょっとだけ綿原さんの声が大きくなった。たしかに今回一番力を入れたところだからな。



「これはハザードマップも兼ねています。危険地帯の色分けですね」


「はざーどまっぷ?」


 ああ、やっぱり食いつくのはシシルノさんか。


「これの場合は危険を予測した地図のコトです。魔獣の発生が平坦だとした場合、危ない場所、逃げにくい場所を色分けしてあります」


「ほう! これは面白い!」


 正確にはハザードマップというよりリスクマップだと馬那まなが言っていたが、こちらのほうが通りがいいので俺たちはそう呼んでいる。馬那は妙な方面でデキる男だ。これからも頼りにさせてもらうぞ。



 前にも出た話題だが、迷宮は綺麗な形をしていない。

 場所によっては三部屋くらいが一本道になっているようなところもあって、そこで前後を挟まれたりしたらどうなるか。

 この地図はそういう『状況次第で詰みかねない場所』を赤で囲ってる。ヤバくなった時は基本的に緑や青の方向に逃げればいい仕掛けだ。その場に俺がいればもっと緻密なルート選定をする自信はあるけれど、たとえばどこかで分断されたら。これはそこまで考えて作られた。


 二層転落事故を過去にしてはいけない。この件は先生の強いアドバイスがあったからこそだ。


「青で囲ってある宿泊部屋は水場がしっかりしている上に、扉がふたつかみっつで見張りがしやすくて、逃げ場所の選択肢が多いところを選んであります。緑色は扉が多くて安全だけど、泊まるのに向いてない──」


 そんな説明を聞いたシシルノさんは大興奮で、ヒルロッドさんは考え込んでしまった。

 言われてみればなるほど、どうして今まで気付かなかったのかと考えてしまうのは、誰だって同じかもしれない。


「こちらの人たちも地図に注意書きをしてましたよね。それを色にしてみたらどうかなって思ったんです。段差とか細かい部分の水路とか、現場を見ないとダメな要素もまだまだありますけど」


 綿原さんが、さも昨日一昨日に思いついたみたいな言い方で煙を巻く。

 背中にいる【砂鮫】の動きがちょっと大きくなっているぞ。それはそれで面白いけど。



 ここにきて知識チートが炸裂だ。

 これが笑えるモノかどうかはわからない。けれど俺たちの安全とならいくらでも引き換えにしてやろう。


 アウローニヤは大河と共にある国だ。コレが水害対策に使われるか、それとも戦争に応用されてしまうのか。

 風が吹いたら桶屋が儲かるかどうかまで、俺たちは責任を持つつもりはない。


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