第109話 見られている
「うーん、外套……、マントというよりコートかあ」
「仕方ないんじゃないかな。あれでヒルロッドさん、かなり譲歩してくれたみたいだし」
渋い顔をしながら訓練場への道のりを歩く
迷宮に布団を持ち込む案は見事に却下された。当たり前か。
ただそこは勇者への配慮を忘れないヒルロッドさんだ、それなりの代替え案として出してきたのがコートを着ていくのはどうだろうというものだった。
初回の迷宮からこちら、俺たちの装備は基本的に変わっていない。
せいぜいが
だが今回の迷宮からは、けっこうな人数の装備が変更、追加される。
ミアの弓、中宮さんの木刀、先生のフィンガーグローブ、
「近衛のマントが式典用しかないなんてな」
「近衛騎士の話を聞くたびに、ぬるま湯がビシャビシャ飛んでくる気分になるのはどうしてかしら」
「マントが迷宮で邪魔になるっていうのは、わかる話だよ」
「そうかしら。実用面で考えれば──」
迷宮に長時間滞在しないという前提で考えれば、非常食とそれを調理できるちょっとした代替品、たとえば鍋代わりのバックラーとか枕代わりのヒップバッグなどが持ち込むモノのせいぜいだ。
背中の防御力が少しだけマシにはなるが、それ以上に動きを阻害する可能性が高いマントなんていうものは、最初から迷宮装備に含まれない。そもそも迷宮は気温が変化しないので、防寒を考慮する必要がないのだから。
ではヒルロッドさんが話に出した外套とはだけど、もちろん儀礼用などではなかった。
迷宮資源が豊富なこの国では、毛皮を使った庶民の服がかなり安いらしい。王城の偉い人たちは、逆に毛皮モノを着ないことで権威を示す。なんだかなとは思うけれど、そういうのが権威付けというものらしい。俺たちも着ている服は綿、さらに偉い人や儀式用の衣類は輸入品の絹になる。
俺の知っているエセヨーロッパ知識では、衣類が衣食住で一番高くつくイメージが強いけれど、アウローニヤではそうでもないということだ。
この国の軍は常備兵と徴兵で賄われている。不思議なことにこの国らしくなく、アウローニヤには奴隷兵がいない。この話はまた別の機会にでも。
これまたあやふやな記憶では、この時代の徴兵なんていうものは装備など自前で不ぞろいの印象だけど、そこが違った。
なんとしっかり制服だけは支給されているのだ。武器についても一部は配られているらしい。まさに迷宮の恩恵だな。
そこに含まれているモノのひとつに、軍用外套があった。
『高官用の品なら、一応の体裁は保てるか……』
というのがヒルロッドさんの判断だ。
実際の軍の偉い人たちは礼装を好んでいるらしくて、軍高官用外套はあまり使われていないそうだ。予備もたっぷりということで、それをこちらに回してくれる手筈をヒルロッドさんは考えてみると言ってくれた。
もちろん俺たちはそれに飛びついた。
騎士団入りの点数稼ぎとばかりにいちおう軍所属のシシルノさんまで協力を約束してくれたので、現物はなんとか調達できそうだということになった。
ムリを言ってごめんなさい。自分たちでも布団は無茶だとは思っていたんです。
「うーん、交代で就寝だから、二枚重ねでいいかしら。臭いがって文句が出るかも」
「返り血も付くだろうし、
「一度全部をひっくるめたリハーサルはやっておきたいわ。とくに戦う時にどうなるかも」
「だね。それは絶対だ」
「でしょ」
臭いの話が真っ先にくるあたりはやはり女子なのだろう。
けれど綿原さんはそれだけで終わらない。リハーサルではまず各人の動きを重要視して、たとえばアタッカー組には入念にマント装備の是非を聞いておくとかなどなど、さまざまな状況を想定し始めている。
俺としても役立たずでは終わりたくない。思いつく限りの対案を出すし、【観察者】の俺や【忍術士】の
