第301話 前日の午後




「明日の朝……、だと?」


「ええ、いまさら嫌だと言っても通りません」


 クーデターの決行日を聞かされたヴァフターが絶句しかけるも、サメを浮かばせた綿原わたはらさんは釘をさすのに余念がない。


 いちおう前向きな約束はしたものの、あくまで取引レベルのものでしかない。勇者の思し召しに従う者であろうとも、それは結果を見てからだ。

 現時点では忌まわしい勇者拉致犯が、減刑を求めて俺たちに恭順しただけだという認識を忘れたりはしないぞ。シナリオに基づいて藍城あいしろ委員長が良い話風に仕立てたが、それは建前でしかないのだから。


 現実的に今もヴァフターたちは鎖につながれたままだし、この状況はギリギリまで引っ張る予定だ。

 具体的には明日の朝、ヴァフターたち七名をジェブリーさんが率いるカリハ隊が俺たちの元に送り届けるまでは。



「十三階位ばかりというのは頼もしいですね」


「ヤヅ、お前ワザと悪い顔をしても似合わないぞ」


 そうか、俺はダメだったのか。


 ヴァフターのツッコミはさておき、ヤツが選んだのはマルライ・ファイベルとかいうファイベル隊の隊長をはじめとする、迷宮での実戦に慣れているメンバーだった。そういえばマルライとかいう人は拉致事件の時にジェブリーさんとやり取りをしていたな。


「手順としては最速で三層。そこで王女様を七階位まで引っ張って──」


「その時点でおかしいんだよ、ヤヅ。王女殿下は五階位だったよな? しかも【導術師】だぞ」


「だから七階位にするんです」


 ヴァフターはこの期に及んでなにをホザいているのだろう。上げられる余地のある階位なら、手っ取り早く上げるに限る。


 大丈夫、ミカンやヘビなら後衛の六階位でも倒せるという実績は、アヴェステラさんが証明してくれたのだから。五階位でもイケるイケる。なんといってもウチには頼もしいバッファー、元気印の奉谷ほうたにさんの【身体補強】があるのだから。

 ついでにいえばあの王女様、階位を上げると言ったらド根性でやってしまいそうな気質に思えるのだ。



「そこからが大事なんですけどね」


「なんだよ、怖いな。聞きたくなくなってきたぞ」


「ダメです。聞いてもらいますよ。四層に入ります」


「今の四層に……、降りるだと? 王女殿下を連れてか」


 俺の提案を聞いたヴァフターはさすがに動揺を隠しきれていないが、これについては彼らを味方側に引き入れれば、むしろ当然の行動だ。


 迷宮三層で九階位を十階位にするにはかなりの手間がかかる。だけど、四層ならば。


「ヤヅ。お前、俺たちを使い潰す気じゃないだろうな?」


「半分はそのつもりです。そちらのやったことを思い出してもらえれば」


 今の四層は階段付近以外はほぼ全てが魔獣の群れのテリトリーといっていい状況になっているらしい。とはいえ、調査が全く進んでいないので、階段周りだけがそうなのかもしれないが、そんな楽観は意味がないだろう。

 だからこそ、せっかくの十三階位クラスの分隊がいて、全員騎士職で前衛盾が得意ときた。活用せずにどうすると。



 まあ、俺たちの目前でヴァフターたちが魔獣に倒されるような状況を黙認するつもりはない。だが、ギリギリまでは俺たちの経験値のために役立ってもらう。それが勇者拉致なんてバカなことをやらかしたことへの最低限の落とし前だ。


 そういった主旨を伝えれば、引きつった顔をしながらもヴァフターたちは了解の意を示した。完全に俺の指揮下に入ることもだ。

 さて、どこまで本当に従ってくれるのか、道中や行動で見極めるのが俺の仕事になるのかな。


「じゃあ僕たちはこれで、明日はよろしくお願いします」


「ああ、やるだけやらせてもらう」


 委員長が軽く頭を下げ、俺たちもそれに従う。ヴァフターからの返事は軽い調子だったが、声は乾いていた気がする。

 手抜きをしたらそのぶんキツ目に追い込むからな。嫌でもやる気になるように誘導するつもりだし。



 ◇◇◇



「首尾はどうだった?」


「とりあえず追い込んではみたつもりだよ。綿原さんと上杉さんが、だけど」


 離宮に戻った途端、俺たちはクラスメイトに囲まれた。

 イケメンオタの古韮ふるにらが、俺の返事を聞いて悪い顔で笑っている。


「僕は飴ばっかりだったよ」


「そうなの?」


「いやいや、委員長は中々だったよ。勝利が約束される、だったかい?」


 委員長が苦笑いを浮かべながら副委員長の中宮なかみやさんに報告すれば、笹見さんが混ぜっ返した。さっきまで綿原さんと上杉さんにドン引きしていたクセに、すでにアネゴモードに戻っている。


「わたしとしては言いたいことを言っただけですから」


美野里みのりちゃんらしいね」


 上杉さんをロリっ娘の奉谷さんが全肯定しているが、アレは中々質の高い恫喝だったような。



八津やづくんは溜飲下がった?」


「綿原さんこそ」


 そんな喧噪の中、紅白なサメを伴った綿原さんがやってきて、俺の顔を覗き込むようにする。さっきまでとは別の意味で胸がザワつく。


「半分くらいかしら。残りは迷宮で返してもらおうかしらね」


「怖いなあ」


「あれだけのことをしでかした相手よ。辛辣になって当然でしょ」


「迷宮まで敵が降りてくる保証がないっていうのが面倒だよ」


「ミームス隊と一緒とかなら安心なのにね」


 綿原さんとの益体もつかない会話は、やはり楽しい。それこそずっとこうしていたいくらいには。


 俺、日本に戻ったら、綿原さんに──。



「おらぁ、遅くなったが昼飯だ。とっとと食うぞ」


 俺が自発的に危険な妄想をしていたところで、誕生日プレゼントのエプロンをつけた佩丘はきおかが談話室に乗り込んできた。


「今日は特別だぞぉ。あの王女様がよ、卵を融通してくれたんだ」


「ええっ!?」


 佩丘のセリフを聞いて驚きの声を上げたのは、俺たち出張組だけだった。そこには上杉さんも含まれているわけで、料理長たる彼女の驚き顔など、レア中のレアである。


「さっきね、ガラリエさんとベスティさんが、連絡のついでに受け取ってきてくれたの」


「そうだったんですか」


 中宮さんが解説してくれるが、上杉さんはらしくもなく、どこか悔しそうだ。



 迷宮産の食材が多いアウローニヤでは卵は貴重品だ。

 ほかには乳製品なども比較的高価とされているが、一年一組たっての願いで、少量の牛乳とバターをなんとか融通してもらっている。


 迷宮には牛も鶏もいるのだが、ソイツらは卵を産まないし、乳しぼりをさせてくれるわけもない。

 だけど肉の量は確保できてしまうので、相対的に酪農や養鶏の規模が小さくなる。現状で栄養が賄われているのだから、わざわざ地上でそれをする必要がないのだ。

 これが数少ない迷宮のデメリットかもしれない。地上での産業が迷宮で賄えないもの、アウローニヤの場合は小麦などの麦類に偏ってしまうのだ。


「半分以上は残してあるぞ。晩飯で卵をどう使うか、上杉が勝手にすりゃあいいさ」


「ありがとうございます。佩丘くん」


「おう」


 ヤンキー風の強面なのに、どうして佩丘はここまで見事な心配りができるのだろう。恐るべきおとこだ。器がデカい。

 上杉さんに気がある古韮が歯ぎしりをしているのが視界の隅に映るが、俺はそれを黙殺する。昨日の夜にイジってくれた意趣返しだ。俺の小ささが虚しいな。



 ◇◇◇



「いただきます!」


 食堂にクラスメイトたちの唱和する声が響く。


 この場にいるのは『緑山』のフルメンバーだ。遅い昼食にはなったが、ヴァフターの勧誘に成功した俺たちの表情は明るい。

 このあとアヴェステラさんは王女様への報告で、ヒルロッドさんは『灰羽』に向かうことになっているが、夕食にも付き合うことになっている。そしてひとり、豪華ゲストがやってくる予定も。


 そんな昼食なわけだが、メニューはなんとチャーハンだ。

 以前王女様が襲来したときに佩丘が出した焼き飯とは違い、今回のコレはたっぷりの油と、なによりシッカリ卵が使われている。

 具材はミンチ手前まで小さく刻まれた豚肉とカットしたキャベツがメインで、タマネギのみじん切りが軽く混ぜ込まれているようだ。味付けは鶏ガラスープをベースに塩と香辛料で、中華風でありながら、ちゃんとアウローニヤの風味に寄せてあるあたりが佩丘のニクいところだな。


 これを受けた上杉さんが夕食でなにを出してくるのか、今から楽しみだ。


「醤油があればなぁ」


「無い物ねだりしても仕方ないだろ」


 これだけのモノを作り上げながら、それでもグチる佩丘に、野球小僧な海藤かいとうが笑って返す。


「十分美味いって。佩丘はすげぇよ」


「へっ。ちょっとやってりゃ誰だってできるさ」


「それが大変なんだって」


 家が母子家庭で、看護師の仕事が忙しい母親に代わり家事ができるようになった佩丘の言葉は重い。


 だからといってヤツはそんなのを苦労だとは思われたくないということを、クラスメイトたちは重々承知した上で、海藤のように軽く誉めたてるのだ。そのあたりの間合いはさすがに俺もわかってきた。

 こういうちょっとしたやり取りで、俺も馴染んだなあという実感が湧くのは悪い気がしないな。


「美味しいわね」


「ああ、美味い」


 サメの動きがせわしなくなることで本心を明かす綿原さんのモチョっとした笑顔に、俺も楽しくなって言葉を返していた。



 ◇◇◇



「うん。いい感じだよ」


 三個の石を空中に浮かせた夏樹なつきは弟フェイスでニッコリと笑う。


 昼食を終えた俺たちは談話室に移動し、それぞれが最終調整をしているところだ。

 とはいえ書類関係はほぼ終わっているし、最新版『迷宮のしおり』もついさっき完成させて、あとは書記の白石しらいしさんと野来のきに増産を任せている。基本は一緒だが、四層の情報がメインなので、夜にはみんなで読み返すことになるだろう。


 俺たちは明日の迷宮で四層に挑戦する。


 理由はふたつ。ひとつは効率のいいレベリングを模索する以上、三層ではちょっと足りない段階を迎えているということ。

 現状の『緑山』の十階位が八人、ガラリエさんを入れれば九人で、全員が前衛職というのはラストアタックに調整が必要であることを意味する。これまでのように誰でもいいから倒してくれ、という選択肢が狭まるのだ。もちろん弱らせるという意味では楽になっているので、一長一短ではあるのだけどな。


 もうひとつは『地上からなるべく遠くにいたい』という理屈だ。王女様は薄い可能性と表現したが、もし本当に近衛騎士総長や誰かしらが部隊を引き連れて迷宮に降りてきた場合、距離を稼いでおきたい。

 いかな十五やら十六階位でも、四層の魔獣を相手取りながら俺たちを追跡というのは手間取るはずなのだ。


 なので今回の迷宮では四層へのルートは、メインの階段を利用しない。

 つまりこれは魔獣の密度の確認が取れていない四層にチャレンジするのと同義になる。かなり危険な行動で、しかもそんなところに王女様を連れて行くのかという話になるが、そこで登場するのがヴァフターとファイベル隊だ。


 どうだ喜べヴァフター。王女様の盾として死闘を繰り広げるなど、近衛騎士の誉れだろう?



 などと悪いコトを考えている俺の近くを石が飛ぶ。


「どうだ夏樹、念願の【視覚強化】」


「最高だよ!」


 少し前に夏樹は【視覚強化】を候補に出していた。

 後衛組は魔力を温存しておきたいという理由で先延ばしにしていたのだが、クーデターの日程が確定したのと、それに伴う四層への挑戦ともあって、今朝になってそれぞれが新技能を取得したのだ。夏樹は【視覚強化】で、石をより正確に飛ばせるようになったとようだな。実にいい。


【騒術師】の白石しらいしさんは【魔力浸透】を取った。これにより彼女の魔力タンクとしての性能が向上する。【音術】と【奮戦歌唱】をメインに戦う彼女は、比較的魔力消費が軽いタイプの後衛なので、魔力タンクとしては打ってつけな存在なのだ。

【聖盾師】の田村たむらは【覚醒】。【聖導師】の上杉さんに続き【覚醒】持ちが二人になることで、気絶への対応が楽になった。前衛に出ることのできる【聖術】使いとして、さらに頼もしい存在になったといえるだろう。


 同じくヒーラーとしてのロールを持つ【奮術師】の奉谷さんは【解毒】を取得した。

 四層の魔獣は毒というか、状態異常をカマしてくる種類が多いようなので、【解毒】は重要スキルになる。【聖騎士】の委員長が騎士系技能で手一杯の中、三人目の【解毒】使いは非常に心強い。田村と同じく献身的な技能選択には感謝しかない。


 チャラ系な【雷術師】の藤永ふじながは【遠隔化】を取った。

 フレンドリファイヤが怖い【雷術】使いが今更という話でもあるが、最近の藤永は前線に出ることのできる魔力タンクとしての立場があったので、ここまで引っ張る形になってしまったのだ。

 ではなぜここでかといえば、対人戦を重視したからこそになる。魔獣の動きは単調なだけに経路上に雷を置くことで運用できていた【雷術】だが、相手が人となれば話も変わってくるわけで、アイツは遠距離スタン攻撃を見込んだようだ。

 雷使いとしてどうせいつかは取る技能ではあるし、ここでの取得には誰もが納得である。



 後衛組の残りだが【観察者】の俺と【鮫術師】の綿原さん、【熱導師】の笹見さんは拉致事件で緊急に技能を取得してしまったので、今回は見送りになる。とくに【魔術拡大】と【多術化】を一気に取ったアネゴな笹見さんは大きくパワーアップした代わりに魔力量に不安を残している。九階位の彼女は当面新技能の取得は封印となるだろう。


 ちなみにアルビノ系【氷術師】の深山みやまさんは、前回の迷宮で【鋭刃】を取っているので、この場ではなにもなしだ。



 そして、そしてそして、我らが聖女にして【聖導師】の上杉さんは──。


「どう?」


「難しいですが、今までよりは実感できると思います」


「うん。良かったわ。あとは繰り返しね」


 中宮武術師匠監修の下、絶賛足運びの練習をしている上杉さんは【身体操作】を取得した。


 じつはヴァフターのところに行った時にはもう取っていたのだが、一仕事終えた午後になって本格的な動きを試しているところだ。

 これまで純ヒーラーとして上杉さんは身体系技能をほぼ取得していない。視覚系も出現はしているのだが、それを無視し、ただ治すことに特化することでクラスに貢献してきてくれたのだ。


 そんな彼女が四層に挑むに当たって選択したのが【身体操作】だ。即効性には欠けるものの、これからの動きを良くしていくためには非常に効果的な技能をここで取るあたりが、上杉さんの実直さを表しているのかもしれない。

 さっきまでヴァフターを詰めていた彼女は別だ、別。


『なんだか申し訳なくって』


 後衛柔らかグループに先駆けて【身体操作】を取得した上杉さんは、そう言って俺たちに必要もないのに頭を下げた。そういうところがズルいし、聖女なんだよなあ。


 ならばこちらとしても精一杯の祝福を送るわけで、なにより上杉さん自身の動きが良くなることはクラス全体の安定を意味する。戦闘でも精神でも。



「ねえ八津くん、ここなんだけど」


 最新版の『迷宮のしおり』を持った綿原さんがサメと一緒に話しかけてきた。サメは喋らないけど。


「どっか間違ってた?」


「間違いっていうか、ココをもうちょっと詳細にした方がいいかなって思うのよね」


「どれどれ」


 クーデター決行を明日に控えた一年一組の午後は、比較的まったりとした空気で進んでいった。


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