「どうせどこかで嗤われるんだ。手に入ったらすぐに訓練場でも使うようにしよう」
「そうね。ホント、いまさらもいいところ」
お互い苦笑いになるが、訓練場で一緒になる騎士候補たちに俺たちが騎士団を作ることを知られたら、はたしてどんな態度を見せてくれるのやら。あのチンピラ騎士、ハウーズの一件は知れ渡っているだろうし、それでも突っかかってくるバカがいるかどうか。
「……
「ん? どうしたの?」
訓練場に入ってすぐのところに、クラスのみんながひと固まりで立ち止まり、一方向を見つめていた。
みんなの視線の先にいたのは、俺たち的にいま一番ホットな話題に上がるその人だ。ええと、なんちゃら・かんちゃら・ベリィラント伯爵。肩書は近衛騎士総長。初日の夕食以来、もうひと月以上も顔を見せなかった人物が、訓練場の片隅からこちらを窺っていた。
というか、睨みつけている。
◇◇◇
「ヒルロッドさん、どうするんですか」
「あ、ああ」
あまりの事態に固まっていたヒルロッドさんを
近衛騎士総長は腕を組んだまま、ただその場につっ立っている。
人種が違うから正確なところはわからないけれど、年の頃は四十代の後半くらいで、まさに筋骨隆々という単語が良く似合う。短い金髪に鷹のような鋭い碧眼。鼻の下には整えられた口ひげが目立っている。
こちらの人たちは筋肉よりも階位、つまり外魔力や技能によって強さを求める傾向が強い。
たとえばヒルロッドさんなどは、鍛えられてはいるものの実に普通のおじさんだ。けっしてメタボなどではないスラっとした体型なのに、疲れ顔が全部を台無しにしている。
要は露骨なムキムキみたいに筋肉量で圧倒してくる人が、ほとんどいないということだ。
「すまないね、俺はちょっと行ってくるよ。君たちは訓練の準備をしておいてくれ」
あわてて俺たちに言葉を残したヒルロッドさんは、小走りに騎士総長の下へと向かった。
相手は上司で、ドドンと擬音が見えるくらい存在感があるおじさんだ。ヒルロッドさんも大変だな……、ってそういう心配をしている場合じゃないよな、これ。
ちなみに総長とヒルロッドさんの間に入るべき第六近衛騎士団長、ケスリャーさんはどこにもいない。ふざけやがって。
「どういうつもりだか」
「感じ悪いよねえ」
「怒ってるよね、アレ」
クラスメイトたちはいつもの準備場所に移動しながらも、どうしても視線は他所を向いてしまっている。
昨日聞かされた迷宮騎士団の話。それにくっ付いてきたのは、近衛騎士総長を通さない命令系統だった。
どこまで信じていたかはわからないが、総長は第七騎士団的なものを想像していたのだろう。自分の指揮下に勇者たちで構成された騎士団が入るのだと。
そしてハシゴは外された。
第三王女からどんな取引が持ちかけられたかはわからない。ここまで見聞きした王女様のやり方ならば、相手の顔を立てそうな気もするけれど、はてさて。現実として、今そこに近衛騎士総長がお怒りの顔で佇んでいるわけだから。
こっちに飛び火は勘弁してほしい。
「ただの視察だそうだよ。君たちはいつもどおりにすればいい、と。挨拶も不要だそうだ」
フル装備で軽くランニングを始めようとしたところで、ヒルロッドさんが戻ってきて説明してくれた。
ちなみに事前のストレッチは朝に一度、訓練場に来る直前にもう一度やっておいたから、体は十分に温まっている。【聖術】使いが三人もいる上に、あちらの天幕には【聖術師】のシャーレアさんも控えていて怪我には万全の態勢なのだけど、それでも大切なのだと先生と中宮さんには念を押されている。これには体の可動域を広げる意味もあるらしい。
そこに体育委員になった海藤と
「いまさら視察、ですか」
「そう言うな、アイシロ。立場を考えれば、わからなくもない」
大人な会話をしながら委員長とヒルロッドさんが並走を始めた。
「僕たちに矛先が向かないことを祈ります」
「……すまないね」
「……いえ」
委員長がこぼした本音交じりの軽い嫌味にも、ヒルロッドさんは真摯に謝る。
中間管理職の悲哀を感じざるを得ないけれど、マントの一件を妥協するかといえば、そんなことはないのだけれど。
◇◇◇
面白くなさそうな顔で俺たちを見張っている近衛騎士総長は、意外なくらい動きを見せなかった。
「んじゃ、【身体強化】組は移動。盾班とスプリント班だな」
軽く流したところで新たに体育委員になった海藤が音頭を取り、俺たちは二手にわかれる。
【身体強化】を持っていないメンバー、まあ俺も含むわけだが、こちらはランニングを続行する。ただし術師は魔術を使いながらだ。【体力向上】と魔術系技能の熟練上げを同時並行だな。
深山さんの冷えた水球、藤永の帯電した水球、
笹見さんが使っているは熱球なので歪んだ空気が薄っすらと見えるだけだ。【音術】を練習している
地球でこれをやったらひと財産稼げそうだが、その前に謎の研究所に連れて行かれそうな光景だ。
『術師は動いてナンボだ。固定砲台じゃ面白くない』
というのが
とはいえこの世界の魔術は射程が短いのも事実なので、ヤツが言っていることもあながち間違いではない。
そういうワケで、クラスの術師はランニングをしながら魔術を使い続けるようにしている。
当然みんなが魔力を使い続けることになるので、魔力タンクたる
手持ち無沙汰なのは【聖術】使いの
実はもうひとり、疋さんもこのグループにいて、鞭使いの彼女は革ひもに【魔力伝導】を掛けながら引きずって走るという、ちょっとアレな訓練をしている。熟練度上げには当然の行動なのだけど、実にシュールだ。
「らあぁぁ!」
盾組の方から
騎士アンド海藤ら盾担当に混じって、盾を新調した【鮫術師】の綿原さんが丸太を受け流しているのだ。後衛系術師のはずなのに、どうしてこうなったのだろう。
この時ばかりは彼女が遠くに行ってしまったようで、少し寂しい気もするな。野太い声だけは、キッチリ聞こえてくるわけだが。
もちろん綿原さんの近くで【砂鮫】がウロチョロしているのはいつものことだ。
「はいはい、もっと素早く。できるよ、できるー!」
「ひぃぃ」
スプリント組を指導しているのは春さんだ。うしろに続く情けない声は草間だな。
あちらのメンバーは先生、中宮さん、ミア、そして草間。実に濃い。
いまさら先生と中宮さんがという気もするが、ふたり曰く武術とはまた違った知見があるらしい。熱心すぎて頭が下がってしまう思いだ。
◇◇◇
訓練の後半は各自入り乱れて、おのおののテーマに沿って体を動かす。
体育会系の人たちが言うに、毎日同じメニューだとつまらない、だそうで、三十分刻みくらいでペアを交代したりやることを変えたりしている。
ミアが弓をビュンビュンしているのもこの時間帯だ。今日の海藤はボールを使わず盾の練習を続けているな。もしかしたら騎士総長に見られたくないのかもしれない。
もちろん先生と中宮さんは技を封印したままだ。総長に関係なく、これはいつものこと。
本命の勝負以外では技は秘匿するモノという考えが、俺たちの中二を容赦なく刺激してくれる。
そんなヤツラの中で、本来盾メインの俺ではあるが、たまにはメイスを振るってみたり飛んだり跳ねたりと、いろいろ試しているのが現状だ。当面の目標は階位を上げて【反応向上】を取る、それくらいしか思いつない。
それにしても、すっかりアウトドア系になってしまったな。
そして──。
「儂がひとつ、試してやろう」
訓練がほぼ終わり、クールダウンに入ろうとしていた俺たちに、近衛騎士総長が声をかけてきた。
こうなるパターンも想像はしていたけれど、これで二回目だぞ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます